55 捨てられた手紙
エリア51の地下施設にある唯一の小学校では、今日も一日の授業が全て終わり、児童たちは家路についている。
今日の夕飯は何だろう?
昨日ハンバーガーを食べてみた
コーラって美味しいよね
テレビでやってた動物たちのアニメーションが
いやいやアニメよりスーパーレンジャーだよ!
私あの海賊王のコミック大好き
……など、亡命者の子供たちは口々にその感想を笑顔で述べ合っては、新たな文化に触れた喜びを噛み締めている。
そんな子供たちの集団から距離を置き、一人で帰路につく少女。
意図して孤独でいるのか、それとも亡命者の子供たちから疎外されているのか、側から見てもその原因が掴めないほどに、少女は抑揚の無い表情で淡々と歩き続けている。
「クラリッタ、クラリッタ! 」
「あら、どうしたのメーガン」
唯一自分の名を呼びながら駆けて来たメーガンに対し、クラリッタは口元にささやかな笑みを浮かべて迎えた。
「クラリッタ、私ね……今月いっぱいで地上に出れるんだって! 」
満面の笑みでクラリッタにハグするメーガン
彼女の話によると、両親の社会適応レベルが規定値に達したそうで、晴れて正式なアメリカ国籍を取得して地上生活を送る事が決定したそうなのだ。
「私、地上に出てもクラリッタの事忘れないよ! お手紙いっぱい書くからね! 」
「良かったねメーガン、今まで狭い思いしたけど外に出たら思いっきり深呼吸するのよ」
子供は時として残酷な言葉を口にする。
たとえ本人が意図していなくとも、グサリと心に刺さる事を言い放ってしまう。
まるで生気が感じられない少女、メーガンに作り笑いで対応するその子こそがクラリッタ・アディントン。八歳当時のとある光景なのだが、このメーガンの言葉がどれだけ残酷なのかはクラリッタにしか分からない。
何故なら、クラリッタは左手のポータルが起動するまでは外の世界に出る事はまず叶わない。そしていくら仲の良い友人が出来ても、友人たちはあっという間に外の世界に旅立って行き、手紙など一通も送られて来ないからだ。ーー存在自体が超国家機密のクラリッタに、地上世界から手紙など送っても、政府による検閲で全てが闇に葬られるのである。
メーガンの前はキャシー、その前はベン。ベンの前に隣の席に座っていたのはロザンナ、彼女の前は……
せっかく仲が良くなっても一年も経たずに皆いなくなる。もちろんそれはクラスメイトに限った話ではない。街にいる全ての人々が常に入れ替わりを繰り返し、出会う人出会う人がどんどんと過去の思い出に変わって行くのだ。
クラリッタを見つけてはアフタヌーンティーに誘ってくれた老夫婦、家の向かいのウィンザー夫妻は古い記憶の底へ。その後はナイセル家、オークウッド夫妻、ロッキンガム夫妻にスタントン家……
家のお向かいさんだけではない。右の隣家も左の隣家も、名前を覚えても名前を覚えても入れ替わり立ち替わり変わって行き、後に残るのは虚無感だけなのだ。
街の人々はどんどんと入れ替わる。それはつまり、異世界から亡命して来た人がこちらの世界で社会復帰をしている証明であり、自分が取り残されている事の証明にも繋がる。
そして取り残されているのはクラリッタ・アディントンだけでなく、彼女の実の両親も同じ。アディントン家だけが地下世界で時間が止まっていたのだ。
「……ただいま……」
以前は……もっともっとクラリッタが幼かった頃は、帰宅を待っていたかのように両親が飛んで来て、満面の笑みでハグとキスを繰り返してくれたのだが、ハ歳になったクラリッタは大きな声で両親たちに帰宅を知らせたりはしなかった。怯えているかのような探りを入れる声で、静かに静かに帰宅を伝えるのだ。
「おかえり」
聞こえて来たのは父の声
リビングのソファに身体を埋め、テーブルに足を投げ出してテレビを見続ける父は、クラリッタに振り返りもせず義理で声をかけて来た。
足音がうるさいと怒られないよう静かに廊下を進み、キッチンとダイニングへ。
その奥がクラリッタの部屋なのだが、ここが一番緊張する場所。一日の中で最大限の神経を使う場所である。
「……た、ただいま……」
極力キッチンに視線を向けないように、さりとて完全に無視して自室に向かい難癖をつけられないように、一言帰宅を告げる。
その日はラッキーだった
母はウイスキーをしこたま飲んで酩酊し、キッチンテーブルに突っ伏して寝ていたのである。
これで「おまえを殺してやろうか」と包丁をチラつかせながら凄まれたり、「おやおや、国家機密のお帰りかい」と嫌味を言われる事無く、安心して自分の部屋へと向かう事が出来る。
