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12-4

意気揚々とまずは仕事着に着替えようと、調理場のほうへ引き返そうと数歩歩いた。

 鼻歌を歌いそうなほど機嫌の良くなったシドの耳がカタンッとどこからか籠もったような音を拾った。

「んん?」


(何の音だろう?)


 前に誰かがいたような気配を感じたことのある部屋の中からだったような気がした。音の出所を探るようにシドはふらりと音がしたと思うところへと近づく。

 何気なく、シドは部屋の前に立ち、また窓でも開いているのだろうか、と考えながらドアに手を伸ばした。次の瞬間。


 ドゥンッ!


 シドの耳元で馬鹿でかい音が響いた。

「~~~~~っ」

 衝撃、混乱、耳に響く不快音。続いて自分の呼吸が止まった感覚だけが妙にはっきりと分かった。

 唸っていたのか悲鳴を上げていたのか、シド自身わからなかった。もしかしたら、声にならない叫び声を上げていたのかもしれない。


 何が起きたのか、という考えは思いつかず。シドはただ身体全身に響く痛みと、自分の骨がぎしぎしと揺れるような感覚だけを味わっていた。

「――――っ!」

 キーンという耳鳴りの中に何かの音が聞こえる。その音が気になり意識を集中しようとして、シドはやっと自分が吹き飛ばされたのだと気がついた。


(なにが、いったい……)


 自分が今どんな状態になっているのかも判らない。目が糊でもくっついたかのように開かないことに驚き、不安を覚えた。

「ふっ……うぅう」

 シドは自分が呻き声を上げていることにようやく気づき、唇から細く息を吐く。ついで、息を吸っていないことに思いあたり、口を開いて呼吸すると、埃が盛大に口の中に入りこんで噎せた。

「うぇっ! げほっ、ごほっ……うぅ、げほっ!」

「………怪我はっ!」

 シドの耳がヴァリアスの取り乱した声を捕らえた。


(ヴァ、リ……アス様?)


 喉に痛みを感じながら、シドはようやくいう事を聴き始めた瞼をゆっくりと動かす。何度か瞬きして、眼をひらいた。

 ぼやけた視界の中に、石ころのようなものが見える。数度瞬きをして焦点を合わせると、石ころは崩壊した壁の一部だということが分かった。


「! っ……なっ! ごほっ」

 驚きに息を呑んで、また噎せた。ひりひりする喉の痛みに眦に涙をためているのに、咳が止まらない。瞼を一度閉じたシドは一滴涙を零した。


 不意に被さる様に影が出来る。

 影に気がついたシドが眼を開けると、自分が廊下の壁に激突し、足を投げ出す格好で座っていることにようやく気がついた。


 シドの近くには罅の入ったドアが転がり落ちている。先ほどより視界がすっきりすると、現在の状況が目に飛び込んできた。シドが今しがた近づいた部屋が爆発したようだ。

 どうして、屋敷内で爆発なんて起こったんだ、と考える余地を挟ませないような惨状が目の前に広がっていた。


 部屋を仕切っていたはずの壁は壊れ、本来なら見えないはずの使用人のホールとして使われていた部屋の内部が見える。

 まだ手付かずで埃が積もっていたとはいえ、整然と並んでいたはずの椅子とテーブルは爆風で吹き飛んでしまっていた。椅子の一部は足が折れて、あちこちに倒れている。テーブルは真ん中辺りから尖った裂け目を作り真っ二つに割れている。


 窓ガラスは殆どが原型などが想像できないくらい粉々になり、かろうじて大きな塊がいくつか窓にそっと添えられている。いつ、外れて床に落ちてもおかしくはない状態だ。

 カーテンレールは壊れ、カーテンが斜に広がり風が舞い込むたびに弱弱しく靡いている。


「うっ……わ……」

 自分が何に巻き込まれたのか、シドはやっと思考が動き出し理解した。

 すと、シドの眼をひいたのは扉があったであろう位置より少し部屋奥。床の一部が黒くこげているのが分かった。


 ぞっとシドの背筋が恐怖に震える。

 今まで、散々な不幸を体験してきたが。こんなにも、命の危険を感じたのは初めてだ。

「………おい」

 シドを覆っていた影が口を開いた。

「……あ……」

 まだ幾らか、ぼうっとした頭でのろのろと顔を上に向けると、そこには表情を一切排除したヴァリアスがシドを見下ろしていた。

「……去ね……」

 押し殺した声で、搾り出すようにヴァリアスが言った。


「え?」

 シドは一瞬何を言われたのか判らなかった。そんなシドに苛立ちを感じたのか、無表情だったヴァリアスの顔が微かにゆがみ、一切の遠慮をせずシドの腕をきつく掴み、立たせようと引っ張り上げた。

