56 それは悲鳴で始まった
ーー智也とクラリッタが野外訓練に汗している最新の時間軸から、約三週間ほど遡るーー
巡空艦神州は日本海に突如現れたリバティ・ギアのヘラに対し、迎撃作戦「ブギーマン作戦」を敢行し見事に撃退した。
海上自衛隊護衛艦隊とアメリカ太平洋艦隊の援護も功を奏し、リバティ・ギア・ヘラタイプは完全破壊、そしてレアアース採掘基地を占領していた異世界ソ連軍の兵士約一万人を捕虜にする事が出来た。
日米両軍共に大した損害を被る事無く、そして国民と国土が毀損される事無く敵リバティ・ギアを撃破出来たのは、快挙と呼んでも過言ではない。
そして特筆すべきは師団規模の捕虜を装備ごと得た事。
捕虜の扱いについては、今後日本政府が合衆国政府を交えて最善の方策を考えれば良いが、装備一式を手に入れる事が出来たのは、まさに僥倖 (ぎょうこう=偶然に得た幸せ)と呼べる。
この世界の近代化とは別ルートで進化した異世界文明の兵器は、自走砲にしても兵員輸送車にしても機械化装甲服にしても、ふんだんにプレイヤー・ウィールが使われているのだ。
神からの贈り物であるリバティ・ギアのプレイヤー・ウィールでなくとも、それを模した人造プレイヤー・ウィールを入手する事に成功した日本とアメリカは、現代社会において全く別種の新たな工業文明を手に入れ、世界のトップに立ったと言っても過言ではなかったのである。
航空自衛隊岐阜基地・岐阜空港
この半年もしない間に巨大なドーム施設が二つも設営されたその基地に、旧日本共和国所属の巡空艦神州が係留されている。
プリズム迷彩を施しているので肉眼で視認する事は叶わないが、ヘラ迎撃作戦後に帰港した神州は今、闘いの傷跡を癒やすために、ドック入り規模の徹底した修理と整備に時間がかけられていた。
その神州の艦長室。
平時の三交代勤務が終わる切れ目の時間、艦橋とCICに赴いて引き継ぎを終わらせた榎本艦長は、デスクにゆったりと座り艦長日誌を書き始める。
自分で淹れたコーヒーで鼻腔をくすぐりつつ、日誌の次に序列ナンバー3の甲板長に引き継ぎ書の記入を始めていると、艦長室の扉をノックする音が聞こえる。
(……艦長、岸田です)
榎本、甲板長に続き三交代で一番遠い番にあたる岸田副長が現れたのだ。
「どうぞ」
本来なら完全オフ状態で今頃熟睡していてもおかしくはない岸田副長なのだが、榎本に入室を促され入って来た彼女は、旧日本共和国軍の礼装でビシッと身を固め、凛々しい敬礼姿で艦長の前に立つ。
「報告します。エリーズ・ド・アレクサンドリーヌ・ブルボンの葬儀、つつがなく終了致しました」
「ご苦労様でした」
返礼した榎本は彼女に席を勧めながらコーヒーを淹れてやる。岸田副長も敵軍パイロットの葬儀と言う異例の式典に緊張していたのか、コーヒーの香りに幾分ほどけ、普段通り品のある笑みが戻って来る。
ーーそう、ヘラの契約者だったエリーズは死んだ。その亡骸を放置する訳にはいかないと思った智也がスフィダンテに乗せ、巡空艦に降り立ったのである。
『彼女は純粋なソ連の軍人じゃなく、一種の誇り高き騎士として人生の幕を閉じた』
『ヘラ崩壊時に水が落下して津波被害が起こらなかったのは、気高い彼女がそれを嫌ってスフィダンテを呼んだからだ』
……だからせめて、葬儀だけはしてやりたい……
敵の葬儀など行った事は無い、前代未聞だと旧日本共和国側の歴戦の兵士たちは色めき立つ。
そして自衛隊側でも、その歴史において殉職隊員の葬儀は行なったりはするが、自衛隊にとって「仮想敵国」はあっても純然たる「敵」などは歴史上存在しない経緯がある事から、敵の葬儀に難色を示したのは確かだ。
だが、強硬に主張する智也は止められなかった。
世界に一体だけ存在するリバティ・ギア、その唯一の契約者である犀潟智也が、強硬に主張する事柄を拒否出来る者など一人もいなかったのだ。
葬儀の状況や参列者の様子、エリーズの墓はカトリック系教会と話がついて埋葬される事など、一連の流れを事細かに報告し終えると、岸田副長は最後に智也の様子について語り始めた。
「肩の荷が降りたかのような、穏やかな表情でした。必要以上に悲しんでいなかったので、気持ちの整理がついたのだと思います」
「なるほど、彼もまた戦士として送ってやったのだろうね」
「そうですね。私は彼を誤解していました。エリーズに対して恋慕の情を抱いていると思っていたので……」
「あはは、彼女の死に逆上した犀潟君が、この戦争に疑問を持つとでも? 」
恥じ入るように顔を朱に染める岸田副長。
すぐ男女の仲に結び付けるのは経験が足りない証拠だよーーとは口にせず、榎本は智也をこう評価した。
「彼は強いよ。やるせない怒りや悲しみが彼を襲っても、絶対に諦めたり短絡的な結論を出さない。もがいてあがいて模索し続ける、芯のある人物だと思うよ」
「耳が痛いです。子供だと思って甘く見ていた自分が恥ずかしい」
そうやって直ぐ他人の言葉に影響を受けるのは、まだまだ君も人生経験が足りないよね……とは言わず、榎本は別の言葉を投げかけた。
智也の話題が出た事で何かを思い出したのだ。
「そう言えば……あの子は今日からだよね? 」
「あの子? あ、あ、そうですね。今日からです」
二人の口から出た共通のキーワードは「あの子」
ただそれだけの単語から何を意味しているのか押し計れないのだが、穏やかだった二人の表情に多少の翳りが現れていた事が「あの子」の立場を表していた。
「犀潟君に悪い影響が出なければ良いのですが……」
「副長、あの子は我々がとやかく言える範囲の外にいる。見守るしかないよ」
そう言いながら、榎本は岸田副長を立たせる。
勤務明けまともに寝ないで葬儀に参加したのだから、早く帰って寝なさいと言う榎本の気遣いと、これ以上「あの子」についてネガティブな会話を続けてしまうと、ごり押ししてきた合衆国政府と断りきれなかった日本政府について愚痴を漏らしてしまうと言う危惧。
「あの子」は旧日本共和国の残党がどうこう言える立場にない存在なのだと示唆していたのだ。
榎本の配慮に気付いたのか、バツの悪そうな顔で立ち上がり敬礼する岸田副長。次の当直まで休ませてもらいますと艦長室を退出して行った。
「さてさて、どうなる事やら……彼には女難の相でもあるのかね?」
苦笑しながら智也の今後に想いを巡らすも、答えが出ないのは当たり前。
大騒ぎにならなきゃ良いねと他人事のように呟きながら、やがて甲板長との引継ぎのため、艦長室をあとにして艦橋へと昇って行った。
……大騒ぎにならなきゃ良いね。榎本の何気ない一言であったのだが、さっそく大騒ぎは起きていた。
岐阜基地の巨大ドーム内に出来た亡命者たちの街リトルナガサキに、とある悲鳴が轟いたのだ。
(……きゃああ!……)
何か身の危険に驚いたかのようなその叫び。その悲鳴こそ、智也自身のものだったのである。




