21-3
「改めて、これからもよろしくお願いします」
頭を下げるシドに、ヴァリアスの戸惑った気配が伝わる。
「……カルヴィアスも言ったが、呪われた私の側に不幸に見舞われる使用人がいてうまくやっていけるとは思えない。不吉な二人組みではないか」
どこまでも、シドの身を案じる優しい主人にシドは、はは、と声を上げて笑う。
「僕の『不幸』で身に着けた反射神経を先ほどご覧になったでしょう? 大丈夫です。『呪』で危なければ全力で逃げます。もし、それで怪我をしても………」
シドは一旦口を閉ざし、真摯な眼差しでヴァリアスの顔を見る。
「……ヴァリアス様の所為ではありません」
ゆっくりと、言葉が染み込むように、シドは穏やかな口調で語りかけた。
ヴァリアスはそんな言葉が来るとは予想していなかったのか、驚き、目を見開き、しばらくシドの顔を凝視していた。
「な……なにを……」
動揺し、ヴァリアスは掠れた声で呟くのが精一杯だった。
その言葉は一番欲しくて、一番聞ける事の無い、諦めていたもの。
愚かな。真っ先に浮かんだ言葉。
ああ、だがしかし、嬉しいと思うという気持ちはこのことだろうか。ぽっかりと明いた胸にゆるゆると言葉が染み込み、温かさを教えてくれる。
この男は未知の生き物だ。だから、私に対して恐怖を持たないのだ。それで、納得してしまえば良い。
そう思えば良いと言い聞かせたかった。けれども、ヴァリアスにもシドの気持ちが少しだけわかったような気がした。
彼もまた、『不幸』で苦労してきたのだろう。甲冑の兜が飛んでくるなんて普通ありえないことなのに、平然と避けていた。
違うが似ている。ヴァリアスはなんとも形容しがたい感情に囚われた。仲間意識だろうか、それとも彼に対する同情か。それらの言葉では形作れない、不思議な気持ち。ただ、困ったような嬉しいようなそんな表情になっていくのをヴァリアスはとめられなかった。
ヴァリアスは口元に、ほんの少しだけ笑みを浮かべた。
シドは彼の笑みを見て、目を丸くした。
「それです。ヴァリアス様、笑ってください」
「笑う?」
「笑うと幸せになるって常識らしいですよ? だから、僕達二人とも笑っていればいつか幸せが来るはずです」
腰に手をあてて胸を張ってシドが答える。
「どうやって笑えと?」
「僕が側にいるじゃないですか。一人じゃないってだけで、幸せになれるんですよ? それに、ヴァリアス様、今笑ってます」
「…………そうか」
自分が笑っていたことが信じられず、ヴァリアスはそっと手を口元にあてて確認する。
その様子をじっと見ていたシドに気がついてヴァリアスはばつが悪かった。
「何を見ている」
ぶっきらぼうに言うと、シドはわざとらしく空を見上げる。
「えー。そろそろ完全に落ちそうですね。……ああ、そうでした。ヴァリアス様。夕飯になにを作りましょうか?」
とってつけたような言葉だったが、これ以上じっと見られたくなかったヴァリアスもこれ幸いと話しに乗った。
「そうだな……高級料理なぞ望まん。好きに作れ」
「………えーと。じゃあ、食材と相談で作りますね? 下町料理になってしまいますけど」
「構わない。今日は、温かいうちに食そう……」
ヴァリアスの言葉に、シドは心温かくなった。
「はい」
シドの返事を聞き、ヴァリアスは踵を返し屋敷にもどろうと歩きだす。シドもその後ろに続き、ふとリエッタのことを思い出し、振り返った。
「あ、そうだ。リエッタさん……。あれ?」
シドの後ろには誰も居ない。
シドの言葉を聴き、ヴァリアスは立ち止まった。
「……シド」
「あ、はい。なんでしょうか?」
「……リエッタ、といったな。メイドか?」
「え? はい。そうですけど……」
まるで、ヴァリアスが知らないみたいに聞こえ、シドは首を傾げた。
「………そうか。………そういえば、カルヴィアスも言っていたが、この屋敷の幽霊話の一つを教えよう」
「……はい?」
急な話題にシドは瞬きをして、不思議に思った。
「いつの間にか側にいるメイド、と言う話がある。確か、カルヴィアスが言った使用人にしか見えないメイド、とも大体内容は同じだが……」
「メイド、さんですか?」
「そう。側にいるメイド、というのは屋敷主からみたはなしだ。屋敷を歩いているとメイドの姿をした者が時折視界の端に映ることがあるそうだ。そして、使用人にしか見えないメイドは、使用人だけしかいないときにだけ現れて、まるで同僚のように気さくに話しかけて来るそうだ」
「へ、へえ。そうなんですか……」
背中に冷や汗が流れる。シドは、まさか、そんな、と浮かび上がってくる考えを理性で否定する。
