113
作者:ataru
新しく入らせていただきました、ataruと申します。これからよろしくお願い致します。
荷物をトラックへ搬入する作業が一通り終わり、ほっと一息ついていると、息子の尊が私の服の裾を引っ張った。私に見せたいものがあるらしい。
これだよ、と満面の笑みで指さしたのは、荷物を搬入し終わった引っ越し業者のトラックだった。ただのトラックじゃないか、と言うと、
「ただのトラックじゃないよ! ちゃんと見て!」
と、私をトラックの近くへ引き寄せた。
一見すると普通のトラックだが、何か変わったものでもあるのだろうか。目で探してみると、後部に取り付けられたナンバープレートに目が留まった。
新宿300、せ-113。
「あ。ああ‥‥‥」
「大事な日なんでしょ?」
尊の言葉にそうだなと応えながら、今まで今日が1月13日だということを忘れていたことが、途端に恥ずかしくなった。
「特別な日なんですか?」
引っ越し業者の芹沢さんが笑顔で訊いてくる。私は恥じらいながら答える。
「ええ。――今日は妻との結婚記念日なんです」
「え、そうなんですか!」
「はい、でも忙しくて忘れてました」
芹沢さんは口を隠してフフフと笑う。私もつられて苦笑する。
何で今まで忘れてたんだろうな、と我ながら不思議に思う。きっと写真の中の妻も「呆れたもんだわ」と苦笑していることだろう。それしにても、息子はよく今日の事を覚えていたものだ。
「パパ、いつもこの日が近づくと言ってたじゃん。ママに会えなくて寂しいなって」
「そうだったな」
子供は意外と、親の事をよく見ているものだと思った。
全ての作業が終わり、私達は業者と共に引っ越し先へ出発した。尊がどうしてもトラックに乗ってみたいとぐずるので、私は許可を貰って、尊とトラックの助手席に乗らせてもらった。
「わあ、速い速い!」
「でしょう? このトラックはウサイン・ボルトより速く走れるんだよ!」
「ええ、すごーい!」
私の膝の上に乗った尊が、窓の外を見ながらはしゃぐ。私は「こら、あまりはしゃぐんじゃないよ」と言い聞かせた。
「何かすみませんね、芹沢さん。こんなわがまま聞いて下さって」
「いいんですよ。尊君が喜んでくれて何よりです!」
芹沢さんは輝くような笑顔で応えた。
私も車窓から、遠ざかっていく旧我が家を見届ける。
思えば、妻が亡くなってから2年が経ち、尊も小学校に入学する年になった。色々なことが目まぐるしく流れて、気付けば妻との結婚記念日の事も忘れかけていた。
今も大変だけど、妻と一緒にいる時はもっと大変だったな、と思う。
仲が良かったことももちろんたくさんあるが、小さなことで喧嘩してしまったこともたくさんあった。そのたびに仲直りはするが、喧嘩するときはするときで大騒ぎだ。喧嘩するほど仲が良いとはいうが、喧嘩することが必ずしもいいものではないなと思って、私はため息をつく。
芹沢さんが訊いてくる。
「奥さんとは、仲がよろしかったんですか?」
「え? ええ、まあ。仲が良いっていうか、喧嘩してばっかりだったんですけど」
「喧嘩?」
「はい、とはいっても、どうでもいいことばかりでしたが。例えば、賞味期限を過ぎた食品を置いてたら、『何で腐ったものをいつまでも置いとくのよ!』って血相変えてとびこんできたり。帰りがちょっと遅いと『どこか飲みにでも行ってんじゃないでしょうね!?』って目を三角にして疑われたり。‥‥‥こっちはとりなすのに一苦労でしたよ」
「それ言ったらママに怒られるよ」
「うるさい」
ニヤニヤしながらはやす尊の頭をはたいてみせる。同時に「恐妻家なんですね」という芹沢さんの言葉が妙にずっしりきて、私は再び苦笑する。
「でも、奥さんって結構優しい人なんじゃないですか? 賞味期限を気にしたり旦那さんに早く帰ってきてほしいと願うのは、子供の健康を気にしたり、家族で一緒にいる時間を大事にしたりしてるってことじゃないかなと思います」
芹沢さんの言葉に、私はなるほど、と納得した。
言われてみれば確かにそうかもしれない。妻は尊にはとても優しい人だったから。妻と一緒にいた時は、なぜ尊にばかり甘い態度をとるのかと少し妬いていたこともあったが。それくらい妻は家族の事を大事にしていたんだな、と思う。
そう思うと、私は何だかしんみりとした気持ちになった。あの時の賑やかさや、喧嘩したときのドタバタをふと思い出す。
「奥さんはいつごろ亡くなったんですか?」
「二年ほど前の事です。尊を保育園へ送っていった帰り、交通事故に遭って」
「‥‥‥そうなんですね」
気のせいか、芹沢さんの声のトーンが、さっきと違って低いように感じられた。
「知ってました。ニュースでもありましたし、そのぶつかったトラックの会社に私も勤務していましたから」
私ははっとなって芹沢さんの方を見る。芹沢さんは、何かをこらえているような表情だった。
私はあまり言いたくないことを言う。
「‥‥‥私たちの事、分かってたんですか」
「確信はありませんでしたが。でも苗字も同じだったし、運ぶときに拝見させていただいた仏壇の写真で分かりました」
芹沢さんは少しうつむく。ハンドルを持つ手が、少し震えているのが分かった。
私は少し考えて、芹沢さんに言った。
「ごめんなさいは言わなくていいです。罪悪感は消えないでしょうけど‥‥‥あの事故であなたたちを恨むなんてことは、私達はしません」
「‥‥‥で、でも」
「死んでしまったら、もうどうすることもできませんから」
芹沢さんは顔を上げ、こちらの方を見た。私は続ける。
「妻が亡くなったことはもちろん悲しいです。でも、それで加害者を恨んでばかりいて、ずっと負の感情を持ち続けていたら、幸せに生きることなんてできませんから。それに、恨んでも消えた命は帰って来ないことは分かっています」
「‥‥‥‥」
「ですから、芹沢さんはそんなに気に病まないでください」
芹沢さんは少し考えると、「分かりました」とあの輝くような笑顔で応えた。
トラックは走り続ける。
引っ越し先に着き、私は業者と一緒に荷物を新居へ運び込む。
妻の仏壇を置き整理していると、仏壇の奥から折り畳まれた紙のようなものを見つけた。
何だこれは?
不思議に思いながら紙を開いてみる。
くれぐれも、結婚記念日を忘れたりしないように!
ママ
「ああ! ママからの手紙だ!」
いつの間にか私の側にいた尊が、手紙を見てはしゃいだ。芹沢さんも「生前に隠しておいてたんですね」と笑う。
頭が痛くなりながらも、私の心の中は不思議と明るかった。