47 エリーズの憂鬱
『警告、警告! 方位二百四十七度に敵誘導弾の着水を確認、数は三発』
『警告、警告! 南南東百七十二度に新たな機影を確認、距離八十キロ』
ギリシャ神話の舞台とも思わしき大理石で作られた巨大なホール。そのヘラのコクピットは今、エリーズを中心に騒然としている。
もちろんこのホールにいるのはエリーズ一人である事から、エリーズが騒いだとしても金髪の女性が「テンパって」いるだけの光景が垣間見えるだけなのだが、本質はそうではない。エリーズは普段通りの貴族的な優雅さを醸し出しながらヘラに淡々と指示を与えているだけ。
騒然としているのはむしろヘラのポータルの方であり、逐一報告されるその情報と報告の量が尋常ではないのだ。
巡空艦神州から射出された空雷
護衛艦隊から射出されたアスロック対潜ミサイルとハープーン艦対艦ミサイル
そして日本海東北洋上を南下して参戦したアメリカ太平洋艦隊の対潜ミサイル
それらがヘラの本体に着水しては次々に爆発を繰り返すものだから、ヘラのポータルは絶え間ない状況報告を繰り返さざるを得ないのだ。
おまけに航空自衛隊下総航空基地や厚木航空基地から発進した対潜哨戒機P3Cオライオンが警告用水中音響弾をばら撒き投下する事から、この七時間ほどに及ぶ攻撃は嫌がらせの極致と言ったところ。
さすがのエリーズも怒りはしないものの、ウンザリしているのはへの字に曲がった口で分かる。何度も何度も同じ攻撃を繰り返す敵のしつこさに内心辟易としていたのだ。
「激発して短絡的な行動を起こしては、それこそあの敵将の思う壺。要は神州を真上に近付けさえしなければ良いだけ、やがて彼奴らの弾も尽きよう」
じゃんじゃんと報告を入れて彼女の調子をかき乱すポータルには一切釣られず、エリーズは冷静さを保ちながら水圧弾を撃ち続ける。
「しかしまあ……榎本中佐も大した胆力の持ち主よ。ナチスと戦っていた時もこれほどの不退転の覚悟を持った武人はいなかったぞ」
この次元世界にヘラが出現して間もなく、ヘラのポータルは様々な魔力触手と呼ばれるアンテナを張り巡らしてこの世界の情報と接触した。ヘラに搭載された哨戒用の人造プレイヤー・ウィール、つまり魔力を使ったレーダーだ。
その魔力の触手でテレビやラジオの電波帯しかり、真下のレアアース採掘基地にあったパソコンなる代物を経由したインターネットまでをも探査したのである。
海上自衛隊やアメリカ海軍の対潜兵器は有効射程距離が十八キロメートルほどあるのだが、それがヘラ本体には全く通用しない事が判明している。『圧壊深度』と言うのがその理由であり、深海九千メートルクラスの水圧に潜むヘラに対して魚雷攻撃をしたところで、その前に水圧でペチャンコになってクズ鉄になってしまうのだ。
ちなみに、空母ロナルド・レーガン率いるアメリカ太平洋艦隊がもし核魚雷を隠し持っていたとしても、手足の無いヘラは魔力触手を使っていち早く放射線を検知して、ヘラの海に着水した段階で核弾頭を「やんわり」と重力で潰し爆縮核反応を起こさずに葬る事が出来る。
つまり敵が無駄だと分かっている攻撃を長時間に渡りしつこく行って来ているのは、ひとえにスフィダンテをヘラ直上に投下させたいため。近接戦闘能力しか持っていないスフィダンテを無傷のままヘラ本体に近付かせようとしている
ーー今の今までエリーズはそう判断していた
確かにスフィダンのアイドリング反応が、神州の格納庫付近から感知出来ると報告を受けていた事で、エリーズは神州と周囲に展開する敵艦隊を目下の敵として迎撃に専念していたのだが、ここに来て彼女の脳裏を何かがかすめる。
黒髪のアジア人の少年、哀しみを瞳の奥にたたえながら、胸の奥の苦しみに耐えられずに自らの救いを求めるよりも、たった一度だけ一緒に朝食を食べた女性を助けようと苦しんだあの少年。
……犀潟智也の笑顔と共に、朝食時の会話を思い出して違和感に包まれたのだ。
“アレスと戦った時、スフィダンテは成層圏から急降下してアレスに肉薄したと聞いた。”
何故今回は急降下で接近せずに神州の格納庫で大事に大事にされている?
リバティ・ギアが故障したなど聞いた事が無い以上、スフィダンテは出撃のタイミングを待っているとしか考えられぬが、神州がヘラ本体の直上まで近付けない以上は意味を成さぬ行為。時間が経てば妾が根負けするとでも思っているのか?
もしかして今回はスフィダンテを出さぬのか?
いや、リバティ・ギアの戦いにそれはあり得ぬ
ならばいつ出す? どのタイミングをもって出撃させる?
もしかして、もしかしてあの魔力紋がデコイだとしたら、既にスフィダンテは……まさか!
エリーズがヘラの防衛システムウィンドウ画面を慌てて左手で払いのけて、運用システムウィンドウを右手でフリックした途端、轟音と共に襲って来た巨大な振動で背後に吹っ飛んだのだ。
『警告、警告! 最下層多目的格納庫に巨大魔力紋反応出現。解析の結果、敵リバティ・ギア・スフィダンテと判明! 』
床に額を打ち付けたのか、左の頬に鮮血が滴り落ちるエリーズは、生まれたての子鹿のようにヨロヨロと危なげに立ち上がる。
だが未だにその事実が受け入れられずにショックを抱いたままなのか、警告音にかき消されそうな弱々しい声であり得ぬと一言だけ漏らし、目は虚ろなままであった。




