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17-4

 どれくらいお互いの目を見ていたのだろう、すっと奥方の方から視線を外した。そして、奥方は、片頬を持ち上げて意地悪げに笑んだ。

「優しいか……田舎者の癖に貴族相手に勝手に判断するとはいい度胸じゃ」

「は? え、えぇ!」

 奥方に言われ、シドは貴族にどんな人物か評価を出すのは不敬なのかと驚き、ギクシャクと頭を振るような動きを見せ、挙動不審になった。


 怪しいシドの動きに、意地の悪い笑みを浮かべていたはずの奥方はくっと喉を引くつかせた次の瞬間には噴出した。

「はははははははははっ!」

 奥方は扇を太もも辺りに下ろし、まるで男性のように野性味を持った豪快な大笑いだ。

 唐突に笑われ、シドはもう頭の中が真っ白だった。挙動不審もいつの間にか止まり、石化したように固まっている。


「ふっ。くくく……のう、田舎者。否、シド・シシリーであったな。これからも、わが子の傍にいてあげておくれや」

 目にたまった涙を人差し指でそっとぬぐい、奥方は笑いを段々と収め、慈愛に満ちた眼差しで、シドを見つめながら言った。

「は、はい!」

 その、母親の顔に、シドは心を奪われる心地になりながら、大きく肯いた。


「ふふ……やれ、お茶が冷めてしまったか。どれ、新しいのを用意させよう」

 シドの返事に満足げな表情で奥方は口元を綻ばせる。その顔があまりにも美しくて、シドはかっと頬を紅く染めてしまった。そんな自身の状態に急に恥ずかしくなり、シドは奥方から視線を外し、目線をさ迷わせた。


 シドが天井や窓などにうろうろと視線を動かしていると、視界の端に奥方が扇で口元を隠し、どこからか取り出した呼び鈴を手に持っていた。その呼び鈴は当主が持っていた執事を呼ぶための魔道具と同じだった。お茶を入れなおすために呼ぶのだろう、と考えながら、ふと、暖炉の上にあった翡翠の置物が気になり視線を向ける。

「……あれ?」

 間の抜けた声がシドの口から零れる。その声に、呼び鈴を鳴らそうとした奥方は手を止めた。

「なんじゃ?」

 奥方の疑問の声に、シドはある一点を指差すが、自分の目が信じられなかった。


「ない?」

「ん? なにがじゃ」

 奥方も暖炉の方へ顔を向ける。

「翡翠の置物がないです」

 先ほどまで暖炉の上にあったはずの翡翠の置物が、姿を消していた。


「なっ!」

 奥方は置物がないことを確認した途端、勢いよく立ち上がり、ドレスを揺らして扉に駆け寄り、両扉を力強く開いた。

「だれぞ! 賊が入った! であえい!」

 その声は、女性の甘い声色のはずなのに、ずしんと腹にくる力強さだった。 


 シドはその気迫に当てられ、あわてて立ち上がり、ソファの側から離れようとすると、何かにぶつかる感触を受けてつまずいてしまった。

「………って……」

「ん?」

 誰かが声を上げた。不思議に思ってぶつかった辺りを見回すが、誰もいない。一体なんだと思っていると、ばたばたと足音を響かせて、使用人たちが数名現れた。


 奥方はやってきた使用人たちに向かい拳を奮い熱弁する。

「突如、翡翠の置物が無くなった。賊は今世間を騒がせているものたちに違いあるまい! このまま見逃すなぞ、我がウルフィズ家の沽券に関わる! 草の根分けてでも探し出せい!」

「はい!」

 使用人たちはびしっと背筋を伸ばして威勢のいい返事を返し、応接間を調べるもの、他の場所を調べに行くもの様々に行動を開始した。そんな使用人たちを見ていたシドは、使用人って軍人みたいな感じにならないとだめなのかな、とちょっぴり腰が引けたが顔に出さないようにして、ソファの横で立っていた。


 奥方は動き出した使用人たちに満足げに頷き、口元を扇で隠してからシドのほうへ近づく。

 さっきまでそこにあった翡翠の置物のほうに視線を送り、奥方は軽く息を吐いた。

「やれ、ついに我が家もやられたか……それも、よりによって、あれ、か」

「あの・・・・・・」

「なんじゃ?」

「これって、今貴族の屋敷を襲っているっていう」

「ほう、知っておったか。その通り、最近頻発しておる盗人の仕業であろう。家人がいようとも堂々と屋敷のものを盗むなど、言語道断、極悪非道!」

 扇をぴしゃりと閉じて、握り締める。ミシリと扇が悲鳴を上げた。


「新聞には、使用人が取ったような話が出ていたんですが……」

 そうシドが聞くと、奥方は冷ややかな目を向けてきた。

「……先の間にいたのは、妾と田舎者だけ、疑われたいのか?」

 暗に、犯人にされたいか、といわれているような気がして、シドはとんでもない、と首をこれでもかと横に振って犯行を否定する。

「いえ、信用してくださって、ありがとうございます!」

 シドの言葉に、はあ、と奥方はため息をつく。


「信用も何も、お前に犯行は無理であろう? 妾目の前で話していたのだから……まあ、ほかの家では使用人がやったと決め付けて、その使用人を解雇してしまったところも在るとか無いとか」

