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一階の廊下の方へきびきびと動くさまはまるで軍人のような奥方の背中が段々遠くなっていく。シドはその背をぽかんとした表情で眺めていると、横から咳払いが聞こえた。その音につられるように顔を向けると、アランがそっと目線をずらした。不思議に思ったシドはその視線の先をたどると、いつの間にか一人のメイドがアランの前横に佇んでいた。
驚きに目を瞬かせたシドにメイドは済ました顔で軽く目礼する。
「ご案内します」
そう静かにいい、背を向けてしずしず歩いていくメイドにシドは戸惑い、執事へと顔を戻す。アランはついていくように目視で促した。
シドは一瞬迷ったが、直ぐに気を取り直してメイドの後ろについて歩いていく。
メイドのぴんとした背筋を目指して、シドは口を閉じてついて行った。
始めて来たときは、ただすごいとしか思わなかったが、今はまた別の感想が浮かぶ。
(仕事に対して誇りをもっているのが背中からでもひしひし感じる。これが、使用人かあ)
感嘆の息を零し、シドは目の前の使用人の素晴らしさに憧憬の念を覚える。
廊下を歩いている途中で、向こう側からメイドが歩いて来て、シドの前にいるメイドにそっと耳打ちをした。メイドたちはお互い軽く頷きあうと、それぞれ歩き出した。シドも続く。
廊下には時折木漏れ日のような柔らかい日差しが差し込んでいる。穏やかな雰囲気を与える調度品。時々シドの鼻をくすぐるように、何十年、何百年と経った様な深い木の香りがどこからともなく漂ってくる。ほっとするような空間がそこにはあった。ヴァリアスの屋敷とは正反対の場所に、いつかこんな暖かい場所をヴァリアスの屋敷にも作りたいとシドは思った。
暫く廊下を歩くと、一つの扉の前で、メイドが立ち止まった。
「こちらに奥様がいらっしゃいます」
「は、はい。ありがとうございます」
扉を叩いて、メイドは部屋の中に声をかける。返事を貰い、扉を開けてシドに入るように促した。
「入りゃ」
「はい。……その、失礼します」
頭を軽く下げ、入室しようとするシドの耳に、ピシリという音が聞こえた。音につられるように視線を向けると、奥方がソファに腰掛けていた。どうやら、扇を閉じた音だったらしい。
「座るがいい」
閉じられた扇を持った手を軽く振って、奥方がシドに座るように促す。シドは、緊張した面持ちになりながらも、対面のソファに腰を下ろした。シドが座ったのを見届けると、奥方は案内してきたメイドに下がるように指示を出した。メイドは了承の意を軽く頭を下げて伝え、そっと扉を閉めて出て行った。
部屋は始めて来た時と同じ応接間だった。暖炉の上の翡翠色の硝子の鳥が今日も綺麗に輝いている。
奥方は暫く何も言わなかった。観察するようにシドをじっと見ている。そんな、奥方の視線に気がついたシドは、見られていることに居心地の悪い思いを感じ、視線をあちこちにさ迷わせた。
ジロジロと無遠慮に見てくる奥方に、何を言えば良いのか判らなかったシドは戸惑いの表情を浮かべ困惑していると、扉をノックする音が耳に入った。
「……む……入りゃ」
「失礼いたします。お茶をお持ちしました」
入室許可の声に、間髪要れずアランが扉を開け、軽く一礼しティーワゴンを押して室内に入ってきた。ソファとソファの間にあるテーブルの側でワゴンを止め、ワゴンの上に目を滑らせた。執事はワゴンの隅においてあった砂時計の砂が全て落ちているのを確認して、お皿に伏せていたティーカップをひっくり返し飲み口を出して、またそっとお皿にカップを置く。次にポットを手に取り、ティーストレーナーを注ぎ口に添えて、静かに紅茶をカップに注いだ。
ふわりと香る紅茶の香りに、シドはつい先ほどまで感じていた緊張感が薄れて行くような気がした。秋の木々の合間に落ちている枯葉を踏んだときに感じる、あのどこか土っぽくて甘いような独特な枯葉の匂いに深みが合わさったような、ほっとする香り。
陶器のカップは少しでもお皿に当たるとカチャカチャと音がするのに、執事の洗練された動きに陶器も音を立てるのを自粛しているようだ。あまりに綺麗だったので思わず手元を注視してしまったシドは、そっと目の前にカップを置かれて自分がじーっと見つめていたことに気まずさを覚えたが、誤魔化すように目礼した。
奥方の前にもカップが置かれると、奥方は執事に下がるように指示を出す。執事はワゴンを下げ、そのまま扉から一礼して部屋から出て行った。
