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20-6

 ガコンッ!

 音響を良くする為の工夫でもされていたのだろうか。床と頭がぶつかる音は綺麗に広間に広がった。

「………っで~」

 シドはあまりの痛みに涙を零し、頭を抱え、のた打ち回る。

「大丈夫かい!」

 カルヴィアスが声を荒げて慌てた様子で階段を下り、シドの元へと近づいた。

 王子の声が聞こえ、シドは薄らと目を開けた。痛む頭をさすりながら、シドは今の自分の状況を確認した。


(たしか、なにか掴んだら、暖かいものを下敷きにして倒れこんだような気が……)


 なにかのおかげで、頭をしたたか打ったが、それだけだ。どうやら、今回も多少の怪我はするも無事だったらしい。

「とりあえず、立てるかい?」

 側に来ていたカルヴィアスが手を差し伸べた。シドは恐縮したが、そろそろと王子の手を掴み、立ち上がった。

「あーあ。泣くほど痛かったのかい?」

「うっ! ちょ、ちょっとだけです」

 無事そうなシドにほっとした表情をみせ、カルヴィアスが軽口を叩く。シドは泣かれたところをよりによって王子に見られたことが恥ずかしく、ぶっきらぼうに返して、袖口で急いで涙を拭いた。

 ヴァリアスが見当たらない。どこにいるのだろうと思ったシドは何気なく先ほどヴァリアスがいた場所へと視線を見上げる。そこにヴァリアスがいた。しかし、立ち尽くし顔を青ざめさせている。


(ああ、しまった)


 失敗した。ヴァリアスを見てシドは自分を殴りたくなった。

「すみません。僕の不幸です」

「うん。確かに不幸だったね」

 王子が相槌を打って、困った表情になった。

「あ、いえ。そうじゃなくて、これ、僕の『不幸』の所為なんです」

「は? ……あ、ああ。そういえば、叔父上からシド君は『不幸』に見舞われる子だって聞いたような気が……え? 今のがそうなの?」

 意外そうな顔をされ、今度はシドが困った表情になった。


「そうなの、と言われても、困るんですが」

「いや、なんというか。不幸と言うからには、もっとこう人生に関わるような不幸なことが起こるものとばかり……」

 確かに、不幸と聞けば、その人間にとって良くないことが起こったと想像することが多いかもしれない。しかし、シドはそんなカルヴィアスの言葉に拗ねたように唇を尖らせ、半眼になった。


「………どうせ、僕は笑える不幸が起こる人間ですよ。家族で海水浴に行ったら、なぜか僕だけ突然湧いて出てきた海月の大群の上に乗せられて、沖まで流されたことがありますけど、なにか」