クラリッタは心から安堵しながら、静かに自室の扉を閉めた。
全てに無関心になった父
アルコールに逃避した母
幼いクラリッタを中心とした生活は崩壊し、家族はバラバラになっていた。
もちろん父も母にも罪は無い。彼らも異世界ナチスドイツの殺戮の嵐から逃れ、新天地に夢を抱いてここまでやって来たのに、まさか八年近くも地下空間で軟禁状態になるとは思わなかったのだ。
“クラリッタのポータルさえ動き出せば、希望に溢れた日々が待っている”
最初はそう覚悟して我慢を重ねていたのだが、一年の延長、一年の延長が続き、希望は絶望に変わったのだ。
自分に責任があると感じていたから、両親の態度に腹を立てる事など無い。
むしろ申し訳無く思っていたクラリッタは、自分と目を合わそうとしない父親や、殺意の視線を投げかけてくるか、アルコールで意識が飛んでいる母親には常に心で詫びていた。
幼い少女に自責の念を抱かせるのも酷く残酷な話なのだが、それが顕著に現れるのが深夜だ。
(あの子のせいよ! あの悪魔さえいなくなれば! )
クラリッタの部屋の灯りが消えた頃、壁の向こうで必ず始まるのである。それは夫婦喧嘩と言うよりも、あともう一つ何かあったら完全に壊れてしまう勢いで、母が父に向かって怒鳴り散らしているのだ。
(いつまで、いつまでこんな場所にいなきゃいけないの! )
(息苦しいの、息がつまるの! 私は空が見たいのよ! )
シーツに頭までくるまり、少女は泣きながら詫びた
やがて睡魔に包まれて眠りの世界に落ちるまで、彼女は人知れず涙を垂らしながら、隣室で飛び交う怒声に向かってゴメンなさいと繰り返し呟くしか無い。
何故面と向かって謝れないのかと言えば、父親に謝っても無視されるだけであり、母親に謝ると神経を逆撫でするのか「お前にだけは言われたくない」と吠えながら、逆上して殴りかかってくるからだ。
ーー心を許す暇も無く入れ替わる街の人々、顔を見るたびに罪の意識に苛まれるようになった両親。
大勢の中で孤独に絶望するような、地獄のような日々が続いたクラリッタであったが、それもやがてピタリと止まる。両親の地上行きが決まったのだ。
『クラリッタ・アディントンの成長と人格形成が阻害される可能性』ーーたぶん、政府側は両親が邪魔になったのであろう。
無数に存在する監視カメラと、常にクラリッタの動向に目を光らせるミスターA氏からZ氏たちが、どう言った内容の報告を上げていたのかその詳細までは分からないが、結果としてクラリッタの両親はエリア51を去り、新たな国籍所有者として北アメリカの大地で生活する事を許されたのである。
「クラリッタ、父さんと母さんは先に行くけど心配するな。君の帰る場所を作っていつまでも待っているから」
「辛くあたってゴメンね。また必ず三人で生活しましょう、その日が来る事を毎日お祈りするわ」
父と母がそう言って姿を消したのがクラリッタが八歳の時。九歳を迎える直前の事。
クラリッタが合衆国政府に悪い感情を抱かないように、特例で両親との手紙のやり取りは認めてられたものの、クラリッタが十五歳の誕生日を迎える頃までの間、一切両親からの手紙は来なかった。
ーーそして十五歳の誕生日を基地職員たちに祝って貰った頃、やっと父親の名前で一通の手紙が来たのだ。
喜び勇んで開封し、舐めるように内容を読み上げ始めたクラリッタだったが、その表情はみるみる曇って行く。
……親愛なるクラリッタ、長い間手紙を書かなくて申し訳ない。地上に出てから色々あって、こんなに時間が掛かってしまった。
単刀直入に言うと、母さんが自殺した。彼女は地上に出てもアルコールがやめられなくてね、地上に出てすぐに彼女と離婚したんだ。裁判の結果離婚は成立したのだが母さんは精神を病んでしまい、ずっと施設に入っていたんだけど、先日鉄格子にシーツを巻き付けて首を吊ったらしい。
それでね、クラリッタ。君の親は私一人になってしまったのだが相談がある。私も新しいパートナーと出会って再婚したんだ、そして先日新しい家族も出来た。君の事はまだ妻には話していないのだが、何と言うかその、新しい妻は気難しい人でね……
この後に続く文章で、父親は何の相談をクラリッタに持ちかけて来ていたのかは分からない。
何故なら、その時点で彼女は手紙をクシャクシャに丸めてゴミ箱へ捨ててしまったからだ。
クラリッタ・アディントン
人に関わるもの全てに絶望し、ただ左手のポータルが動き出す事を願い続けた少女。
動き出したとて自分の立場がどうなるのかまでは分からないのだが、無間地獄から脱出する方法は、それしか無かったのである。