「在るとか無いとか?」

 ずいぶんあいまいだな、と考えているのが顔に出たのか、奥方はふっと笑う。

「貴族は体裁を気にするもの、噂一つであっても、下手に言いふらせば貴族同士の信用をなくしてしまうのよ。覚えておけ田舎者」

「は、はあ……」

 貴族はややこしいんだな、とシドは素直に思ったが口にせず、曖昧に言葉を濁しておいた。

 その態度に、奥方は肩をすくめるにとどめた。


「……さて、シド・シシリー」

「はい!」

「ここはもうよい。はよう、わが子の所へ行け」

 言われ、シドは一瞬躊躇したが、こうなってしまえば自分の出来ることなど何もない。出来ることといえば、今日からまたヴァリアスの屋敷で掃除を始めるだけだ、と思いなおし、屋敷を後にすることにした。暇の返事を返そうしたシドは今日二度目の信じられない瞬間を目撃してしまった。

「ふふふ……なんとしてでも犯人を見つけ、我が屋敷から奪えばどうなるか……」

「…………」

 一旦言葉を区切った奥方に、シドは空恐ろしさを感じてごくりと喉を鳴らす。


 先ほど力んで持っていた扇を奥方はことさらゆっくりと開いていく。ぎし、ぎしりと奥方の力強さに歪んでしまった扇骨が獲物を求める獣の唸り声のように鳴りながら、扇面を見せていく。すべて開き終わった後、奥方は目を細め、にやあ、と口の端を持ち上げ弧を描き、ふっくらとした唇からちらちらと白い歯が見え隠れする。その獰猛な顔を隠すように、そっと歪んだ扇で口元を隠した。

「…………さて、生きてきたことを後悔するか、死んだ方が良かったと後悔するか、楽しみだのう」

 うふふふ、と楽しげに笑い、爛々と瞳を輝かせる奥方に、シドは逆らってはいけないと肝に銘じた。決して、生きても死んでも後悔するのか! などという突っ込みは言わず、無言を貫く。これが、下っ端使用人の正しい答えのような気がした。断じて、恐怖により声が出ないわけではない。


「…………で、では、その、僕はヴァリアス様のところへ行きます」

 シドはやや震えた声で暇を口にする。すると、奥方は鷹揚にうなずいた。

「うむ。せいぜい、わが子の屋敷を内外共に綺麗にするよう励むが良い」

「はい」

 奥方のお言葉にシドは頷く以外できなかった。


 ばたばたと慌しくなった屋敷内だったが、さすがウィルフズ家といえば良いのか、シドが迷わないように行きと同じメイドが玄関まで送ってくれることになった。

 シドが振り返ったらメイドがいた時は幽霊が出たのかと叫びそうになったが、何とか耐えた自分を褒めたくなった。

 玄関ホールまで戻ると、執事が待っていた。

「シド君。これが新しい服ですよ。破れたり、汚れたりしたら遠慮なく新しいのを取りに来てください」

 そう言って、布に包まれた服を手渡された。五着ある服は結構な量で、重くはないがかさばる。シドは両手で抱えて持っていくことにした。

「はい。判りました」


 目の前で事件が起こったというのに何もすることがない。することが出来ないことにシドが気まずさを感じながら答えると執事はそんなシドの気持ちを汲んだのか微苦笑を零した。

「ええ。……シド君。言い方は悪いかもしれませんが、こちらのことは気にしないでください。シド君が悪いことをしたわけではありませんからね。いいですか。今、シド君がこの屋敷で出来ることはありません」

「……は、はい」

 優しい声音だが、有無を言わさない言葉に、シドは恐縮する。


「シド君。人はあれもこれもといっぺんに手を出してそれをいっぺんに解決できる人などまれです。でしたら、出来ることを、やるべきことを決めてやることのほうが重要です。違いますか?」

「………確かに、その通りですね。突然のことで少し、戸惑ってしまっていたようです。僕、がんばってヴァリアス様の屋敷を綺麗にします」

「ええ。よろしくお願いします。なにか解らない事があったら遠慮なく、聞きにきてくださいね」

「はい。それじゃあ、失礼します」

 朗らかに笑みを浮かべる執事に一礼し、シドは屋敷から出た。

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