第五話 竜火調理
人間、生きていれば、必ずドラゴンと向き合う日が来る。
俺にとって、それが今日だったというだけの話だ。
肉を焼くのも命がけ。でも、それが普通だと思えばいいんだ。
今までの自分はぬるま湯に浸かっていただけで、夢を見ていただけだと信じ込む。
目を覚まし、世界に順応する。よし、覚悟は決まった。
「レッドドラゴン、召喚」
自分に固唾を飲む暇も与えず、遠くに竜を召喚する。
ゆうに5メートルを超える赤い巨体。
慣性は保存されていたらしく、猛スピードでこちらに迫ってくる。
初めは相手も戸惑っていたが、俺を敵と認識したのか、口を開いて噛みつこうとしてきた。
「ガァァァ!!」
「欲しいのは牙じゃなくて炎だ。収納、地面に向かって解放」
ギリギリのタイミングで竜を消し、方向を変えて召喚する。
「ガァ!?」
硬い岩の地面に、勢い良く飛び込んだ竜はーー
ドガァァァァァン!!
ものすごい音を立てて激突した。
地表が砕け散り、俺は飛んできた破片を慌てて収納する。
さすがアイテムボックス、防御もお手の物だ。
「危ない危ない。さあ、炎はまだか?」
ドラゴンは再び飛び上がり、空を旋回してから戻って来る。
しかし、火を吐く様子は見せない。そもそも吐けないのか?
「ガオオォォ!」
「だから牙はいらないって。収納、解放」
ドゴォォォォン!!
闘牛士ってのはこういう気分なんだろうな。
格上の相手を騙し、操り、命がけの緊張感を上回る優越感を得られる。
ドラゴンは起き上がり、俺に向かって口を開いた。
あの動作は、もしや……
ボッ!
口に現れたのは、闇夜を照らす小さな灯火。
瞬く間に巨大化し、炎の息吹としてこちらに迫る。
「この時を待っていた。収納!」
炎を丸ごと吸い取るようなイメージ。
予想通り、炎が消えて周囲が暗くなる。
戸惑ったドラゴンは再び火を吹くが、俺は嬉々として迎い入れる。
その調子だ、もっと炎をよこせ。収納収納。
しかし、五回目で痺れを切らしたのか、ドラゴンは走って突っ込んでくる。
ここいらで潮時か。
「収納」
パッ!
突進してきたドラゴンを収納し、一息つく。
緊張したせいか、かなり腹が減ってしまった。
荒らされた地面から離れ、腰を下ろす。
地面を指でなぞり、清潔であることを確かめる。
岩は完璧に切断されており、砂一つ落ちていない。
「召喚、召喚、召喚、召喚……」
俺は生肉を丁寧に並べていく。
色は緑色とかではなく、普通に赤い。
見た目は豚肉に近いので、焼けば食べれるだろう。
「ファイヤーボール」
ボウッ!
