40 動き出す世界
首都東京の昼下がり
相変わらず残暑の厳しい街中は、汗を拭ったり日傘で日差しを避ける人々が往来しているのだが、不思議と今日は人の流れが重い。
道行く人々は立ち止まっては顔を上げ、見上げては見詰め、見詰めては雑踏に押されて再び歩き出すの繰り返し。
老いも若きも性すら関係無く、前を向いて歩くのにいささかの注意力が散漫となっていたのには理由がある。
ーービルの壁に据えられた大型ワイドビジョン、それが映し出すテレビの緊急ニュースに人々は目を奪われていたのだ
『……今映像が入って来ました! 新潟県城ノ岬市にある城ノ岬港です。民間フェリーや高速船が次々と入港してレアアース採掘基地の従業員を港に降ろしています! この後避難民たちはバスに収容され長野県側に……』
『こちら城ノ岬市営運動公園です。自家用車での高台避難が困難な高齢者を対象に、自衛隊の大型ヘリ輸送が始まりました! 』
『先程、城ノ岬市役所の避難対策本部から発表がありました。市民の高台避難は八割強が済んで今も進行中だそうです』
『新潟県の篠原知事から追加発表がありました、津波想定被害地区の追加です。これから読み上げる地域にお住まいの皆様は……』
テレビが大騒ぎしている理由は一つ。ソ連軍リバティ・ギアから宣言された退避勧告に従っての住民避難。
佐渡ヶ島沖にあるレアアース採掘基地の武力占領を通告して来た異世界ソ連軍が、侵攻開始まで二十四時間の猶予を与えて来た事がきっかけで始まった避難措置であり、どうやら順調に避難作業は進んでいる状況を鑑みれば、民間人の生命に被害が及ぶ事は回避出来そうだ。
ただ、あの巨大なリバティ・ギアが洋上で墜落した際の津波被害も指摘された事から、採掘基地の従事者と佐渡ヶ島住民そして日本海沿岸部の住民全てが避難の対象となったため、日本だけではなく世界中が大騒ぎになったのである。
テレビは国営だけでなく民放局も通常番組を差し替えて特別番組としてニュースを流し続け、新聞は号外を発行しては次々と街中にばら撒いている。
その報道内容はヒステリックと表現しても過言では無いほどで、やれ避難のバスが渋滞するのが気に入らないだの、やれ高台の避難場所に車が入りきらないだと、挙げ句の果てには逃げ遅れた住民たちにインタビューを取ろうとして取材班が勝手に禁止区域へ侵入する始末。
這々の体で逃げ出して来た人々にマイクを向けて「今、どんなお気持ちか」と質問する無神経さは相変わらずのようである。
テレビやラジオ、新聞などのニュース。そしてインターネットのニュース記事は日本海で起きた異世界ソ連軍の侵攻だらけ。そしてそれは日本国内においてのみではなく、世界中が驚異と感心を持って動向を見詰める重大事件となっていた。
東京都赤坂にある駐日アメリカ大使館
日本と安全保障条約を結ぶアメリカは、日本海に突如現れた巨大な物体と、その物体が本日の午前中に侵攻を通告して来た事件で、てんやわんやの大騒ぎになっているかと思ったら実はそうでも無い。
大使館に出入りする車も普段通りまばらであり、大使館内を行き交う人々も普段通りの数。ホールに据えられたテレビを眺める職員たちはいるものの、電話もさほど鳴る事は無く、慌てるどころか落ち着き払っていた。
ベリンダ・カーライル駐日大使も職員たちと同じく、専用オフィスの定位置にドカリと腰を据えて落ち着いた様子。普段との違いがあるならば、応接用のソファに一組の男女が座っている事だけであり、その二人も大使と視線を同じくテレビ画面に見入っていた。
(日本海で推定十五メートル以上の津波が発生する可能性を受けて、ロシアのルキヤノヴィチ首相は沿岸部住民への避難に対して海軍の極東艦隊を派遣する事を指示。日本政府に対しては巨大質量体に対する包囲作戦を提案、軍隊派遣は惜しみなく行う旨を提案した)
(中国共産党の武報道官は先程、日本政府に対して、東シナ海にて完熟航行中の戦略空母西安を、自衛隊の作戦に協力するため日本海に進路を向ける用意がある事を発表。日本政府側の返答はまだのようです)