「いっ………ちょっ」

 痛みに顔を顰めるも、ヴァリアスは手心を加えないので、シドは為すがままに立ち上がらせられ、そのまま歩かされた。


 急に立ちあだり、めまいを感じる。シドはふらつく身体に鞭を打ち引っ張られるままに歩いていく。

 ヴァリアスは歩みを止めず、ひたすら無言でシドを連れて行く。

 段々と散らばっていた思考がまとまり、自分がどうしてかヴァリアスに腕を引っ張られて歩いていることに疑問を抱いた。


「ちょ、ちょっとヴァリアス様! ど、どこに向かっているんですか!」

 ヴァリアスは答えず、二人は飛び散った瓦礫を避けながら歩き、調理場についた。手当てでもしてくれるのだろうか、とシドは束の間思ったが、ヴァリアスはそのままずんずんと歩き、簡素な机に置いてあるシドの荷物を、シドを捕まえている手とは別の手で取り、そのまま勢い良く戸口を押して裏口から出て行く。


「ヴァ、ヴァリアス様?」

 手当てではなく、シドの荷物を持って庭に出たヴァリアスに、シドは何をしようとしているのかまったく理解できず、ただ屋敷の主の名を呼び、ついて行く。

 ヴァリアスはそんなシドの戸惑いに耳を貸さず、庭を抜け、ついには屋敷の門の前についてしまった。

 そこでようやくヴァリアスは立ち止まり、シドの方へ顔を向けた。


 シドは目の前の屋敷主の名を呼ぼうと口を開こうとしたが、その前にヴァリアスが掴んでいたシドの腕を放し、持っていた荷物を放り投げるようにして渡した。

「うわっ! っと。……ヴァリアス様? あの、これは一体どういうことですか?」

 投げつけられたシドは危なげなく、荷物を両手で抱え、ヴァリアスに不安そうな目線を送りながら、問いかけるも、ヴァリアスは表情をなくしたかまま、またシドの腕を片方の手で掴み、もう一方で、門の戸を開く。そのままシドの腕を掴んでいた手を力任せに引っ張り、門の外へと追い出した。


 自身に碌に力が入らなかったシドは勢いがついて身体の均衡を崩しながら二三歩前のめりに歩を進めるも、こけるような事は避けられた。

 ヴァリアスが何故追い出そうとするのかを問いただそうと身体を反転させたシドが見たのは、門扉を無常にも閉め、がしゃんと音を立てて閉まる鍵の音だった。


「! ヴァリアス様どうして追い出すんですか!」

 慌てたシドは荷物を地面に放り出し、門をすがるように掴みながらヴァリアスに問いかける。

「さっさと去ね!」

 門を閉め一歩後ろに下がったヴァリアスの目は暗く、きつい口調でシドを牽制する。

 シドは彼の瞳を見て、喉を詰まらせた。その瞳はあまりにも暗く、何もかも飲み込んで闇の中に消えてしまいそうだった。


「今日までの給金は、父上の元に行けばもらえるであろう。あとで手紙をしたためておく。いままで、良く世話をしてくれた。……二度とここには来るな。………去ね……」

 肌はいつの間にか幽鬼のように青白くなってしまっている。ヴァリアスは押し殺した声で言うと、そのままシドに背を向け屋敷のほうへと歩き去っていってしまった。


「……………」

 ヴァリアスの顔を見て、シドは何もいえなかった。ただ、見送る背中がなぜか今にも消えてしまいそうで、シドは言いようの無い感情を胸中に抱いた。


(な、なんで……?)


 何故、どうして、そんな答えが見つからない文言ばかり頭の中で浮かんでは消える。ヴァリアスの姿が見えなくなった後もシドはどれくらい門を掴み、ただ立ち尽くしていたのだろうか。途方に暮れたシドの額から何かが流れているような不快感をふと感じた。


「……なんだ?」

 流れている何かを手でぬぐう仕草をし、眼前に持ってくる。シドは手についてあるものに愕然とする。

 手にはべったりと血がついていた。

 シドが思い起こせるこれまでの『不幸』の中でここまでの流血は始めてのことだった。


「うそー!」

 思わず叫び声を上げるシドの脳裏には去っていくヴァリアスの姿が焼きついて、なかなか消えてはくれなかった。

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