第八話 男女逢着
起きて、食べて、走って、食べて、走って、食べて、寝る。
もう何度繰り返したかわからないルーチンワーク。
ここ数日、ろくに言葉も発していない。
食料も底を尽きたので、新たにモンスターを落下させて肉を焼いた。
谷の水がなければ、今頃は干物になっていただろうな。
空腹のあまり、スライムゼリーとやらにも手を出したが、予想以上に美味だった。
邪神像の生成にも磨きがかかり、千通りの表情、一万通りのプロポーション、
三万通りのポーズ、五万通りのコーデを生み出してしまった。
ダンボール箱を石で再現し、幼女の像にかぶせたりもした。
そんなことはどうでもいい。俺はいつまで走り続ければいいんだ。
『走れメロス』の主人公の十倍以上は走っただろう。
メロスは川を泳いだり、山賊に襲われたり、親友を人質に取られていたりした。
俺はといえば、ただ走るだけで何一つ変化はなく、生きるためだけに走り続けている。
退屈は、時に苦難よりも人を苦しめるのだ。暇すぎて死ぬほど辛い。
俺は終わりの見えない道を走る。
すでに邪神像はフルオートで生産されており、止める方が難しかったりする。
刺激のない日々に、何か変化はないだろうか。
地面に草が生え、走りにくくなったのは余計な変化だが。
「……え?」
ちょっと待て、今までずっと岩の上を走っていたよな。
それが草の生えた土に変わったということは……
「峡谷を……ついに脱出したのか」
相変わらず表情には出さないが、心では欣喜雀躍、スズメが飛び跳ねるように喜んでいる。
なるほど、邪神像がボロボロと崩れていくのも、土を使っていれば当然か。
時刻は早朝、爽やかな風が草木を波のように揺らす。
広がる大草原を見て、俺は感動した。
後ろを見ると、遠くにある谷の跡が目に入る。
俺は谷から逃げるようにペースを上げ、草原のサンプルを収納していった。
飢えた時には、草を食べる日が来るかもしれないしな。
****
そのまま進んでいると、遠くに森のようなものが見えてくる。
貴重な木材を確保できるチャンスなので、森を丸ごと収納しようと思ったが、さすがにやめておいた。
森に入ると、一部の木々が倒壊していることに気づく。
まるで嵐が通ったかのような有様だ。
そんなことはおかまいなしに、木を片っ端から収納していった。
そのまま木造の邪神像を形成し、俺は心から満足する。
幼女の像を作っていると、なんだか安心するんだよな。
ガサガサッ
「ウホウホヒャハー!」
突然、頭上の木から白いゴリラが飛び降りてきた。
やけにテンションが高そうな鳴き声だ。
腕の筋肉がかなり発達しており、殴られたら痛そうである。
「おはよう。何か用か?」
「ウホホホホーイ!」
「チッ、収納」
パッ!
挨拶を無視して殴りかかってきたので、構えていた箱に収納する。
ゴリラって食えるのかな。
あの鍛えられた筋肉、プロテインが豊富で美味しそうだ。
それは後にするとして、早く村とか街とかに行ってみたい。
やはり人間、一人では生きていけないようだ。
ぼっちやニートも、両親の助けがなければ飯さえ食べられない。
金があっても、スーパーやレストランを経営する人たちがいなければ餓死する。
走るのをやめ、周囲を警戒しながら森を歩く。
腹が減ってきたので、調理せずに食べれそうなものを探す。
たくさんあるのは、木の葉っぱか、足元の雑草くらいか。
よく考えたら、ここ最近肉ばっかり食べてたよな。
俺は足元の草花をむしり、じっと見つめた。
見たことのない品種だが、レンゲソウに似ている。
毒がないことを祈り、少しだけ口に含むと、期待を裏切らない苦い味がした。
なんというか、さすが雑草、クセになる苦味だ。
削った岩塩をふりかけて、一気に頰張る。
「むしゃむしゃ。うん、悪くない。食用に適している気がする」
小学生の頃、道端に生えていた春秋の七草を味見した俺が言うんだ、間違いない。
にしても、やはり塩は恐ろしい調味料だ。
量次第で料理が変貌する。
俺は久しぶりの野菜、というか草を貪るように食べた。
雑草も捨てたもんじゃない。
「もぐもぐぱくもぐ、うまいなこれ。いっそ森に住もうか」
「あの、あなた……何してるの?」
「へ?」
草をごくんと飲み込み、声がした方を向く。
そこには、森と同じ緑色の長髪をした、やや巨乳の美少女がいた。
不審者を見るような視線が俺に突き刺さる。
さすがにゲーム世界の人間も、雑草に手は出さないのだろうか。
「こんにちは。俺はハコヤ、高校生だ。君は?」
「いや、あなたが食べたそれ、毒草よ」
「……何か言った?」
「だから、毒草だって言ってるの。クイージーレンゲ、腹痛を引き起こす毒草だわ」
聞かなかったことをしよう。現実逃避のつもりで、少女を観察する。
上品なサンダル、純白のワンピース、整った顔立ち、そして麦わら帽子。
この清楚な雰囲気、身分の高い人なのだろうか。
俺も負けじとダンボール箱をかぶる。
「あの、さっきから何なの? 早く吐かないと手遅れになるわよ」
「吐くの? もったいないな」
躊躇していると、麦わら少女がこちらに近づいてくる。
……おい。その、今にも蹴ろうとしている感じの構えは何だ。
「歯を食いしばってね。舌噛むわよ」
「え、ちょーー」
ドゴンッ!
