27 クレムリンの深淵にて
“クレムリン”とは、ソビエト社会主義共和国連邦の首都モスクワにある帝政ロシア時代に建造された巨大な宮殿である。
それだけを耳にした者は、世界遺産の一つとして悠久と激動の時代を見守って来た壮大な歴史建造物に想いを馳せるかも知れないが、今現在その歴史建造物の中にどのような人々が集っているか、そしてその人々が何を話し合っているかで、イメージはどんどんと変わって行く。
今このクレムリンに置かれている組織は、異世界にもその版図を広げた巨大国家ソ連の中枢である、ソ連共産党の「中央委員会」事務局。
つまりは全ソ連に影響力を持つ、人々の生命財産を握る頂点に立つ者たちがそこに集う魔王の城……魔王城がクレムリンであったのだ。
まるで王族の寝所のような豪奢な調度品とシャンデリアに飾られたクレムリン宮殿内のとある部屋。
博物館にそのまま展示しても間違い無く観光客の注目を一手に浴びるようなその豪華な部屋の中心に、場違いで無骨な長方形の木造テーブルが置かれている。
そのテーブルを前に席に座る男たちは、“上座”に位置する立派な口髭の男性の鋭い視線をことさら気にしながらも、余計な事は絶対に言わないぞと酷く緊張した面持ちで、場の流れを伺っていた。
この上座に座る男性はソビエト共産党の中央委員会書記……つまり書記長と言う名の国家最高責任者であり、名前はキリール・ドロシェンコ。十七年にも渡る長期政権を維持しながら、異世界侵略戦争を発起しつつ継続させる人物である。
そして今日はドロシェンコに呼び出された党役員と各委員会の委員長が、緊急の議題を前に神妙な顔を付き合わせていたのだ。
共産党の政治局、書記局、組織局などの上級委員たちと、中央委員会の軍事部部長と宣伝部部長が呼ばれ、ドロシェンコから突き付けられた議題は一つ『リバティ・ギア、スフィダンテを有する事となった、異世界日本に対する対応』
まだプレイヤー・ウィールによる魔力発現の仕組みも知らない辺境異世界の国が、リバティ・ギアと巡空艦を有した事による今後の変化と、ソ連が取るべき対応について論じる事を求められていたのだ。
ーーアレスを失った事は非常に嘆かわしく、敵の亡命者たちを責めるよりも、日本自治州軍まで借り出しておいておめおめ還って来た、極東艦隊の無能さを責める事とする。そして同志諸君らには今後我々が辺境日本に対してどういう態度で臨むのが好ましいのか意見を聞きたいのだーー
このドロシェンコの議論開始の枕言葉を皮切りに、辺境日本許すべからずと主戦論を唱えたのはもちろん軍部。中央委員会軍事部部長の ビチャーチンと、政治局局長のズダカーエフの二人。
翻って遠い辺境のポンコツリバティ・ギアなど相手にするよりも、他に喫緊の課題が山積みだと厭戦論を唱えたのが組織局の局長ザスラフスキーと、中央委員会宣伝部部長のイグナトコフの二人。
他の会議参加者は明確な旗印を掲げる事無く、沈黙や曖昧な返答に終始して腹の内を明かそうとはしない。
主戦論派の詳しい主張とはこうだ。
『リバティ・ギアのアレスタイプは、契約者こそ新人ではあったがその戦力の可能性は計り知れず、いずれはソ連保有のリバティ・ギア軍団の中核を担うはずの機体だった。それが撃破されたなどもっての外で、ソビエトの報復は当然である。
また魔力の存在に無知な世界で、プレイヤー・ウィールすら開発されていない世界であるならば、我らが率先して侵攻し、その世界を全て共産世界化するのは容易い。今が全面的軍事侵攻の好機である』
様々な異世界を股にかける超巨大共産主義国家側とすれば、面子を潰された事に対しては過剰に反応するのは当然。
また明確な敵となったその辺境日本がある世界が、魔法すら知らない未だ“発展途上世界”であるならば、侵略した後に巨大国家運営の資源調達先として抜群の魅力がある。ーーそれが主戦派の主張の根幹なのだ。
これらに対して厭戦論派の主張とはこうだ。
