表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/85

7-4

 ヴァリアスが完全に見えなくなって、シドは肩に入っていた力を抜いた。

「はぁ……良かった…良かったよね?」

 たぶん、おそらく大丈夫、と心の中で付け加えつつ、シドは何かに惹かれるように倒壊した納屋のほうへ視線を送る。シドの視線の先で、もぞもぞと何かが動いている。それがなにかを脳が認識した瞬間シドはぎょっと目を剥いた。


「リ、リエッタサン!」

 驚きのあまり、言葉が悲鳴交じりの片言になってしまったがシドには気にする余裕は無い。先ほどハンケチを振りつつ、逃げ、いや、仕事に戻ったはずの先輩がいつのまにか納屋の傍でしゃがみこんでいるではないか。


(どうやって、湧い……じゃない。現れたんだあの人)

 もしかして、瞬間移動の魔法使いなのだろうか。それなら、今までの不意をついて現れてくるのも頷けるが、シドは紋章研究者の父親に昔、瞬間移動の魔法は紋章をもってしても『どこ』に行きたいのかや、行った先の場所を『思い浮かべる』事をしないとちゃんとたどり着くことが出来ないと聞いたことがあった。しかし、リエッタは『どこ』に行くなどの言葉を発したことが無い。


(いや、僕の傍から離れるときは、歩いているっけ?)

ならば、やはり瞬間移動の魔法の使い手なのか?

(謎の先輩だな……)

 神出鬼没の不思議な先輩だが、嫌な感じはしない。驚かされても、笑って済ませてしまうのは、ちゃんと後輩にいろいろと教えてくれるからだろうか。それとも、他に理由でもあるのか。シドは自分の心中を計りきれずにいたが、今は考えても判らないだろうと、苦笑いを浮かべ、リエッタの元へと近づくことにした。


「リエッタさん、先ほどどこかに行ったようだったと記憶しているんですけど、どこから来たんですか?」

 いい先輩だとは思うが、先ほどの一件についてはきちんと文句を言っておかないと気がすまない。シドはとげのある口調で暗に、さっきはよくも逃げやがったな、という気持ちを込めて話す口調は今までより少し乱暴になっている。


 そんなシドに気づいているのかいないのか、リエッタは熱心に納屋の一点を見つめていた。それを不信に思ったシドは内心首を傾げた。

「……リエッタさん?」

 とげを抜いた口調で困惑をほんの少しだけ滲ませながら声をかけると、やっと気がついたのかゆっくりとリエッタは見上げるようにシドのほうに顔を向けた。

「あら……」

 ぼうっとした乏しい表情に虚ろな瞳がシドを見ている。

 シドはぞっとした。今の今まで生気に満ち溢れ、生き生きとしていたはずのリエッタがそこにはいない。言葉も、まるで音が零れたから零しただけのようだった。


「……あ……」

 先ほどまでの先輩に対する情が、凍りついた気がした。シドは怯えの色を含んだ音を紡ぐことしか出来なかった。

 なぜ、屋敷に戻ったはずなのに納屋の前にいるのか、なぜ、こんなにも表情が抜け落ち、恐ろしい存在になってしまったのか、そんなことを考える余裕も無く。


 怖い。素直にそれだけを感じた。

 リエッタはほんの数秒間ぼうっとした表情でシドを見つめていたかと思うと何度か瞬きをした。

「あら、シドどうしたの?」

 瞬きをした後のリエッタの目には生気が宿っており、きらきらと輝いている。下から上目使いに、首をこくりと傾げられると、シドはどきっと心臓を跳ね上げさせる以外なかった。

「え? え、ええっと……」

 あまりの変わり身に、シドは一瞬辟易いだが、すぐに気を取り直し、そっと未だ首を傾げて不思議そうに見上げているリエッタからそっと視線をずらした。ほんのり、自分の耳が熱くなっている様に感じた。

「ど、どうして、リエッタさんはここに? さっき、屋敷にもどりましたよね?」

 どもりながらも早口で聞きたいことを聞くと、リエッタは腰を浮かして立ち上がった。

「あら~? そうだったかしら? まあ、ほら、細かいことは気にしない気にしない。ほほほ」

 これは、明らかに誤魔化しているな。シドは、先ほどの逃亡を非難されたくないがために、無かったことにしようとしていると、ピンときた。思わず先輩に対してじと目で見てしまったのは仕方が無いだろう。


「そ、それより。ちょっとシド。ここを見てよ」

 ここ、と言いながらリエッタは壊れた納屋の一点を指差した。

 シドは消化できない理不尽だと思う感情が心中を渦巻いたが、ヴァリアスにも特に何も言われなかったし、下手につついて先輩との間がギクシャクするのも嫌だ。


 今度同じように逃げたら、先輩だからって知るもんか。絶対に文句言ってやる。そう心に決めて、シドは小さくため息をついて、先ほどの先輩の逃亡は忘れることにした。

「シド?」

 リエッタはシドの複雑になった心中を知ってか、知らずか、どこか困ったような声色で、名前を呼んだ。

「はい。どこを見るんですか、リエッタさん」

「ええ。ここよ。ここ。この扉のノブについている物よ」

 リエッタの指を指した先にあるものを見ようと、シドは少しかがんだ。リエッタの指の先には真ん中から真っ二つに割れた扉の残骸があった。そのノブには一本の紐がつけられていた。