腹蹴りが決まり、爽快な音が森に響き渡る。
なされるがままに吹き飛ばされ、背後の木に叩きつけられた俺は激痛を感じた。
「おえええええ」
じんじん痛む腹を押さえながら、俺は反射的に胃の中身を大地にぶちまける。
久しぶりの嘔吐は、涙が出るほど気持ち悪かった。
「汚いわね。早く離れましょう」
「君のせいだろ……」
水を召喚して口をすすぎ、俺もその場から離れる。ダンボールの回収も忘れない。
ふと彼女の背中を見ると、先端の白いモフモフな尻尾が二つ生えていた。
緑色だが、狐の尻尾に似ているな。
一本に触ろうとすると、ひょいとかわされた。
「触らないでくれる? 尻尾は敏感なの」
「あ、すまない。尻尾が生えた女の子って初めて見たから、つい」
「そんなに珍しくないわよ。あなた、ハコヤさんだっけ。迷宮都市の冒険者?」
うわ、意味のわからない質問きちゃったよ。
ゲームとかそこまで詳しくないし、冒険者ってなんだ?
ひょっとして、これは異世界転移というやつだろうか。
くそう、ラノベとか読んでおけばよかった。
いや待て、もしこの世界がゲームの世界なら、俺以外にもプレイヤーはいるかもしれない。
一度この人に聞いてみよう。
「俺は不本意ながら、このゲームに巻き込まれた高校生なんだ。ログアウトする方法、教えてくれないか?」
「ろぐあうと? もしかして、さっきの蹴りで頭がおかしくなったのかしら」
期待した俺が馬鹿だった。こいつは異世界の住人だ。
尻尾とか生えてるし、髪が緑色だし、蹴りも強烈だし。
こんな少女が現実の世界に存在していいわけがない。
とはいえ、俺も今さら日本に帰りたいわけではない。
確かにあそこは安全だが、京子さんに合わせる顔がないしな。
「引き止めて悪かった。じゃ、さようなら」
「ま、待ちなさいよ! か弱い美少女が武器も持たずに、森で遭難しているのよ? あなたが男なら、とる行動は一つよね」
人のいない森、丸腰の美少女、二人っきりのシチュエーション。
普通の男なら襲いかかるだろう。
あいにく俺は童貞で、京子さん以外の女性は眼中にない。
そもそも自分のことを美少女と呼ぶ女など、誰が信用するんだ?
まあ、尻尾生えてるから許そう。悔しいけどモフモフしたい。
いずれにせよ、早く食料を集めないとな。
人を食べるのはさすがに御免なので、この少女は無視するのが得策だろう。
「ゴリラとか出るから気をつけなよ。じゃあね」
「だーかーらー、私を助けなさいって言ってるでしょ!」
言ってないよ。一言も言ってないよ。
面倒なので逃げようとしたら、がしりと足にしがみつかれる。
「ハコヤさん、お・ね・が・い」
「…………」
ゾッと鳥肌が立った。頑張って払いのけようとしたが、力が意外と強い。
踏んでも蹴っても無駄だったので、諦めるしかなかった。
最近の女の子は想像以上にタフらしい。
「わかった、わかったから離れてくれ」
「最初からそうすればいいじゃないの」
少女はようやく足から手を離し、服の汚れを払いながら立ち上がる。
今すぐにでも収納したい衝動に駆られたが、話くらいは聞いてやろう。
ついでに食料をねだればいい。肉や草ばかりだと飽きるしな。
俺は少女と対面しながら腰を下ろし、彼女の話に耳を傾けた。