7-2
「なっ……ちょっと! 何なのよこれ!」
ものすごい音を聞きつけ駆けつけたリエッタが見たのは、何年も使われていなかった納屋の残骸だった。
(うそっ。もしかして、シドが巻き込まれたの……)
ヴァリアスに近づいたものは何かしらの不吉な目にあう。リエッタはよくそれを知っていた。この屋敷に移ってきてから、何人かの使用人が彼の世話のためにやってきたが、その殆どが、三日以内に大怪我を負うような目にあっていたのだ。それも、たった一度だけヴァリアスと顔を合わせただけでだ。だから、今回シドは二度も顔を合わせた。なのに無事だったから、もしかしたら、長くいてくれるんじゃないか、そう淡い期待を抱いていた。
しかし、結果はどうだ。淡かった期待は霧散し、ただ、この壊れた納屋の下敷きになったシドが生きているのかも判らなという絶望感が襲う。
「……げほっ」
「え?」
リエッタは自分の耳を疑った。納屋の残骸から声が聞こえたような気がしたのだ。
「…………し、シド?」
恐る恐る、壊れた納屋に近づくリエッタはもう一度声が聞こえないかと耳を済ませた。
「げほげほげほっ!」
「! シドッ! 大丈夫!」
リエッタは矢も楯もたまらず、納屋の傍に走った。
「シド! いるの?」
リエッタの切羽詰った声に、壊れた納屋の中で何かが身じろぎした。
「だ、大丈夫で~す。……げほっ」
へろへろとした声だが、口調はしっかりしている。
納屋は良く見ると、扉と柱がうまい具合に重なり合い、空間を作っているようだ。その中からシドが埃まみれになりながらゆっくりとした動作で出てきた。
リエッタは出てくるシドを見ていることしか出来なかった。運が良かったとしか言いようが無い。空間が出来ていなかったら、シドはぺしゃんこになっていたはず。驚きと後輩の無事を確認したら他には何も考えることが出来なくなり、シドを手伝うことも思いつかず、呆然と見ていた。
何とか扉と柱の合間の隙間から這い出てきたシドはそのまま四つんばいで数歩、納屋から離れ頭から地面にこすり付けるように倒れこんだ。右腕は伸びて、手は何かを包むように丸みををつくり、左腕は横に無造作に投げ出されている。左足は真直ぐに対して、右足は曲げてくの字になっている。一見すると、ダイイングメッセージを残した死体のようだ。だが、呼吸は背中から肺が上下しているのが見て取れた。少し荒いがちゃんと息をしていることが解る。
リエッタは表情を硬くしたまま、シドの近くまで歩み寄った。
「だ……大丈夫なの?」
「は、はい。なんとか……」
リエッタの言葉に、シドは地面に突っ伏していた頭を擡げ、死体のようにピクリとも動かなかった腕がゆったりとした動作で、すこし体を浮かす。そのまま、横に転がり、仰向けの状態から、足を投げ出したままの格好で、肘を支えに上半身を起こした。
「……ふぅ」
どちらとも無く、二人して似たような安堵のため息が漏れた。その瞬間。
メキッ……。
扉だった部分から不吉な音がした次の瞬間。
ガラガラガラッ!
「……………」
二人は目を見張った。かろうじて納屋と判っていた建物が、派手な音を立てて崩壊し、木々の残骸に早変わりしてしまったのだ。
暫く呆然と納屋だったものに視線を釘付けにしていると、舞った埃が鼻につき、どちらともなく咳き込んだ。
「けほっ。……け、けがは無いの?」
「え、ええ。ないようです。ごほっ」
「……これって、不吉伯爵の呪が発動したのかしら? それにしては、あんた。無事よね?」
「へ?」
てっきり、自分の『不幸』が起きたとばかりに思っていたシドは、リエッタの指摘に、そういえば、と埃に噎せて涙ぐんだ目を指の腹でそっとぬぐって考えた。
(いつもみたいな、摩訶不思議な現象じゃなかったよな…。建物の倒壊って普通すぎるような気がする……)
まあ、物がからくりの様に動いて起きた現象という時点で不思議なことかもしれないが、いつものように空から鶏が降ってきたり、竜巻に服だけを持っていかれてパンツ一丁の姿になったりするようなことじゃなく、命の危険をかなり本気で感じた事象は初めてかもしれない。
「……なんてこと、無いわよね? って、ねえ。聞いてるの?」
自分の『不幸』なのか、それともヴァリアスの『不吉な呪』なのか、思案に暮れていたシドの耳にリエッタの苛立った声が聞こえた。
「え? あ、は、はい! なんですか?」
顔を上げて声のほうを見ると、リエッタが腰に両手を当て、くいっと眉を跳ね上げ、シドを見下ろしている。どうやら無視していたようでご機嫌を損ねてしまったようだ。
「だから、これで止めるなんて、言わないわよね? って聞いているのよ」
きょとん、として言葉を聞いているシドに些か心配が湧き出てきたリエッタは強気だた表情を潜め、どこか途方に暮れた顔になりそうになった。だがここで、そんな顔をしようものなら、気弱な気質が移って、やっぱりやめます、などといって逃げられるかもしれない。それだけは、阻止せねば。
(そうよ。やっとご主人様に出会ってもぴんぴんしている人間が着たんだもの。なんとしてでも、長く留めて置かないと。私のためにも!)
