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「さぁて、シドでシドをからかうのもこれくらいにして、仕事仕事」
うーんとリエッタは腕を伸ばしてから、腕を下ろして腰に手を当てながら言った。
「さらっとひどい事実を発言しないでください」
先輩のからかいに後輩は朝から大ダメージを受けっぱなしだ。
「はいはい。気をつけるわ。……ところで、シド。ここで仕事を始めてもう七日目だけど、なにか知りたいことや気になることはある? 私の解る範囲なら教えるわよ?」
「……リエッタさんが先輩みたいだ」
頼りがいのある発言に、思わずぼそっと呟いてしまったのは、先ほどまでからかわれていた後輩の心情からすれば仕方が無いだろう。
シドの小さな声を耳で拾ったリエッタは唇を尖らせて不満げな表情になった。
「うんっと先輩よ。でも、まあ、ちょっとからかいすぎた、と思ったのよ」
リエッタの声音は困ったようでいてまたどこか優しい感じで、ちょっと拗ねた口調だった。きっと、ごめんなさい、も含ませた言葉なのだろう。
「そ、そんなに気にしていないですよ。……えっと知りたいこと、ですか。そうですね……」
シドは元気な印象からがらりと雰囲気が変わり、急にしおらしくなったリエッタにドキンと心臓が跳ねた。
ドギマギしながら、言葉を詰まらせつつシドは必死に頭を回転させ、何か聞きたいこと、聞きたいこと、と念じるように考えていると、一つ気になっていたことを思い出した。
「あ、そうだ! ヴァリアス様って、ちゃんと食事しているんですか?」
「坊ちゃま? 食事ならしているわよ、当然じゃない。物を食べないままで生きていられる人間はいないじゃない」
変なことを質問する、と表情に表しながらリエッタが言う。
「あ、いえ。そうなんですけど、そうじゃなくて。……食材の減り方が、妙な感じがしもので」
「妙?」
「はい。だって、毎日毎日、減るのは葉物野菜の葉が何枚かや人参にが一ニ本。それにパンが少しだけですよ? 痩せようとしている女子だって、もう少しは食べると思うんですけど……。僕だったら、腹を空かしてひもじいと思っているような量です」
しかも、コンロなど火気類を使った後も無く、食器は綺麗なまま。一体どんな料理をしているのか皆目見当が付かない。
「ああ。坊ちゃまって書斎から殆ど出てこないから、お腹がすかないようなのよね」
「え。じゃあ、野菜とパンがちょっとがいつもの食事量なんですか? ……いつ食べているんですか?」
「ん? シドが帰ったあと、よく夜中にこっそりと調理場に現れては、果物とか生で食べられる野菜を齧ってから、また書斎に戻っているわよ?」
リエッタは家の主の実態をあっけらかんとばらした。
「………………」
あまりの行動にシドは暫く言葉が出なかった。
「………………え? 野生動物?」
ようやく出てきた言葉は、頭の中に疑問符を一杯溢れさせながら呟いた。
「…………否定…は、辛うじてし難いわね」
「いえ。そこは否定したほうがいいかと……え? 本当に野生動物じゃないですよね?」
「……………」
「……無言にならないでください」
(……ああ、そうか)
シドはどうして家主が野菜を齧っているだけで食事を済ませているのか、なんとなく判った。 あの調理場は使われていなかった。つまりはそういうことだ。きっと、ヴァリアスのために食事を用意する者がいないのだ。荷物を運んでくるマークがいい例だ。荷を置けばそそくさと帰っていっている。そんなウィルフズ家の使用人にヴァリアスの食事を用意する人間は皆無なのだろう。ならば、出来物を運ぶなり、外部の人間を雇えばいいだろうに、そうしないのは何故だろう。
(………って、僕が外部の人間か。職業斡旋所から来たんだし。………だから、か?)
ウィルフズ家の当主が息子の世話も、といったのは。本当に、この屋敷にはヴァリアスしかいないのだ。こんなに広いのに、なんて寂しいところなのだろう。
「シド? どうかしたの?」
「はっ! あ、いえ。なんでもないです。……そうだ。今日は玄関ホールを掃除するのは止めて、二階の書斎に続く廊下を掃除しようと思うんですが」
自分の考えに没頭していたシドは、リエッタに声をかけられ慌てて答えた。
「廊下? なんでまた」
「いや、ほら、ヴァリアス様は殆ど書斎に篭っているけど、夜になると廊下を通ってくるんでしょう? あの二階の廊下の不気味さが、掃除すれば少しは減るかなぁって思って。僕、正直昼でもあの廊下はあんまり歩きたくないくらい怖いので、綺麗にして光を取り入れたら、怖くはなくなるかと……思って……」
最後のほうは声が小さくなってしまった。男の子が怖いというのはなにやら気恥ずかしい。
「あら? もしかして、シドって幽霊がだめなの?」
「うっ! 別にだめって訳じゃ、ないです。ちょっと、苦手なんです」
「えー。どの辺りが?」
「幽霊って透けてて、突然現れて、人の言葉に耳を傾けない印象があって……。色々な不幸にあっていますけど、幽霊系は未だに一度もあったことが無いので、このまま遇いたくないですね」
「あらら。そんなに怖いんだー」
「怖いんじゃなくて、苦手です! そこのところはきっちり違います」
「はいはい。ご愁傷様ー」
シドの拘りにリエッタは軽く手を振って軽く返す。
「うー。真剣に聞いてませんね」
「聞いているわよー。ふふ。今日こそがんばって不吉なことに会わないようにねー」
ひらひらと手を振りながら、リエッタはシドの脇を通り過ぎて調理場のある廊下のほうへと歩いていった。シドはその後姿を首を捻って視線で追った。リエッタのエプロンの紐が綺麗な蝶々結びになっていて、羽根を広げた白い蝶々がリエッタの腰の辺りに止まり、歩いていくたびに揺れているように見えた。その後姿に、シドは少しだけ心が躍った。
「……っと。掃除掃除」
いつまでも、先輩の後姿を見ているわけにもいかない。シドは気合を入れなおして、手に持っていた掃除用具を握りなおし、急いで玄関ホールの中央にある階段から二階に上がっていった。