おもむろに奥方はカップの取っ手に細い指をかけると、お皿をもう片方の手で持ち、自分の身体の方に寄せると優雅にカップを口元に運んだ。束の間ゆるく目を閉じ、すんと鼻を動かし紅茶の香りを堪能した後、そっとカップに口をつける。そして、お皿にカップを戻すと奥方は鋭い視線をシドに向けて口を開いた。
「……我らの神である建国の父にして、半神たるファリアスは我ら国民に対して、自衛の手段として、または生活の助けになるものとして、本来なら詠唱の必要な魔法を一つ、もしくは属性に限り、詠唱破棄または限りなく言葉少なく使えるようにと己が父神に祈り、守護として、また祝福として紋章を与えてくださった。古くは『紋祥』と言われ、喜ばしいこととされていた。しかしの、紋章は便利なもの、良いものだけではなかった。初等学級に通っていれば教えられることじゃが、負の紋章というものを知っておるか?」
唐突に聞かれたことに、シドは驚きつつも、昔に習ったことを頭から引っ張り出しながら答える。
「………は、はい。確か、前世に凶悪な罪人であった者たちには、今生で紋章が枷となり、人を害するまたは自らを滅ぼす紋章を与えられる、それが『負の紋章』と呼ばれる、災厄を表す紋だと教えられた覚えがあります」
「そうじゃ。もっとも今まで、確認された『負の紋章』は二つ。『灰塵』と『涸渇』。わが子で三例目ではないかと言われておるが、過去の二例に比べれば可愛らしいものじゃ」
くっと皮肉げに口元をゆがめ、奥方は喉を潤すために紅茶を飲む。
シドも喉が渇いていることに気がつき、テーブルの上からカップを取り、火傷しないようにそうっとカップに口付けた。
『灰塵』と『涸渇』その名はフェリス国民であれば戦々恐々と恐れを覚える紋章の話だ。小等部の十歳になるかならないかの歴史の授業で習った。『灰塵』はとある農村で生まれた。生まれてすぐに両親に触れて灰にし、生後1週間目に自分の手で自分の頬触れて、灰となって死亡した。その1週間の間に赤子をどうにかしようと手を触れた者たちは次々に灰になって消えてしまった。それだけではない。灰になってしまったものに愕き、手を伸ばしたものも灰に触れた途端同じ灰になって崩れ落ちたといわれている。そのため、知らせを受けてやってきた騎士団が見たものは村一面の灰の山だったと伝えられている。
もう一つの『涸渇』は水分を涸渇させてしまう紋章だった。そのため、『涸渇』の紋章を持った赤子は水分補給ができなかったので生後すぐに死亡。その赤子が眠っていたゆりかごの側でからからに干からびた状態で両親は発見された。その赤子が生まれた場所は当時、美しいと評判だった湖がある町だったが、一夜にして湖の水が干からびてしまい、それを不信に思った町の人間が原因を探している際に、『涸渇』の赤子が見つかったと言われている。そして、『涸渇』が涸らした湖は二度と水を湛えることはなかった。そのため、町は寂れついには荒廃していったそうだ。
『灰塵』は正確な年はわかってはいないが、二百年ほど前の事といわれている。また、『涸渇』は百年前の話だ。その二例の『負の紋章』が確認されてから、段々と『紋祥』は『紋章』と読まれるようになっていった。今もってその恐怖は国民の中に根付いている。
『紋章』は確かに便利だが、決して驕ってはならない。そう締めくくって、歴史の授業が終わったのをシドは思い出していた。
ふぅっと小さなため息をシドの耳が捉えた。思考を飛ばしていたシドはその音につられるように、いつの間にか俯いていた顔を上げて、前を見る。
「……わが子は生まれながらに、呪いを背負ったと周囲の心無い人間から言われた。確かに、わが子の周りでは近づくものに不吉な出来事が起こる。幸い死者は出てはいないが、決して、軽い怪我では済まないものが多々起きた。まるで『負の紋章』を背負った者たちのように。………のう、田舎者よ。わが子は許しがたい罪人であったのであろうか?」
憂う表情で奥方は言う。その声音にはどうしようもない憤りが混ざっているように感じた。
シドは、奥方を見つめ、自分が何を言いたいのか考えた。
「違うと思います。だって、本当に罪人が今生で罰を与えられるというのなら、もっと『負の紋章』を得たものがたくさん現れてもいいのではないですか? 歴史に残っているような凶悪な犯罪者って、二人だけなんてことってないでしょう? それに、ヴァリアス様と逢って、話して、僕は普通の人にしか見えなかったです。人を殺したり、凶悪な犯罪を犯すような方には見えなかった。むしろ、人に害を為さないように閉じこもっているように思えました。前世、なんてものは僕には判りませんが、今のヴァリアス様は優しい人だと思います」
言い切るシドに奥方は暫く、じっと見つめた。シドも視線を逸らさなかった。逸らしたら、今思ったことが信じてもらえないと思ったからだ。