「結構しっかりとした紐、ですね」

 なんの紐だろう。シドはそっと手を伸ばし、ノブに引っかかっていた紐を手に取った。

「これ、何に使う紐ですか?」

 紐の用途がわからず、シドは両手に紐の端を持って目の前で広げ、まじまじと眺めた。紐は赤みがかった紫色で、三本の紐が捻られ一本に纏められているので太めで重量感があった。長さはシドの肩幅くらいで、一端には紐と同じ色の大きな房がついている。

 紐の左右を上下に動かしながら、シドは見たことがあるようなその紐の名前を思い出そうと頭を捻った。


「もう。判らないの? これは、カーテンを柱に一纏めにしておく紐があるでしょう? あれよ。ループっていうの」

 リエッタはシドが持ち上げて眺めているループの向こう側から、呆れた表情を覗かせた。

「あー。ああ。あれですか」

 シドはリエッタに言われた物を想像しながら、頷き返した。確かに、自分の家でもカーテンが邪魔なときに紐で一纏めにしている。しかし、それにしては、とシドは思った。

「家のループはリボンとかで代用しているもんなんで、ぜんぜん気がつきませんでした。随分、存在感がありますね」

 家のものとは比べ物にならないくらい、高そうな代物だ。さすが貴族、細かいところまで細心の注意を払っているのか、と感心しながら、ループを一旦、目の高さから下に下げた。


「そりゃあねぇ。屋敷のカーテンを見た?」

 片方の腰辺りに手を添えて、リエッタは微苦笑を浮かべた。

 先輩に言われ、シドは屋敷で見たカーテンを思い出す。

「分厚かったですね、確か」

「その通り。そんな分厚い物をほっそい紐でくくれるわけ無いでしょう? これくらい無いとカーテン一つ纏められないのよ。なんせ、屋敷のカーテン一つとっても芸術品に近い物があったりするんですから」

 これくらい、と言ったところでシドの持っていたループを指差し、リエッタは庶民には恐ろしくなるようなことを平気で口に出してくださった。


「えっ! うそ。カーテンも洗濯板で洗っちゃおうと思ってたのに……だめなのか?」

 少し青ざめながら、独り言のように口に出た。先輩の前だというのに敬語が抜け落ちるくらい驚愕の事実だ。

「だめよ。下手にやると縮むから」

 シドの独り言に近い言葉に、リエッタは無常にも最悪の結果になると教えてくれた。


「き、気をつけます。……と、ところで、このループ、いつの間に着いたんでしょうか? 壊れたときに引っかかったのかな?」

「違うと思うわ。このループは、屋敷の二階のホールのカーテンを留めておくのに使われているものよ」

「ホールってどこにあるんですか? それに、なんでその場所のものだって判るんですか?」

 両手で持っているのも疲れたので、シドは片方の手だけにループを持ちなおし、首を傾げた。


 リエッタは、腰に添えていた手を離し、胸の下で腕を組んだ。その際、腕に押されて服のゆったりとした部分がぴんと伸び、胸が強調されて見えた。シドはついつい男の子としての誘惑に誘われそうになったが、傾げていた首のまま、そっと視線を上に向けて見ないようにした。

 シドの変な行動に、リエッタは腕を組んだまま、不思議そうな顔をしたが、特にそのことについて触れることも無く、そのままシドの疑問に答えた。

「屋敷のカーテンはその部屋の内装の一部として色とか図柄とか拘りがあるのよ。掃除する時に良く見てみなさいな。部屋によって印象が全部違うから」

「へえ、そうなんですか。じゃあ、注意してちょっと見てみます。……ところで、なんでそんなループがここにあるんでしょうか?」

 もっともな疑問だ。シドは困った表情で、自分の手に握られているループを見下ろし、開いてる手で頬をかいた。


「分かる訳ないじゃない。ちなみに、私がやったんじゃないわよ?」

「え? やったって。何をですか?」

 きょとんとした顔で聞き返すシドに、リエッタは多分に呆れを含ませた、ため息を小さく吐いた。

「壊れた納屋のドアについていたのよ? 閉じ込めて押しつぶそうとした人間がいたかも知れないって考えないの?」

 リエッタに言われ、シドは初めて気がついた。間抜けにも口をぽかっと開けて、ああ、と喉の奥で唸る様に発した。


「ちょっと。本当に気がつかなかったの? なんで、そんなお気楽な頭なのよ!」

 天を仰いでリエッタは組んでいた腕を解き、手を上げた。お手上げだと言外に言っているようだった。

 このままでは、先輩にお馬鹿認定されてしまう。シドは慌てて口を開いて弁解をする。

「べ、別にお気楽に考えていたわけじゃないですよ。僕の不幸で納屋が壊れたものとばかり思っていたので、誰かの仕業だなんて考えつきもしなかっただけです」

「不幸?」 

 シドの言葉に首を傾げるリエッタ。不思議そうな顔をシドに向けるので、シドはうっと言葉を詰まらせたが、ここまで言ってしまった後にごまかしは聞かないだろうと考え、素直に自分の『不幸』な体験の数々の内、かいつまんでなるべく簡潔に話しつつ、納屋崩壊の直前についても軽く話した。


