18-4
二階廊下の不気味な甲冑に懐かしい気分にさせられるのは、なんだか釈然としない。
シドは自分の気持ちに裏切られたような気分を味わいながらも、また埃まみれに早変わりした廊下を歩いていた。途中、なぜか背中がぞくっと寒さを感じたりしたが、きっと見慣れることが難しい薄気味の悪い調度品の数々を久々に見た所為だろう。
廊下を一人歩くというのも世界が切り離されたような錯覚に陥り、落ち着かない気分にさせられるのも一因かもしれない。
書斎の前についた。シドは戸の前に立ち、深呼吸をする。静まっていたはずの緊張感がまたぶり返してきた。二度深呼吸をした後、シドは意を決して戸をノックした。
数秒待ったが返事が無い。
(あれ? 居ないのかな?)
いない、という可能性をまったく考えていなかった。シドはどうすべきか束の間逡巡する。
(ウィルフズ家からは働いていい許可を貰っているし、まず掃除して、時間を置いてまた戸を叩けばいいかな?)
これからの行動を決め、シドは一階に戻り掃除を始めようと足を動かそうとした。その時、ヴァリアスはいないのではなく、ただ無視しているだけではないだろうか、と思いついた。
動かそうとした足を止め、シドはきっと書斎にいるであろうヴァリアス向かって、一言言っておくことにした。
「ヴァリアス様。シド・シシリーです。ご実家の方から許可をいただいたので、今日からまた働かせていただきます」
書斎の中に聞こえるように、やや大きな声で言うと、シドは踵を返し一階へと戻ることにした。
(まずは、瓦礫をどうにかしないと、だよね。それに埃もまた積もり始めているみたいだから簡単な掃き掃除もしないと……)
掃除の手順を考えながら二階廊下を歩いていると、唐突にシドの背後の部屋からガタンッ、と曇った何かがぶつかるような音がした。
音に驚き振り返るシドの耳には、この静寂と鬱蒼感の屋敷には珍しい音を次々と拾った。
バタバタと走る音。続いて、扉の蝶番が軋むほどに力が込められた勢いの良い音がバタンッと響き、書斎の扉が開かれた。
扉からはヴァリアスが愕然とした表情で、まるで幽霊でも見たかのような顔をシドに向け立ち尽くしていた。
「………………」
少し、痩せただろうか。ヴァリアスの頬が少しこけているように感じたシドはツキンと胸が痛んだ気がした。
ヴァリアスは声を出そうとして失敗し、パクパクと口を動かす動作を何度か繰り返す。そんな、ヴァリアスの驚愕にシドは戸惑ったが、ここで何もしなければ何も始まらない。
(男が一度口に出したことは完遂すべし!)
直ぐに気を取り直して、身体をヴァリアスの方へ向けて頭を下げた。
「今日から、またよろしくお願いします」
シドの言葉に、はっと夢から覚めたようにヴァリアスはシドを凝視する。
強い視線を感じながら顔を上げ、シドもヴァリアスを見る。
「……………」
お互い、言葉は無かった。
シドは絶対にヴァリアスの側にいる、そういう思いを込めて、強い眼差しで。対するヴァリアスは、なぜまたここにいる、と言外に聞こえてきそうな疑いの眼差しで、それぞれ相手の出方を伺うように見詰め合っていた。
先に口を開いたのはヴァリアスだった。
「なぜ、戻ってくる? 私の側にいれば何らかの危害が与えられると判ったであろうに」
シドはその言葉に対し色々と言いたいことが心中に沸き起こった。
奥方に言ったように、自分と似ていて放って置けない、と。だが、そんなことを言っても、なんらヴァリアスの心に響かないと思った。
もしも、自分が同じことを言われれば、相手をまず疑う。似ているだけで、同じではないからだ。なのに、自分は自分で疑いたくなるような感情をヴァリアスに持っている。矛盾しているようで、矛盾していない答え。
たとえ死なないありえない事象が起こる『不幸』でも、シドは、独りで不幸を背負うのがつらいのだ。
ちょっとでも、心から喜ぶと、まるで待ってましたといわんばかりに降りかかってくる不幸。何度、喜びを自制しようとしたことか。それでも、心はうれしいこと楽しいことがないと、苦しくなる。不幸が起これば、周りの人間はほとんど巻き込むことはないが、いつか巻き込まれるのではないだろうか、と離れていく者もいた。そして、かすり傷でも傷つけてしまった人がいた。それがどれだけつらいことだったか。そんな気持ち、解られてたまるかと思い、誰か、判ってくれと考える。そんな矛盾を。
シドは、どんな言葉がヴァリアスを傷つけないだろうかと頭を回すが、適切だろうと思える文言が見つけられなかった。
「……し、仕事を途中で投げ出すのが嫌だったんです」
我ながら無難すぎる文句だと、シドは感じたが、これ以上付け加えると墓穴を掘りそうだと思ったので、それ以上言うことなく、ヴァリアスの反応を待った。
ヴァリアスはじっとシドの顔を見て、表情から感情を読み取ろうとしていた。
また、二人は無言で対峙する。
