第二話 邪神収納
ドラゴン。それはゲームにおいて、中盤や終盤に出てくるであろう強敵。
食べようものなら返り討ちにあって、逆に食べられるかもしれない。
さっきは遠すぎて小さな鳥と見間違えたが、
収納後に脳内で見えた全貌は間違いなく、典型的な竜だった。
怖いので、ずっと収納したままにしておこう。
にしてもドラゴンが飛んでるとか、ここは秘境か何かだろうか。
生きていける気がしなくて、ますます憂鬱な気分になった。
俺は……何をすればいいんだ?
「誰でもいい、教えてくれ。俺はどうすればいいんだ!」
むしゃくしゃしたので、谷に向かって叫んだ。
五秒待った。返事はない。
十秒待った。返事はない。
風が強く吹き荒れ、俺が一人だということを実感する。
一人と二人、たいした差には見えない。
しかしそこには、この大峡谷のような隔たりがある。
京子さんが教えてくれた。幸せなぬくもりも、それを失った時の寒さも。
「……もう、忘れよう」
はぁ、ついセンチメンタルになってしまった。
京子さんに出会う前、俺は感情を表に出さないことが多かった。
喜びも悲しみも、誰にも気づかれない。
それに慣れてしまったのか、本当に感情に乏しくなってしまった。
まあ、そんな自分も嫌いじゃない。
ふと曇天を見上げる。遥か遠くを見ると、分厚い雲が途中で途絶えていた。
その向こうには赤みがかった空が広がっており、
いまの時刻が朝方か夕方のどちらかであるとだけわかった。
改めて後ろを向くと、さっき目にした城が見えた。
幻想的で美しい建物……と言いたいところだが、邪悪な気配が漂ってくる。
地球では味わえない、というか味わいたくもない新感覚だ。
さしずめ魔王の城、というやつか?
そうだ、なぜ気づかなかったんだ。
城を漁って食料を調達すればいいじゃないか。
そうと決まれば、城に突入するしかあるまい。
すぐそこにあるので、俺は足を進めた。
身の丈の三倍はある、壮麗な金属の扉だ。
箱を足元に置いてから、取っ手を力の限り引っ張る。
「重っ……」
わずかに開いたのはわかるが、最後まで開けられる自信はない。
仕方ない、ここはアイテムボックスを使うしかないな。
……いや、建造物は収納できないんじゃないか?
もしそんなことが可能なら、この世界のセキュリティはあってないようなものだ。
門や鍵は何の意味もなさず、番人も収納して入り放題である。
まあ、無理だろ。俺は冗談のつもりで箱を持ち上げた。
「……収納」
パッ!
どうしよう、消えちゃったよ……本当に消えちゃったよ……。
落ち着け俺、ここはゲームの世界だ。
け、警察官が追ってくるわけがなかろう。
もし来たとしても、ポーカーフェイスでやり過ごせばいい。
少しシミュレーションしてみよう。
「こんにちは。やましいことなんて、断じてしてないよ」
我ながら素晴らしい演技だ。ばれない、絶対にばれない。
それどころか、疑われすらしないだろう。
俺は急ぎながら堂々と不法侵入し、早歩きでカーペットの上を通る。
広い空間で、幸いなことに人はいないようだ。
しかし家事の達人である俺から見て、掃除が全然行き届いていない。
シンプルな内装のセンスこそ認めるが、積もった埃が我慢ならないな。
まったく、ここが自分の家なら徹夜で掃除していたところだ。
む、また扉が立ちふさがっているようだ。
隣に階段があるが、やはり扉が気になって仕方がない。
ということで開けようとしたのだが、何かが書いてある。
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これは邪神へとつながる最後の扉。
各地に潜む四天王を倒し、四つの宝珠をここに収めよ。
さすれば扉は開かれん。
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……どうやら俺は、ラスボスの城の前に放り出されたらしい。
どうせなら【始まりの街】とかそういう感じのところに飛ばしてくれよ。
宝珠を集めよとのことだが、扉に四つの穴が空いている。
ここに埋め込めばいいのはわかったが、そんなものは持っていない。
しかし、なんでわざわざこんな仕掛けを?
アイテムボックスを使えば誰でも入れるのに。
「収納」
扉が消え、中が丸見えになる。
中央に王座のようなものがあり、銀髪の幼女が座っているようだ。
とりあえず箱を構えたまま、前に出る。
「よく来たのじゃ、人間」
「こんにちは」
よかった、話はできるようだ。
俺が相手の立場なら、問答無用で襲いかかるがな。
「妾は邪神プラナ、人類を滅ぼす者じゃ。しかし、おぬしは来る時を間違えた」
「……はい?」
「早すぎると言っておるのじゃ。あと少しで真の力を取り戻し、本格的に侵攻を開始できるというのに」
来るのが早すぎたらしい。
俺にとっては絶好のチャンスかもしれないが、邪神が敵とは限らない。
「その、人類を嫌う理由を教えーー」
「そもそもおかしいのじゃ。四天王の魔力は消えてないのに、扉が急に消滅した。おぬし、本当に宝珠を四つ集めたのか?」
しまった、何か言い訳を考えろ。
……だめだ、思いつかない。
「そんなものはない」
俺は開き直った。
誰のセリフか忘れたが、一度言ってみたかったのだ。
「まあ良い、妾は力を取り戻していないのじゃ。全力を発揮できぬゆえ、相手はできぬ。帰れ」
「いや……人間にとっては、またとないチャンスなんじゃないか?」
「ぎくっ、それを知られたからには生きて返さんぞ。よく見れば丸腰のようじゃし、大した魔力も感じられないの。全く、焦って損したのじゃ」
見た目に違わず、器の小さい邪神だ。
ツノが生えただけの幼女なら、俺にも倒せるんじゃないか?
「そうじゃな、殺すだけではつまらぬ。下僕にでもしてやるのじゃ」
幼女が手を前に出すと、何かを唱え始める。
「ABCDEFGーー」
いきなりアルファベットとか意味がわからないが、あれはやばい。
本能が警鐘を鳴らしている。法隆寺の鐘のような音だ。
幼女が展開した魔法陣は、まさに圧巻の一言。
これが『魔力』というものなのだろうか、肌にひしひし伝わってくるくらいだ。
「HIJKLM……人間よ、滅多にお目にかかれぬM級暗黒魔法じゃ! 目に焼き付けるが良い、プリズン・オブ・アディクショーー」
「収納」
パッ!
「……ふう、危なかった。やはり女は信用ならない」
邪神と名乗った幼女はあっさりと消え、脳内のリストに加わった。
かっこいいポーズのまま硬直しており、美少女フィギュアのように鑑賞できる。
箱に幼女のホログラムを1/8スケールで映し出すこともできた。これはすごい。
なんだか誘拐犯と勘違いされそうで怖いが、相手は邪神だ、問題なかろう。
にしても、ラスボスまでアイテムボックスに収納できる時代になったのか。
剣も魔法も出番はなく、先に収納した方が勝ちという世界なんだろう。
俺も収納されないように注意しないと。