「共通しているのは大体二十代の女性で、甘栗色の髪を団子にしているそうだ」
「…………あの、何故その話を今ここでするのか、聞いても?」
ヴァリアスはシドの言葉に直ぐに返答せず、口を閉ざし、ちらりとシドの後ろを見る。すぐに視線を逸らし、ややあってから、目を細め、口を開いた。
「我が屋敷で雇っている使用人はお前だけだ、とだけ言っておく」
「……は、はは……」
「早く食事の準備を始めるといい」
そう言うと、ヴァリアスはすたすたと屋敷の中へと入っていってしまった。
取り残されたシドは、顔の表情筋が誤作動を起こしたように、無理やりの笑みのような表情で固まった。
突き動かしたのは、恐いもの見たさの好奇心か、それとも、そんなはずはない、と否定したかった気持ちだったのだろうか。ぎっぎっ、と錆び付いたおもちゃのように、ヴァリアスもちら見していた、自分の背後へとシドは視線を送る。
先ほどと同じ場所にメイドのリエッタがにっこりと微笑を浮かべて立っていた。
「り、リエッタさん」
「なぁに?」
首をかしげて、ことさら優しく言葉を返すリエッタになにやら言い知れぬざわめきのようなものを感じたが、どう見ても普通の人に見える。
そのことに軽く安堵の息を漏らしそうになった所で、視線を下にしたままシドは硬直した。
シドの視界は、あるべきものを捕らえていなかった。
驚愕し、リエッタの顔を見る。リエッタはそこにいる。けれども、視線を下にすれば、ふくらはぎまでは見えるのに、足が見えず地面が広がっている。
「………ぇ?」
シドの行動を疑問に思ったリエッタが視線を追うと、原因が解り、ぺろっと舌を出した。
「あら、やだ。気を抜きすぎちゃってたわ」
失敗失敗と呟くリエッタの足元があるはずの場所に指を挿してシドは戦慄いた。
「あ、足! リエッタさんの足が……。え? え?」
シドはリエッタの足元と顔へ何度も頭を動かす。
リエッタはぷるんとした魅力的な唇を三日月のようにして、にやりと笑う。まるで、悪戯が成功した子供が喜んでいるように。
「安心して良いわよ? 私、結構義理堅いんだから。さっき言いかけたけど、あの盗人共、見つけたのは良いけど、私の姿も声も見えなくて追い出せなかったのよ。シドに言おうともしたんだけど、私、人のフリをするのが苦手で、直ぐに足が消えちゃうから、あんまり長い時間話せなかったのよねー」
こまっちゃったわー、とまるで明日の天気を話しているような陽気さだ。
「え? え? え?」
信じられないことを言われ、シドの頭の中は大混乱だ。
笑みを深くして、一歩ずつ近づいてくるメイド。シドは自分の中から湧き出てくる恐怖に突き動かされるようにぎこちなく後ずさりする。
「逃げなくても良いじゃない。ありがとうね、シド。おかげで、邪魔者を追い出せたわ。ふふ。メイドはね、ご主人様に日々の暮らしを快適に過ごしていただくために全力を尽くすものなのよ?」
「り、リエッタさん……」
掠れた声で、喘ぐ様にメイドの名前を呼び、シドは左右に視線を逸らす。
先輩だったはずの彼女を見ないようにしたいのに、揺らす視線の中にリエッタは捕らえられてしまっている。
段々とリエッタの姿が透けていく。輪郭がぼやけ、肉がこそげ落ちていく。一つ削られ頬の筋肉が見え、二つ削られると、頬骨が現れる。そうして、ぽろぽろと全ての肉が順順に落ちていくのに、地面には残らず、すうっとどこかへと消えてしまう。
あまりの衝撃的な現象に、視線を合わせないようにしていたシドはいつのまにか引き込まれるように、目を丸くしてリエッタをひたと見つめていた。
そっと手を伸ばし、リエッタがシドの手を包むようにして握手する。その手はすでに骨だけしかなく、とても冷たかった。
シドはこの冷たさに覚えがあった。リエッタと接触したときに感じた、氷のような冷たさだ。
どうして、気がつかなかったのだろう。リエッタに関しては可笑しな所が多々あったのに。
包まれた手から、彼女の冷たさが体中を駆け巡っていくようだ。シドは冷えていく身体に、なすすべもなく、顔を青ざめさせる。
「あ、あ……」
「めざせ、脱引きこもり体質のご主人様よ! これからも一緒にがんばりましょうね?」
だって、私達この屋敷の使用人でしょう?
頭に響くような声でリエッタが言う。
リエッタの肉は全て消え、骨だけの姿になっていた。
片方の手でシドの手を握り締めたまま、もう片方の拳を天に上げて、メイド服を着た骸骨がにこりと笑った気がした。
シドはぷつりと自分の神経が切れる音が聞こえた。
「う、うぎゃー!」