「え、そうなの?」

「そのあと、猟師さんに助けてもらって浜まで送ってもらいましたけどね」

 シドはその時のことを思い出して、やさぐれた気持ちになりおざなりに答える。


「わ、笑える不幸……ふっ」

 口元を押さえ、横を向くカルヴィアス。明らかに、笑いを堪えている。

 笑いたきゃ笑え、という心境になったシドは痛みが治まりつつある後頭部を摩った。

 シドの横から綺麗に折りたたまれた、白いハンカチが差し出された。

「え?」

 驚き、差し出した主を確認しようと顔を動かすと、そこには、無表情でありながら、瞳の奥には戸惑ったような感情の色を出しているヴァリアスが立っていた。


「……使え」

「あ、え? ……あ、ありがとう、ございます」

 シドはヴァリアスから恐る恐るハンカチを受け取り、眦に溜まっていた涙を拭いた。

「あー、その。洗ってお返しします」

「不要だ。くれてやる」

 ふいっと視線を逸らしたヴァリアスだったが、どこか安堵しているようにシドは感じた。

「は、はい……」

 ヴァリアスの好意を無下にすることも出来ず、シドはハンカチをズボンのポケットにしまった。


 二人のぎこちない空気を壊したのは、カルヴィアスの大笑いだった。

「あはははは……不吉と呼ばれている主人に不幸を呼ぶ使用人? なにそれ、面白い! 最高だよ君達!」

 まるで、劇場の演目に感激し、立ち上がって拍手をする観客のようにカルヴィアスは手を叩く。笑い声は広間に響き、収まりそうにも無い。

 従兄弟に不吉な、と言われてヴァリアスは傷ついていないだろうか、とシドは心配になりヴァリアスの表情を伺う。ヴァリアスの視線はシドの後ろ側に注がれていた。

「おい。馬鹿笑いするのは勝手だが、これはどういうことだ」

 ヴァリアスの視線が鋭いものになった。シドも自分の後ろを見る。そこには、先ほどの生暖かいものの正体が転がっていた。


「……誰ですか?」

「……使用人かい?」

 シドの呟きと、笑いを引っ込めてシドの後ろから覗き込むようにして確認したカルヴィアスの質問は同時だった。

 男がうつぶせに倒れていた。年は三十代くらいだ。服装はズボンに薄汚れた麻のシャツ。髪は短かった。

「…………知らん人間だ」

 シド達三人は男の側に近寄り、男を囲うようにして見下ろした。


「……つまり、この男が侵入者でいいのかな?」

「……みたいですね」

「どこから入ったんだ?」

 呆れたような感心したような顔でヴァリアスが疑問を投げる。

「ヴィー、なんだか他人事のように言っているけどね。どうして、四六時中屋敷にいる君が気がつかなかったんだい?」

「……たいていの人間はこの屋敷の内装を見て勝手に逃げるので放置していたからだろうな」

 さらっと言い切る家主にカルヴィアスは天を仰いだ。

 シドもさすがに何も言えなかった。

「……ねえ、シド」

 突然、耳元で囁くような声がした。


(ひっ!)


 驚きのあまりシドは肩を跳ねさせ、硬直する。

「あ、ごめん。驚かした?」

 次に聴こえてきた声はシドの良く知っている人の声だった。シドはそうっと首を回し、視線を後ろに送る。すると、シドの後ろに隠れるようにリエッタがしゃがみこんでいた。

 シドを見上げてリエッタは口元に人差し指を持ってきて、静かにするように、と手振りし、その指を前に突き出す。


(静かにして、前を向け?)


 手振りの意味を理解したシドはどういうことか判らないまま、リエッタの言う通りに前を向いた。

 ヴァリアスとカルヴィアスは男を油断なく見張りながら、屋敷の防犯について言い合っている。シドのおかしな動きには注意を向けていないようだ。

「そのまま、話さないで聞いてね」

 リエッタの言葉に、シドは軽く頷いて肯定する。

「ね、シド。あの男の右腕を良く見て」

 言われて、注視する。シャツの上からでは判りづらかったが、男の右腕が薄らと紫色の光が発光していた。

「あれ、何らかの紋章術を使っている証拠よ。どうにかして、破れないかしら?」

 リエッタの言葉に驚き、シドは男に一歩近づく。そんなシドに二人が気がついた。


「うん? シド君どうかしたのかい?」

「あ、はい。そのこの男の右腕が光っているので」

 シドの言葉を最後まで聞かず、カルヴィアスは男の前でしゃがみこみ、右腕のシャツをまくった。

「おやまあ。なにか使ってるね。……光っているのに私達になんら影響が無い、ということは、攻撃系の魔法では無いようだけど」

「これで、やっと……」

 カルヴィアスの言葉に重なるようにリエッタの声がシドの耳の中でウワンと反響するように聞こえた。


 驚いて後ろを振り向いたシド。その瞳にはリエッタが映らなかった。

「誰かいたのか?」

「え? あ、はい。ここに今メイドの……」

 シドがメイドがいたことを伝えようとすると、ヴァリアスはなんと言えない顔になった。そのため、シドは最後まで言葉を続けることが出来なかった。

「うん? 二人ともどうかしたのかい?」

 しゃがんでいたカルヴィアスが上を向いて二人の顔を交互に見る。

 ヴァリアスは戸惑った表情でシドとその後ろに視線を何度か動かしてから、

「いや。……なんでもない」

 と、言い顔を逸らした。


「そうかい? じゃあ、悪いんだけどシド君この男の身体検査、お願いできる?」

「は、はい」

 シドは膝をついて、男のズボンやシャツを叩いて何か危険なものはないか調べる。その間、カルヴィアスは側でしゃがんだまま抜け目なく男を観察し、ヴァリアスは一歩下がった場所で立ったまま腕を組み、辺りを警戒するように時折周りを見回していた。