『今我々はナチスドイツ世界と全面戦争中である。第二次世界大戦に勝利して西暦二千年を繁栄で迎えたナチスドイツは、我々共産主義世界とその思想に対して絶対に理解を示す事の無い、一方の絶滅を目的とした絶滅戦を継続している。
X・Y・Zの三次元軸でも、我々と近しい次元にあるナチスドイツ世界に対して今は戦力を集中すべきで、辺境日本のポンコツリバティ・ギアは当面の間動向を探るだけで良い』
異次元世界同士の人類淘汰戦争が始まってから、我々ソビエトと時期を同じくしてナチスドイツが統べる世界が頭角を現した。
近い次元に存在するそれは比較的次元境界跳躍も容易であり、既に国家社会主義ドイツ労働者党世界との全面戦争が始まっている。
【異次元ワルシャワ条約機構】の中心旗艦国として、他の衛星世界国家に肩を並べて軍事侵攻を行う義務があり、戦力のいたずらな分散は条約批准世界の信用を失い戦線が崩壊する可能性がある。ーー戦争状態を嫌がったり平和を求める「厭戦」論ではなく、いたずらな戦線拡大を危惧した意見なのだ。
どちらの意見も、その立場からの正統な主張であり、正否を断じる事の出来ない論戦へと突入した。
論じる側も粛清の恐れがある以上、口角に泡を吹かせながら必死になって主張を繰り返し、日和見だった者たちも次第にどちらかの主張に傾き、やがては完全なる二極化に意見は分かれてしまったのである。
双方が一切妥協しない平行線の議論。本来それを取りまとめる側の議長であるならば、果てしなく延々と続くこの無駄な時間に辟易として、議論の一本化を模索するのであろうが、このドロシェンコ書記長は何かが違う。繰り返される双方の主張を楽しげに聞いているのだ。
遠回しで迂遠な言い方や、相手を激昂させないための言葉濁しなど……延々と語り合わせる事でそれらの贅肉を削ぎ落として核心を語らせようとしているのであろうが、なかなかに趣味が悪い人物のようである。
「うむ、議論は出尽くしたようだね」
気が遠くなるほど時間経過を身体に感じながら、幹部たちはドロシェンコの笑顔と締めの言葉に安堵する。不興を買う事は無かった、私は粛清を免れたと言う命に直結する安堵だ。
「同志諸君らの有益な意見を聞きながら、私も一案練ってみた。こんな対応でどうだろうか? 」
目の前にある冷めた紅茶をぐいっと飲み干した後、ニヤリと口元に笑みをこぼしながらウォッカが入った小瓶を服のポケットから取り出す。
そして小瓶の蓋を開けてティーカップに当たり前のように注いでそれを嬉しそうに一口。……もったいつけながらドロシェンコはようやく自分の意見を披露し始めた。
「ソビエトに敗北は許されない、断じて許されない。これは我ら労働者の不文律だからね。よって辺境世界の日本を座視はしない、そしてナチスドイツとも全面的に闘う。……そこでだ、日本には“アレ”を送り込もう」
アレと言う言葉が何を指しているのかさっぱり分からず、幹部たちは堅い表情を一切変えていない。迎合も出来なければ分かりませんとも言えない状況が今であり、尻を浮かしながらドロシェンコの決めの言葉を待つしかないのだ。
「ちょうど補給で還って来たリバティ・ギアが一機あるだろうに。ええと……ヘラ! ヘラを派遣させれば良いよ、それなら艦隊の護衛や余計な戦力投入も必要あるまい」
“リバティ・ギア・ヘラタイプを辺境日本へ! ”
ドロシェンコの言葉の意味を噛み締めながら、幹部たちは誰もが満足げにうなづき、恐怖の象徴でもある書記長に向かって賛意を示した。
次元境界跳躍能力を有するソ連艦隊、その移送や護衛も付けずにリバティ・ギアのヘラタイプを単身で派遣する……
この一見無謀にも見える作戦が何を意味するのか今は分かりかねるのだが、このドロシェンコ書記長の自画自賛をたっぷり含んだ不気味な笑みが、スフィダンテと巡空艦神州に危機が迫っている事を表しているのは間違いの無い事実であったのだ。




