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東地区とはレーネ川を挟んで向こう岸にある、王都の南に位置する場所に建てられた南地区の貴族街は閑静な屋敷が点在していた。
国の象徴ともいえるレーネ川は王都の南東に佇むクガン山の清水を源流とし、王都の西寄りをカーブするような形で北東に抜け、遥か彼方の海へと続いている。ちょうど、王都の中心に位置するところで、川幅は広くなり、向こう岸が霞んで見える程度の距離になっている。レーネ川の水は涸れることなく、建国当時からとうとうと水を湛え人々の営みを見てきた。
レーネ川の本流はどこも川幅の差はあれど広く、橋を架けるのは一苦労。唯一かけられているのは東西北を一つにつなぐ変則的な三叉のようなの形をした橋で、その名も『レーネの鉾』。
『レーネの鉾』は東西北それぞれの地区のどこか一箇所につながっている。だが、この橋は近場なら便利なものだが、あいにくとシドが出てきた屋敷からは半刻近く歩かなければたどり着けないところにあった。そんな橋の近くにいなかったり行く場所が橋より遠い場合、向こうとこっちを行き来するのに良く用いられるのが船だ。
レーネ川にはつねに様々な種類の船が浮かべられていた。漁師の使う舟。貴族が所有する小型帆船や観光用の屋形船。それに、王都民の交通手段として利用されている相乗り船だ。相乗り船は一直線に岸と岸を渡るためのもので、等間隔に川に沿っていくつか停留所がある。低料金で乗れるので、民の頼れる移動手段だ。
シドは東地区の外れの屋敷から歩き、レーネ川を渡るために相乗り舟に乗って向こう岸へと渡り、貴族街を目指してまた歩いた。
三十分近くかけて貴族街にたどり着いたシドは、先輩メイドに言われた通りの道を歩き、雇い主へと会いに行こうとしていた。
中を見せないようにしているのか、背より高い塀の壁の圧迫感を感じながらもシドは覚えた道順を小さく口に出しながら歩く。
何度か門扉の前を通るたびに屈強な門兵に鋭い視線を向けられ、すっかり縮こまってしまい、表情も行動もびくびくしていた。
「……で、次の目印が確か、葡萄の収穫をしている三人……って、あれ?」
言われたとおりの道順を歩いていたはずなのに、少し違ったものを見つけてしまった。
「おかしいな、確かにこの道を歩くと花壇の中央の煉瓦の壁に三人の収穫している人がいるって、言っていたはずなのに……」
シドは目印を失わないように横目で見ながら探していたのだが、壁の途中にあった出っ張った花壇の壁の中央のレリーフは一人足らなかった。よくよく見ると、左側の一人がかけている。元は、右の一人が木の棒のようなものを持ち、中央の人間が中腰で籠を抱えている。そして、左側の人間が葡萄を取っていたのだろう。手の部分が葡萄に伸ばされているところだけはかろうじて残っていた。風化したのか、何かがぶつかって壊れたのだろうか。削れた部分は当初であれば尖がっていたであろうが、今や丸みを帯びて平らになりつつある。
素人目で見たところ、かなり昔に三人目は居なくなったようだ。シドは首を傾げつつも、先輩に言われたレリーフだろうとあまり気にすることなく、次に言われたとおりに通り過ぎることにした。
レリーフのあった壁の角を曲がり、あっているのか時折不安になりながらも、やっと教えられた家にたどり着いた。門扉は先輩が言ったとおりにどこにあるんだよ、とツッコミたくなるくらい塀伝いに歩いてやっと見つけた。鉄製の門には幽霊屋敷と同じ、ウィルフズ家の紋章の狼の横顔がつけられていた。
「ここかな?」
日差しの照りつける中歩いていたため、汗が首筋から一筋流れる。喉の渇きを覚えたのは、見知らぬ土地に緊張して所為もあるだろう。
シドは喉を湿らそうと、大きな音を立てて唾を飲み込んだ。
彼の目前に見える門の向こう側には、日の光に照り映える瀟洒な屋敷があった。建物は中央に半円のアーチがあり、その上にガラス窓がつけられ、日光が屋敷に降り注いでいる。アーチの奥に玄関があり、そこを中心とし左右シメントリーになっていた。
少し視線を下にすれば、屋敷まで続く石畳の道には雑草の一本も生えておらず、その周りを刈り込まれた芝がまるで、石畳の灰色を引き立たせるように敷かれているのが見えた。
自分の雇われた屋敷との、あまりの大差にシドはぽかんと顎の筋肉を引き締めるのも忘れ、眺めいってしまった。