(フランスのランペール大統領は緊急の声明を発表し、日本海に現れた異世界ソ連軍に対し日米安全保障条約をもって自衛隊とアメリカ軍が応戦する事は望ましくなく、世界規模の敵に相対するのは国連平和維持軍であるべきだと主張しました)
日本のマスメディアがパニックとも乱痴気騒ぎとも言えるような加熱報道を繰り広げる中、カーライル駐日大使とゲスト二人が見詰める衛星チャンネルの極東ニュースは、避難の中継と共に刻一刻と状況が変わりつつある世界情勢をも報じている。
「ロシア、中国、EUにエトセトラエトセトラ……賑やかなもんだね」
「みんな知ってるのよ、あの巨大質量体が実は宝の山だって。5Gネットの権利やら不均衡貿易の是正なんて表向きでは言ってても、各国の一番の関心事はプレイヤー・ウィール。現代に現れた魔法アイテムが欲しくて喉から手が出てるのよ」
応接ソファでくつろぐ男女が皮肉めいた会話を重ねていると、カーライル大使のデスク上に据えてある電話ではなく「引き出しの中にしまわれた電話」が鳴り出した。
「……カーライルです」
大使はゲストの二人に目配せをしながら引き出しを開けて受話器を取る。そして何度か丁寧に分かりましたと返事を繰り返しており、ゲストの二人も大使の会話が気になるのか、テレビそっちのけで大使の表情を伺っている。
「承知致しました、ミスター・プレジデント。プロジェクト・メイデン(乙女作戦)を発動させます」
そのプロジェクト・メイデンと言うキーワードがゲスト二人の琴線に触れたのか、二人はガバッとソファから立ち上がり大使のデスクの前へ。大使も通話が終わったのか受話器を置いて二人を見上げる。
「大統領命令が出た。つまり君たちは只今をもって大使館職員ではなくなった事を意味する」
それが既定路線であったのか二人は驚きもせず、口元に笑みを浮かべながらジョークを飛ばす。
「ホワイトカラーのお堅いキャリアともお別れか。俺に合った仕事だと思って結構気に入ってたんだけどなあ」
「ふふ、あなたのネクタイ姿なんてまるっきり似合ってなかったけどね。あなたは砂漠を匍匐前進して、全身砂だらけにしてる方がお似合いよ」
あまりこの手のジョークが好きではないのか、大使は二人のやり取りに釣られる事はなく、真剣な顔付きで具体的な指示だけを口にした。
「既に太平洋艦隊の第5空母打撃群は津軽海峡を抜けて日本海に入っている。旗艦ロナルド・レーガンへの乗船許可は出ているから、横須賀基地から飛べ」
「分かりました」
「今までご助力頂き感謝致します」
二人は大使と握手を交わし、踵を返してオフィスから出て行こうとする。
すると気楽そうなこの二人を心配したのか、カーライルは入り口で二人を呼び止めたのだ。
「以後君たちの活動権限はCIAに戻るが、君たちと乙女が横須賀基地に到着するまでが私の責任の範囲だ。日本だからと言って油断するな、敵国のヒューミント (スパイ)は必ずいるぞ」
心に留めておきますと神妙な顔で答えながら、やがて二人はオフィスを後にした。
一人になったカーライル大使、再びテレビの報道番組に目を向けるも、先ほどとは様子が変わり何やら想いに耽っているようにも見える。
日米安全保障条約履行の大統領宣言より先立って、内密に日本海佐渡ヶ島沖に第5空母打撃群を派遣させる交渉を行い、日本政府とは何度も折衝を重ねて巡空艦神州に「乙女」を乗船させる許可も得た。
神州は作戦行動中なので今すぐに乙女を乗せる訳には行かず空母ロナルド・レーガンで待機させろと大統領から指示が出たのだが……
「いかんな、世界が動いている事で私も浮き足立っているようだ」
立ち上がって応接セットへ足を運ぶ
テーブルの上に置かれた高級なコニャックを手にグラスへと一口分注いだ。それをクイッと喉に通して小さくため息を吐く。
「……合衆国が初めて手にするリバティ・ギア。この世界が有するスフィダンテに次いで二機目となる神器。何事もなく誕生してほしいものだ」
ーー大使は「乙女」の無事を祈っていたのである




