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それでいい、と言い切ったヴァリアスの声音は穏やかで深みがあった。
自身の『呪い』に害されてなお近くにいようなどと考える物好きが、どれほど貴重なものか。ヴァリアスは自分の心がじんわりと暖かくなったような感じがした。こんな暖かさ、何時以来だろう。このまま、この変な生き物がそばにいればいいのに、と念う。それは、ずっと考えないようにしていた、押し殺した願い。叶わないことと理解して見ないようにしていた夢。
ヴァリアスはずっと不思議に思っていた。あれは、一体何なのだ、と。自分を普通に扱う、正体不明の存在。彼が崩れた壁で怪我をするまで、もしかしたら『呪い』の効かない稀有な存在なのではないか。そんな希望を抱いていた。しかし、そんなささやかな希望もあっさりと打ち砕かれ、シドは怪我をした。
その時ヴァリアスは確信してしまった。これもまた自分の『呪い』の所為だと。
いつもそうだ。自分に近づいてくる者は事故や事件。誰も居ないのに階段から突き飛ばされただの、突然家屋の前を通ったら二階の窓が外れて落ちた、だの『呪い』と言っても過言ではないような理解しがたい現象で怪我をする。ヴァリアスはもう、自分の周りに人を近づけたくなかった。
何度、血の赤い色を目にし、錆びた鉄の匂いを嗅がされた事か。何度、怨嗟の声を聞いたことが。もう、疲れた。そんな気持ちが自身を支配し、ただ虚無の中、呼吸をしているだけの生活だった。そのことに気がついた両親が一人になれるようにと、この屋敷を与えてくれた。一人なら、誰も傷つけなくてすむだろう。疲れた心を癒せるだろう、と。
長子でありながら、妙な『呪い』の所為で満足に貴族としての義務も果たせぬ息子なのに。そんな、自分が情けなくて、どうにかしたいと思っても、どうにも出来なくて。それでも、両親は見捨てず、それどころか、自分の世話が出来るような『呪い』にあっても跳ね返せるような者がいないだろうか、と探しては使用人として雇ってくれた。どれほど感謝しただろう。もっとも、残ったのはこの風変わりなシドだけだったが。
シドが来てからは少しだけ変わったのは事実だ。ある日、いつものように適当に何か腹に入れようと調理場に行くと、そこに冷めた食事があった。あの時の衝撃は計り知れない。久々の人らしい食事。本当に泣きたくなった。そして、暖かい食事を食べたいと、虚無の中から欲が出た。そして、このまま残るのだろうか、そんな期待を持った折に彼は怪我をした。
唐突に爆発したように壁が崩れ吹き飛ばされた彼を目の前で見てしまった時にヴァリアスは思った。
(コレガ壊レテ動カナクナル前ニ、ジブンノ前カラ消サナクテハ)
そうすれば、彼の怨嗟は聞こえないはず。
なのに、それがどうだ?
ヴァリアスの『呪い』で怪我をしたにも拘らず、この男はまた目の前にいる。
「お前は、一体何なんだ?」
小さく呟かれた疑問は何度目だろう。けれども、今までとは違い、なんだか暖かな気持ちになる疑問だ。いつか、この疑問は解けるのだろうか。
「? ……何かいいましたか?」
シドは先ほど言葉を発してから、ずっとシド見てから遠くを見るような視線を向けて黙っていたヴァリアスが何か言った様な気がして聞き返す。すると、ヴァリアスはゆるく首を振った。
「何も……」
「そうですか? ……じゃあ、僕は掃除を始めますね。せめて、幽霊屋敷に見えないようにしましょう」
「別に、問題はあるまい」
ヴァリアスはこの屋敷の外観や内部について不満は無いようだ。
そのことに、シドは意義を申し立てる。
「問題だらけですよ。鬱蒼と緑が茂った華美のかけらも無い庭。埃っぽい館。くもの巣があちこちに張っていて。そのせいで、ヴァリアス様が住んでいるのに無人だと思われて、肝試しのかっこうの場。文句のつけようもない幽霊屋敷ですよ。もう、せっかくなんですから綺麗さっぱりにして脱幽霊屋敷にしましょうよ」
やる気をみなぎらせるシドをヴァリアスは冷静に観察してから一言いった。
「……そうか」
「って、それだけですか?」
あまりの素っ気無さに、シドは拍子抜けしたような表情になった。
別に「がんばろう、おー!」なんて熱血を求めてはいなかったが、もう少し、やる気を満たすようなことを言って欲しかった。シドはそっと肩を落とした。
そんな、シドに気がついているのか、いないのか。ヴァリアスはこともなげに言う。
「掃除をするのは使用人である貴様の仕事であろう。好きにするといい」
信頼して仕事を一任してくれたのか、どうでもいいから丸投げして放置しようとしているのか、判断がつけにくい平坦な口調だ。
シドはとりあえず、任されたのだろうと前向きに考えることにした。
「分かりました。綺麗さっぱりな屋敷にして見せます!」
ぐっと拳を握って宣言する。すると、ヴァリアスはふっと鼻で笑った。
「数年後を楽しみにしておいてやろう」
そういうと、ヴァリアスは落ち着いた足取りで書斎へと引き返す。
「数年って……」
そんなにかかるのだろうか、と疑問を浮かべたシドに、開けた扉に手をかけ、顔をシドに向けたヴァリアスが器用に片頬を上げる。
「今のところ使用人を増やす予定は無い。瓦礫の撤去から、いくつもある屋敷の掃除。庭の草むしりに剪定。さて、貴様は全てを終えるのが何年先になるか。………楽しみにしておこう」
くくっと小さな笑いを零すヴァリアス。
「なぁ……」
思わず、変な声を出してしまった。言われて、気がついた。シドは全て自分でやらねばならないのなら、一体何年掛かるのだろう、と気が遠くなりそうになった。
「ああ、昼食も夕食も貴様に任せる」
その言葉に意識があっさりと戻ってきたシドが見たのは、ヴァリアスが無常にも扉を閉めた後だった。
「…………」
暫く言葉もなく佇んでいたシドは、ヴァリアスとの会話を反芻する。
「……昼食と夕食? そうか、食べてくれるんだ……」
なんだか、認めてもらったようで嬉しい。シドから自然と笑み零れる。そこで、ふとシドは確信できそうなことを見つけた。
「ヴァリアス様は素直じゃないんだな。……あれ、もしかしてちょっと意地悪かも?」
シドの仕事量がどれだけあるか教えるとき、あれは絶対に笑っていたと思う。でも、最後は逃げるように、といっては聞こえは悪いがそんな風にさっさと書斎に戻ってしまった。意地悪で素直じゃない。そんなヴァリアスとこれからもっと話していけるだろうか。そんな期待を持ちシドは微笑を浮かべた。
仕事の許可は貰った。あとは、この屋敷で怪我をせずに働くだけだ。そこは、『不幸少年』として培ってきた回避能力で回避すればいい。
「さて、がんばりますか」
腰に手を当てて、シドは気合を入れる。
書斎の扉の前で一礼し、シドは身体を反転させ、まずは瓦礫を片付けようと一階へと戻ろう歩き出す。
「………ん? 全部僕が片付ける?」
ヴァリアスの言葉と自分の考えに、シドは一瞬よく分からない違和感を覚えた。しかし、考えてもなにが違和感か分からなかったので直ぐにシドの思考から消えてしまった。