「……なにも、持って無いようです」

 ややあって、調べ終えたシドが口を開いた。その言葉に、カルヴィアスはそっと肩を揺らし、緊張を少し解いた。

「そうかい。じゃあ、次は紋章術だね。……紋章術は色や形が様々で、私も全ての効果などを知っているわけでは無いんだけど、紫色はたしか、空間に作用する魔法や無属性魔法の色って言われているね」

「じゃあ、この男は無属性か空間に関しての魔法を使えるんですか?」

「その可能性が高いね。まあ、あとは紋章の形で使える魔法がある程度判るそうなんだけど、私は自分の紋章や基本的な形しか知らないね。この雲のような形は何だろうね?」

「………そういうのは、シドの両親の分野だろう」

「……僕の両親、知っているんですか?」

 ヴァリアスの意外な言葉に、シドは驚いて目を丸くした。ヴァリアスは余計なことを言ったといわんばかりに、苦虫を潰したような顔になった。


「別に、詳しくは知らん。だが、昔、私の紋章を調べるために一度だけ会ったことがある」

「そうだったんですね。……あれ、昔って」

「ああ。普通十五歳前後で紋章が現れるはずだよね。っと、シド君はもう出てるのかい?」

「いえ。僕はまだです。なので、『不幸』は紋章の恩恵じゃない、と言うのだけはいいことだとは思うんですけどね……」


 だからといって、どんな紋章が浮かぶか判ないからどきどきする。シドもそろそろ浮かび上がってもいい年頃。出来ることなら『不幸』を打ち消すことの出来るような紋章が欲しい、となんど神殿でお祈りしただろうか。

「あはは。そうなんだ。ヴィーのほうは力が強すぎるためか、幼い頃から紋章が浮かんだんだよ。前に見せてもらったことがあるけど、左手の甲から腕に伸びているんだ。綺麗な紋章だよ。そう、恐れ多いというか、荘厳と言うかそういう雰囲気を持った紋だったね」

「……見せた覚えは無い。貴様が勝手に見たんだろう。人の服を脱がして」

「………え?」


 まさかの変態? シドは精神的にカルヴィアスから距離を取ろうと引いた。

「あれ、そうだったっけ? ヴィーが見せてくれるって脱いでいたような覚えが……うん、無いです。ヴィー、恐いから睨まないで」

 降参、というように両手を肩辺りで挙げるカルヴィアス。シドはやっぱり、と苦笑いした。

「さて、そろそろ、この男の紋章術をどうにかしようか? 紋章術は紋章術で相殺することが可能。というわけで、私の『風の加護』で破れるといいんだけどね」

「『風の加護』ですか?」

「そう。この紋章のおかげで、私は風全般の魔法が使いやすく、また、加護で守ってもらっているからね。風が危険を感じてくれるから、危険を察知するのも他の人より早い。だから、ヴィーの側にいても、危ないと感じたら一目散に逃げられる。安全確保が出来ているからヴィーをからかえるのさ」


 最後の台詞がなければかっこよかった。シドはつくづくそう思った。

 カルヴィアスは軽く目を閉じ呼吸を整える。何度目かの呼吸をすると、カルヴィアスの右頬が薄らと光り、やがて若緑色の発色になり、羽のような紋章が浮かび上がった。

 そっと男の腕に手を近づける。目を開き、カルヴィアスは強い意志を感じさせる声を紡いだ。


「『風よ打ち破れ』」

ひゅう、と風がカルヴィアスの側で吹く。

 吹いた風は段々と伸ばしていたカルヴィアスの手の平に集まり、やがて、ウワンウワンと渦を巻いて荒れ狂う。そして幾らかの後、パキンと硝子が割れるような音がしたかと思うと、風は霧散し、辺りに名残を残すように微風が広間に広がっていった。

 その風に煽られるようにシドの長い髪も僅かに動いた。


「………成功したみたいだね」

 手を引っ込めてカルヴィアスが、安堵の息と共に言葉を吐き出した。

「……今のが、カルヴィアス様の紋章術……」

 シドは、まるで芸術品のような印象を受けた。

「腹の立つことに、精度が高い」

 ヴァリアスも従兄弟の紋章術を認めている。だからといって、からかわれるのを許しているわけでは無いが。

「ふふ。褒められちゃった。……さて、何か変わったことは無いかな?」

 カルヴィアスは微笑んだあと、辺りを気にするように視線を動かした。シドもつられるように辺りを見回す。すると、倒れている男の先の空間にヒビが見えた。

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