真っ赤に光る業火が肉を炙る。
よし、俺も魔法を使えるようになったようだ。
……嘘だ。これはドラゴンの炎を召喚しただけである。
まあ、ばれない嘘イコール真実だ。
(肉はどうなった? 焦げてないだろうな)
熱気が収まるのを待ち、肉に駆け寄る。
すると、食欲をそそる香ばしい匂いが漂ってきた。
「うまく焼けてる……」
俺は無意識のうちによだれを垂らしていた。
手が勝手に伸び、俺は自然と肉にかぶりつく。
ほどよい噛み応えと、魂を吸い込まれるような風味。
こんなにうまい飯は久しぶりだ。
「なんだろう、この達成感」
日が沈んだ地平線を眺める。
雲と星に飾られた青黒い空と、月に照らされて青白く光る地面。
半月か。この世界にも月があるようで、なんだか安心した。
舌が慣れたのか、肉の味が薄くなった気がする。
俺は手頃な大きさの岩塩を召喚し、地面にぶつけて砕いた。
そこに肉を転がして、もう一度噛み付く。
やばい、ほっぺが落ちそうな味だ。
頬張っている間に他の肉も塩で味付けし、冷める前に収納しておく。
箱の中では時間が経過しないと思うが、念のための検証という意味合いもある。
たくさん食べて満足できたので、平地をまっすぐ歩くことにした。
時々ある深い段差は、俺が掘った地上絵のせいだろう……描かなきゃよかった。
しかし、その数メートルはある溝を飛び越えられたことには驚いた。
身体能力が二倍くらいに上昇している気がする。
****
地上絵を通過し、起伏のない地面が永遠に続く。
歩き続けてかれこれ三時間。なんだか眠くなってきた。
後ろを見ると、城のあった崖が未だ見えている。
それでも、マラソンを走って1キロで吐いた経験がある俺にしては上出来だ。
地面の一部を収納でくり抜き、取れた岩のブロックを削ってベッドを作る。
案外上手に作れたので、試しに石像も作ってみる。
まずは人間大のブロックを召喚し、ダンボールに邪神のホログラムを映し出す。
そのまま幼女をイメージして、岩の細部まで慎重に収納していく。
そして完成したのが、下着姿の等身大邪神像。
彼女が展開している薄い魔法陣まで、薄いタイルをくり抜いて再現してしまった。
日本で売れば、彫刻家として食っていける気がする。
俺はベッドに横たわる。石造なので痛いが、慣れればどうということはない。
ついでに屋根も岩で造形し、立派な寝床を作る。我ながら素晴らしい出来だ。
あ、別にわざわざこんなことしなくても、邪神の城を召喚すればよかったか。
とりあえず目を閉じ、前世のことを思い出す。
すでにこちらの世界に順応してしまったが、やはり故郷は恋しいな。
叔父さんは、こんな俺を見てどう思うだろうか。
二歳の頃に両親を失った俺を、彼は独身の身でありながら、大事に育ててくれた。
とても豪快な人だ。時に優しく、時に厳しく、本当の息子のように接してくれる。
俺にとっては、唯一無二の存在だった。
叔父さんは高級レストランの料理長をやっており、俺はよく手伝わされた。
初めは小遣い稼ぎのつもりだったのだが、叔父さんがやたら褒めてくれるので、手伝いが楽しくなった。
毎日続けていたら、料理を任されることも増えて、
数年続けていたら、オーナーがバイトとして雇うと言いだした。
俺が戸惑っていると、叔父は『さすがは俺の息子だ』と笑い、抱きしめてくれた。
そんな叔父さんも、俺が小学六年生の時に急逝した。
俺は泣いた。声に出して泣いた。涙が枯れても泣いた。
あの日以来、俺は一度も泣いていない。叔父さんに失礼だと思ったから。
次に俺の保護者となったのは、意外にもレストランのオーナーだった。
コックとして働くという条件付きだが、俺は喜んで引き受けた。
無表情を直すために、接客なども試してみたのだが、あまり効果はなかった。
中学校を卒業すると、俺は稼いだお金で高校に入り、一人暮らしをすることにした。
アナウンサーは高学歴だと聞いたので、頑張って名門に入った。
でも、俺の成績は下から数えた方が早かった。
モチベーションを上げるため、テレビ局の見学に行ったりしたが、逆に心が折れた。
応援してくれたオーナーには申し訳ないと思ったが、俺は夢を諦めた。
そのまま引きこもろうかと思ったが、京子さんが大量のメールを送ってきたので、仕方なく登校したんだっけ。
なんでこんな俺にかまってくれたのか、今でもわからない。
彼女に毎日挨拶されていたら、いつの間にか、自分が笑っていることに気づいた。
俺に感情を与えてくれた京子さんに、俺は自然に惚れていた。
遠目で見ているつもりだったが、彼女が隣に引っ越してきてから、俺は我慢できなくなった。
一緒に笑い、遊び、勉強することも多くなった。
突然俺の料理を食べたいと言われた時は面食らったが、すごく美味しそうに食べてくれた。
でも……数時間前に失恋した。
再び無表情という仮面をかぶり、俺は生きている。
もう誰にも頼らず、一人で生きていくべきだ。
このダンボール箱は、絶対に俺を裏切らない。
そんなことを考えながら、俺は眠りについた。