「はぁ? つまり、良い事があったりして自分ってラッキーって思ったりするとその後に、空から魚が降ってきたり、犬の大群に追い掛け回されたり、訳のわからない『不幸』に見舞われるの?」

「ええ。まあ、そうです……」

「……聞いていると、動物ばっかりの『不幸』みたいだけど?」

「あ、それは、あくまで一例でして。他には雪男に追っかけまわされたり、砂浜に出来た穴に落ちて三日間見つけてもらえなかったり、と上げるとキリが無いです」

 言いつつ、良く生きているなと、自分自身で思ってしまった。


「…………コント?」

 リエッタはどういう感情を持てばいいのかわからないのか、怪訝そうに聞いてきた。

 シドは他人から見ればそう思えるだろう、と心の中で同意して、軽く頷く。

「他には、一人見世物小屋とも言われたこともあるけど、最近では『不幸少年』と近所の皆様には認識されてオリマス」

 遠い目で明後日の方向を見ながら力なく答えを返した。


 本当に、いろいろな渾名がついたものだ。このまま行くと『不幸青年』に『不幸おじさん』最終的に『不幸老人』なんて言われ続けるのだろうか。なんとか避けたい渾名の数々だが、止める手立ては今のところ無い。

 ああ、この現在抱いている残念な気持ちも母なら豪快に笑って吹き飛ばしてくれるだろうに。父ならば、独特な口調でおっとりと話して、慰めてくれるだろう。それに、きっといずれこの『不幸』の原因を見つけてくれるはず。どうして、シドの両親は今いないのだろうか。いつ、帰ってくるのだろう……。


 ふと、考えまいとしていたことが頭を過ぎった。それがいい、悪いなどと一考する前に、シドは軽く頭を振って思考の海に霧散させた。

(だめだ。だめだ。今は仕事のことを考えないと……)

「……まあ、そういうことなので、多分これも何らかの要因が働いて僕の『不幸』が発動したんじゃないかなぁと思ったわけです」

 考えていたことを噯にもださないで、シドはどこか諦めた表情で、自分の不幸の説明を終わらせた。

「そ……そう、なの」

 話しを聞いていたリエッタは、なんと言ったらいいのか判らず、相槌を打つのにとどめた。


「まあ、そういうことなので、これ、ホールに返しておきますね」

 リエッタの表情から、返答に困っているのは手に取るようにわかった。シドはなんて事のないように勤めて明るく言い放ち、持っていたループを自分のズボンのポケットにねじ込んだ。

「え、ええ。そうして頂戴。………っと、ほらほら、時間は待ってくれないんだから、さっさと掃除に取り掛からないと!」

 シドから悲壮感がなくなったのを見て取って、リエッタもこれ以上暗いんだか、笑えるんだか判らない話は一旦終わりにしようと、いつもの先輩口調でシドに仕事をせっついた。


「うわっ! そうでした。……って、そういえば、リエッタさんの仕事って本当になんなんですか?」

 回れ右して、急いで屋敷に戻ろうとしたシドは、くるりと首だけを回してリエッタに疑問をぶつける。

 その疑問を聞き、リエッタはにたぁと、それこそ、獲物を見つけて笑う死霊の女のような顔で哂った。

「知・り・た・い?」

「……イエ。シゴトシマス」

 一句ずつ区切って言われるたびに悪寒が背筋を撫でた。シドは首を元の位置にぎこちなく戻して、そのまま、タッタッタ、と屋敷に向かって走っていく。


「あら、残念。………うふふふふ。不吉伯爵の不吉な出来事にも動じず、自身も不幸で面白い『不幸』に見舞われる……いいわぁ。……いいわねぇ。これなら……ねぇ?」

 シドの後姿を見つめながら、リエッタは満足げに目を細めて一人言葉を発する。その言葉が吹いた風に揺られて奏でていた葉の音で聞こえなかったのはシドにとって幸か不幸か。

「……まあ、どうせ汚れるんだから、このまま掃除して、明日の分は送られてきた服を着ることにしよう」

 屋敷について、シドは息を一つ吐いて気合を入れなおす。

(着替えの服を持ってきてくれて助かったなぁ……)

 ウルフィズ家の人たちに感謝しながら、シドはどこから掃除しようかと考えながら先輩に教わった掃除用具を取りに歩を進めていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