腰に当てていた手で拳をぐっと握り、リエッタはあえて表情をきつくした。
「え、ええ。まだ、掃除もしてませんし、仕事はしますよ?」
「……あ………そう」
気負う事無く言われ、リエッタは拍子抜けした。
(……なんか、私がバカみたいに気を張ってたみたいじゃない)
「じゃ、じゃあ、さっさと掃除しなさいよ。というか、なんでこんな庭仕事の道具しか入っていない納屋なんかにいたのよ?」
「えーっと…掃除道具を探しに……?」
シドの答えにリエッタ盛大にため息をついてやった。
「あのね、シド。こういうお屋敷はきっちり場所が別れているの」
「? はい」
先輩が話しているのに足を投げ出したままは失礼だろうと、シドは投げ出した足をそろそろとリエッタに気がつかれない様に動かして、体育座りのような格好になった。
「いいこと? 貴族のお屋敷はたいてい地下も含めて三階から四階建ての建物が多いの。その広い分一つの掃除用具で済ませようなんて思ったら、いちいち階段を担がなくちゃいけなくて大変だし、重たい物を持っていくだけで時間が無駄になることが多いでしょう?」
「はい。そう言われると、そうですね」
「それに、使用人が掃除用具を担いで階段に上がっている所を主人にうっかりでも見つかって御覧なさい。みっともないって言われるわよ」
「そうなんですか?」
先輩の言葉にシドはいまいち納得できなかった。別に、掃除道具を持っていてもいいような気がするのだ。
そんな、納得していないのが丸判りの後輩にリエッタは、しょうがない子、と言わんばかりに僅かに慈愛を滲ませて吐息を零した。
「そうなのよ。いい、使用人足る者、主人に恥をかかしてはいけないの。たとえば、そうね。もし掃除道具を担いでえっちらおっちら階段を上っていたとき、うっかり主人と出会ってしまいました。その時、主人はお客様と連れ立ってサロンに行く途中だったのです。……さあ、どう思う?」
「……えーと。客の前で掃除をするのは、さすがに失礼かと…おもい、ます」
「そうでしょう? でも、そういうのは日ごろの癖でついやっちゃった。じゃすまないのよ。特に、貴族だとその一回で醜聞として他の貴族に流れるの『あそこの家では使用人の教育がなっていない』ってね。そんなことにならないために、普段からそういう無作法はやってはいけないのよ。だから、主人に見つかったら怒られるの……判った?」
「はい。……あの、それで……」
先輩の言葉は使用人として新人のシドには重く感じた。しかし、知らなかったではすまない話なのだろうと言うことはわかる。唯でさえ、『不幸』なことが起こりきっと迷惑をかけることは簡単に予測できる。だから、なるべく先輩の言葉は守ろう、主人に恥をかかすような使用人にはならないようにしよう、と心に誓った。
「そうそう。それで、最初の話よね。掃除用具とかはその階ごとに一通り置かれているのよ。この屋敷は地下がない二階建ての家だから、左右の棟の一階と二階の一箇所ずつ、四つ掃除用具入れがあるわ。ついでに言うと、庭の手入れ用具は庭に、屋敷の掃除用具は屋敷に、と言う具合に必要な物は必要な場所の近くにあるように機能的なのが貴族の屋敷だから。そこん所はちゃんと覚えて見当違いなとこを探すのは止めときなさいな」
胡乱な眼差しで先輩に見られてしまった。シドは数十分前の自分の見当違いな探索が急に恥ずかしく感じ、体育座りしていた足を更に体に近づけ、なるべく小さくなった。
「そうします……」
しょぼんと項垂れながら言葉を返した。
仕事初日の後輩を落ち込ませすぎたか、とすこし反省したリエッタは苦笑を零した。
「ほら、せっかく仕事に来たんだから、板の間一枚くらいの分の埃を落として頂戴な!」
気分を浮上させようと、リエッタはわざと明るい口調で言った。
シドはそんなリエッタの明るい口調にそっと顔を上げ、口元を力なく緩めた。
「そうですね。仕事に来たんだから、仕事、しないと……」
言葉に力は無いが、気分を入れ替えるように膝に手を置いて、ゆっくりと立ち上がり、腰を伸ばした。腕を後ろ上に軽く伸ばした状態で、シドはふと目の前の現実を見てしまった。
「……あの、リエッタさん」
「? なあに?」
眼球運動が段々と激しくなり、周囲を警戒するような挙動不審になったシドに不思議そうに首を傾げてリエッタが聞く。すると、シドは上げていた腕を下ろし、一点を指差し、恐ろしいものでも見たかのように、青くなった顔を先輩に向けた。
「あの納屋って、もしかして、弁償対象になったりします?」
「………………………………………。あっ! 掃除用具は一階の右棟の調理場近くの隠し扉の物置部屋にあるから。他の場所の掃除用具は長い間放置されてて、使えないと思うから、暫くはそこの用具を使うといいわよ? ……さぁ、仕事仕事」
シドの言葉は聞きませんでした、と全身で訴えながら先輩はシドの前を通り過ぎ、どこかへと行こうと歩いていく。
「ちょ! リエッタさん!」
慌てたシドが先輩の肩を掴もうとしたが、先輩のほうが一枚上手でするりと体を上手くずらして、シドの手からすり抜けさた。
「仕事しなさいなー。おほほほ~。私、しらなーい」
エプロンのポケットから取り出した白いレースのハンケチの先を一寸抓み、ひらひらとシドに向かって振りながら小走りで去っていくリエッタ。シドは肩をつかめなかった手をその状態のまま持て余してしまった。
「って、最後に本音が漏れてますよー! リエッタさーん」
叫んだところで、リエッタはもう鬱蒼と茂った木々の合間に入ってしまい姿は見えなくなってしまった。