ヴァリアスはシドの怪我した額に視線を向け、少ししてため息をついた。
「勝手にするがいい」
怪我については何も言わなかったヴァリアスだが、シドの耳には彼の声音がどこかほっとしているように聞こえた。それで、十分だと思った。
「はい。勝手にさせていただきます」
にっこり笑顔で返すシドにヴァリアスは表情を引き締め、いつもの無表情のような表情に戻し、つんとそっぽを向いた。
そんな仕草にシドは一笑した後、気になったことを聞いてみた。
「あ、ところでヴァリアス様。僕がいなかった時の食事とかはどうしていたんですか?」
「どうしていたとは、どういう意味だ?」
「え? 料理とか何食べていたのかな、と思いまして」
シドの質問を聞いてヴァリアスは何をいっているんだこいつ、という眼差しになった。
「…………怪我を負った後も私の元に通ってくるような阿呆は貴様くらいだ。食事など、本家の人間が置いていった箱から適当に食べているに決まっているだろう」
「えぇ? そうだったんですか」
てっきりリエッタが何か作って置いておいたのでは無いかと思っていたのだが、違ったらしい。
掃除もしない、料理もしない。それでもメイドとして働いているリエッタにシドはますます疑問を深めたが、ふと思い出したことがあったのでそちらの疑問を片付けることにした。
「じゃあ、足跡は箱を運んできた人のものでしょうか?」
「足跡? なんだそれは」
「はい。裏門から歩いてきたんですが、勝手口へと続く路の一部がぬかるんでいて、そこにたくさん足跡があったんです。だから、配達に来た人がその場所を通った、ということですよね?」
シドの言葉に、ヴァリアスは考えるように顎に指を添えた。
「………いや。裏門は使われていないはずだ。そもそも、あんな整備されて無い足場の悪い場所なぞ、通りにくいだろう」
「使われて無いんですか?」
「当然だろう。あんな木々が生い茂った場所。歩きにくいでは無いか」
阿呆かお前は、と言わんばかりの視線がシドに突き刺さる。
(……歩いてきましたよ。ええ、確かに歩き辛かったです)
そういえば「いつになったら裏門が使えるんだ」とあの配達人は言っていたが決して「裏門から入ってきた」とは言ってなかった。自分の早とちりにシドはそっと顔を逸らした。
「裏門の道で足跡か……。まあ、この屋敷は町の近くだからな。無人になっていた時期も長いゆえ、よく肝試しの場になっている。今もよく町民が勝手に侵入してくることがあるからな。その類だろう」
「そうなんですね……」
家主も探索されているのを知っていたのか、とか、そこは住んでいる人間が居ることを知らせるべきではないか、などシドは色々と思ったが相槌を打つのにとどめた。
「大方、肝試しにきた子供だろう。私の前の屋敷の主人は幽霊に呪い殺されたと言われているからな。その幽霊でも見に来たのだろう」
「幽霊にですか…………」
幽霊に会いたがる人間の気が知れない。シドはうっかり透けている人を想像して顔色が悪くなった。そんなシドを見てヴァリアスはくっと喉の奥で嗤った。
「幽霊が恐いか? 私のような呪いで人間に害を為すものが目の前に居るのに?」
シドを試すかのように馬鹿にする。そんなヴァリアスにシドはどう答えあぐねる。しかし、ここで何か言わなければ、きっとヴァリアスはシドとこれ以上話をしてくれなくなるだろう。そんな確信があった。
綺麗な言葉なんて思い浮かばなかったシドは、どうにでもなれ、という心境で思ったことを口にする。
「何より恐いのは人間って聞きますけど、結局は幽霊だろうと生きていようと人間だった存在って恐くありません? だって、死んだ人間だって幽霊の一部なんですよ? 呪ったり、ポルターガイストを起こしたり、やっぱり人を呪ったり。しかも、幽霊は触れないし。ほら人の幽霊も生きてる人間も恐いでしょう? まあ、僕は幽霊全般恐いですけど。だから別にヴァリアス様だけが恐さを独占している訳じゃないんですよ」
生きてても死んでても恐いのは人間です、と妙な自信を持って胸を張って言い切るシドにヴァリスは変な生き物を見るような目でまじまじと見た。
その視線に居た堪れなくなったシドは困った表情になった。
「あの。そんな、変なものを見るように見つめられると困るんですが………」
研究者が観察するような無感動な目で束の間シドを見ていたヴァリアスは、何かに納得したように一度頷き、ふっと目を細めて嬉しそう笑みを作る。シドはそのあまりの変わり身に驚き口をかくんと開いた。
「なるほど。こういう生き物を、未知の生物というのか。納得した」
未知の生き物を理解するのは難しいくて当然か、などとぶつぶつと持論を展開していくヴァリアスに、あまりの珍しい表情に頭が真っ白になって鈍っていたシドの思考が段々と戻ってきた。
「………あ、あの、ヴァリアス様?」
「理解した。お前はおかしな生き物だ。だから、私の側にも居たがるのだろう? ならば、それでいい」




