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12-3

「……ちっ」

 ヴァリアスが小さな舌打ちを鳴らし、踵を返して去ろうとする。シドはその行動に気がついて、やっと脳が再活動した。


 すでにヴァリアスは調理場をでてしまっていた。シドは慌てて追うように廊下に出ると、彼は少し先のほうで歩調を緩めず歩き去ろうとしている。

「ま、待ってください! ……っぅわ!」

 走りより、ヴァリアスに止まってもらおうと腕を掴もうと手を伸ばしたシドは目測を誤り、腕を掴みそこねた。そのまま、勢いがついた膝ががくんと折れて、咄嗟に掴んだのは、ヴァリアスのシャツの裾だった。


 掴まれたヴァリアスは硬直し、シドは廊下で膝立ちの状態でヴァリアスを見上げるような格好になった。

 油の切れたブリキのように、ぎっぎっと首を大事げに動かして、ヴァリアスがシドを見下ろした。

「「…………………」」

 お互い、この状態に何を言ったらいいか判らず、しばし見詰め合いながら無言を通した。


 見つめながらもシドは内心では、半ば焦りすぎて思考が真っ白になりそうになっていた。

(な、なにこの格好。いや、何を言えばいいんだこの場合! だれかー。リエッタサーン後輩を助けてクダサーイ)

 先輩の名前を心の中で叫びつつ、シドはうっすらと目に涙を浮かべながら思いついたことを口に出した。

「えーあー。お、おはようございます?」

 疑問系になってしまったのは、それだけ焦っている証拠だ。


 シドの挨拶にヴァリアスはというと、彼もまた硬い表情のまま、シドを見下ろし何かを逡巡しているように見えた。

「…………ああ」

 ややあって、帰ってきた返事に、緊張の箍が外れてしまったのか、シドは思考するより前に口が勝手に開いてしまった。

「あ、あの、そうだ。僕、もうちょっと使用人らしくしたほうがいいですか?」

「……は?」

 ヴァリアスは何を言っているんだと言わんばかりに、端的に返す。


「ほら、先ほどマークさんが言っていたじゃないですか。僕は使用人としての自覚が無いようなこと。いや、そんなつもりは無いんですけど。まあ、どうすれば良いのかわからないというか。やっぱり、貴族の方に一応掃除係といっても仕えているので、それっぽく? っていうんですか? そうしたほうがいいのかなぁ、って思ってみたんですが……」

 自分でもまだ良く纏まらない考えでなんとか言葉にするも、何が言いたいのか、言っている本人も何が言いたいのか判らなくなってきた。

 シドの混乱具合を気がついているのかいないのか、ヴァリアスはシドの言葉に返事を返さず、じっとシドが掴んでいる裾と指先を凝視している。

「……あ、すみません」

 ヴァリアスの視線の先に気がついたシドは、謝罪してさっさと手を離した。その瞬間ヴァリアスは離れていく手に、安堵と戸惑いと未練が混ざった微妙な表情になったがシドは軽く下を向いて立ち上がろうとしていたので気がつかなかった。


 シドは一歩分ヴァリアスと距離を開けて立ち上がった。何を言われるのかと戦々恐々として俯き加減のシドにヴァリアスは端的に言葉を発した。

「別に貴様の言葉使いなぞ、いちいち気にも留めん」

 言うや、ヴァリアスはシドに背を向け、歩き去ろうとする。シドは去っていくヴァリアスに

何も言葉を言えず、ただ目を瞬かせて視線で追うことしか出来なかった。 


 自分のことなど特に気にしてはいないのだろうか。そんな風に思えてしまう言葉に、シドは今までのがんばりを否定されてしまったような気がして、気落ちしそうになった。

「……あっ!」

 視線はまだヴァリアスの背を追っている。その視線が歩いて揺れるヴァリアスの髪の隙間から覗く耳が赤く染まっていることに気がついた。

 否定的ならそんな風に赤くなるわけが無い。ならば、どうして。

 それを考えていると、じわじわと湧き上がってくる感情が表れた。

 ぶっきらぼうだが、優しい人だ。

 気にしていないわけじゃなく、戸惑っているシドに気にするな、と言いたいのではないか。 

 シドの口元は僅かに緩んだ。自分のがんばりを認めてくれたような気がして、ぎゅっと胸の辺りが熱くなるのを感じた。そして、その歓喜の心のままヴァリアスの背に向かって声をかけた。

「ヴァリアス様! 今日の夕飯は何か食べたい物ってありませんか?」

 背後からの意外な言葉にヴァリアスは束の間足を止める。


 振り返ることも無く、ただ立ち止まっているヴァリアスに、段々と冷静さを取り戻していったシドは聞いてよかったのだろうかと、戸惑いを感じる頃になってやっと、ヴァリアスは顔だけを横に向けた。その表情は口をへの字に曲げ、眦をきりきりとあげていた。今までに見たこと無いような、感情を表しつつ口を開いた。

「前に食べた甘めのポテトサラダ……」

 二人の距離は結構離れていたが、他に人がいない廊下の所為か、ヴァリアスのかろうじて聞こえる程度の声音だったがシドの耳に良く届いた。

返答があったことに、シドは嬉しくなり頬を緩める。

「判りました! 腕によりをかけて作りますので、楽しみにしててください!」

 背をピンと伸ばして胸を反らし、朗々と答えた。

 ヴァリアスはそんなシドに軽く目を見開き、ちらと一瞥して今度こそ差さっとした足取りで廊下を去っていった。

 ヴァリアスの背が見えなくなるまで見送り、シドは気合を入れるように拳を握った。

「よしっ。がんばろう」

 小声だがその言葉には力強さが篭っていた。

「まずは、屋敷の掃除だな。……目指せ、脱幽霊屋敷だ」

(やるぞー!)

 脳内で拳を突き出しながら叫んだ。

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