7-1
数百メートル歩いただけだが、庭はシドの手にあまる状態だということが身に染みた。
「……これ、僕にどうしろと?」
玄関に続く庭とはまた違った形で、裏口辺りの庭は玄関よりひどい惨状だった。草は生えるのが当たり前。木々は枝が垂れ下がるほど葉を茂らせ生き生きとしている。歩ける道は、物資を運ぶマークが何度も歩いたために出来たであろう、獣道のようなものが玄関側に続くように一本だけ伸びている。これなら玄関側の庭の方が美しいと言えてしまうだろう。
シドは何度目か判らない気力が殺がれそうな気分になった。
「いや。まずは屋敷の中だ。ここは、最後でもいいような気がする」
うん、そうしよう、とそっと目を逸らして見なかったことにする。
「あ、そうだ。家を見に行くんだった」
一人しかいないはずだか、なんとなく口に出して話題転換を図り、シドは長い草を踏みしめながら道を作り、目的の家へと歩いていった。普段なら数分もかからないような距離のはずなのだが、道を作る作業をしながらだったため、十数分くらいかけてやっとたどり着いた。
「家というより、荒れた小屋だなあ」
遠くからは汚れが見えるわけでもなく、綺麗な家のようだと思っていたが、近づくにつれ段々とはっきりと見えてきた。
どうやら人は住んではいないようだ。小屋は地面近くの壁には苔が生し、窓には罅が入っている。屋根には涸れた草が生えていた。全体的にどんよりとした雰囲気で、夜中に見れば幽霊が住んでいると納得できてしまいそうだ。
辺りを見回してみるも、草しか見えない。一体、何のための小屋なのか外からは判断がつかなかった。
怖い物見たさの気分で、シドは罅入りの窓ガラスから中を覗き込んでみることにした。
「……掃除用具とか、あるのかな?」
室内は薄暗く良く中が見えない。シドは首を動かして、日の光が射し込んでうまく室内の中が見える場所を見つけようとした。
「…………あっ! 見えた」
顔が窓ガラスとつきそうなくらい近づいてやっと室内が見えた。ぼんやりと暗い中、小屋の中には、飾り棚と道具のような物がある。テーブルなどの生活用具は見当たらない。
遠見では人が住んでいる小屋に見えたが、どうやら、ここは納屋のようだ。
「物置なら、ハタキとか箒とか入っているかな?」
シドは窓から離れ、小屋の扉へと足を進めた。小屋の扉のノブに手を置き、そっと戸を押すと、鍵はかかっておらず、ギイギイと嫌な音を立てて開いた。
「し、しつれいしま~す」
誰もいないのは判っているのに、つい声を一声かけてシドは納屋の中に体を滑り込ませた。
光があまり届かない室内は暗く、シドは少しの間目が眩む。目が慣れてくると、納屋の中に何があるのか見えてきた。
クワや鍬といった農具やシャベルなどの園芸用品などが壁に掛けられたり、立てかけられていたりしている。横壁には飾り棚がつけられ、そこには花瓶や鉢が並べられていた。その隣には古ぼけたチェストが置かれており、上には如雨露や小さなブリキのバケツが置かれている。梁には太い麻紐が幾本もかけられ端が垂れ下がっていた。下がっている紐のいくつかには口をきつく結ばれた袋やバケツが釣り下がっている。部屋の隅には麻の袋が幾つも積まれていた。
シドが数歩納屋に足を進めると、すうっと風が動いた気がした。そして突然扉が派手な音をたてて閉まった。
「え? なんで?」
つかの間呆然としたが、シドはすぐに我に返り、急いで扉に走りよりドアノブに手をかけた。
ガチャガチャとノブを回しながら扉を押したり引いたりするもびくともしない。
「な! 開かない!」
シドは焦った。諦め悪く何度もノブを回しても扉は沈黙したままだ。
「ど、どうしよう…」
シドの焦燥の心情に追い討ちをかけるかのように、ぞわっと馴染みのある背筋に通る悪寒がする。それは、シドのわけの判らない不幸が起こる前兆に起こる薄ら寒さ。
「え、え、え、え!」
シドはその感覚が身の内から湧き上がったのがわかった瞬間混乱した。
(え? 僕、幸せだなって思ったっけ?)
不幸は幸運だと思った後に来るのがシドの『不幸』のはず。シドは自分がどこかで幸運を感じたのだろうか、と思考がうまく纏まらない脳みそを必死に回転させて考えてみる。
今日の幸せは今日の不幸。シドの『不幸』はその日のうちに来るのがいつものことだ。
「って、冷静に考えられるかっ!」
冷静さを失ったシドは、このまま閉じ込められると気がついてくれるのはヴァリアスとリエッタぐらいで、いつ来るかもわからない。下手をすると、三日後に来るマークが新たに出来ていた獣道に気がついてやってきてくれるまで待たなければならない、という恐怖にも似た感情と共に沸きあがった考えに支配された。
人と言うのは困ったことに、負の思考を考えるとそれにのみ目がいって、周りが見えなくなることが往々にある。シドもその思考回路にはまり込み、壊れそうな窓が一つ納屋についていることをすっかり失念していて、その窓を壊して外に出るなんて事を思いつくことが出来なかった。
どうしようもならない感情をぶつけるように、ドンッと扉を強く拳で叩いた。その振動で扉が揺れ、扉のついた木の壁も揺れる。更にその振動が伝い横壁についていた飾り棚が揺れた。
ベキッと嫌な音がした。
「…え?」
扉に拳をつけたまま、シドは音のしたほうへと振り向く。
飾り棚は何年も放置されていたせいか、棚の上から壁に打ち付けられていた釘が緩んで飛び出しており、今の振動であっけなく一本床に落ちた。
「んん?」
シドは経験上こういう些細なことがどういう結果になるのか嫌になるほど知っている。
眉間に皺をつくり、口元を引きつらせ、どちらかと言えば笑いをこらえて一文字に口を結んでいるような、微妙に変な顔になって首を傾げる。つっと額から汗が一筋流れた。
(マ、ズッウ)
脳内で悲鳴を上げているシドを尻目に、ガッコンと飾り棚の釘が外れた奥の方がついに支えきれずに、外れ落ちた。
そのまま飾り棚にあった花瓶などが反動で棚の落ちたほうへ惹かれるようにゆっくりと転がって落ちていく。ゴロゴロと転がり、その隣下に置かれていた古いチェストの上に置かれていた如雨露にぶつかる。
如雨露は下に小さなスコップを敷いており、不安定なバランスになっていた。当たった花瓶に押されるように如雨露は小さなスコップを滑る。すると壁にかけられていたシャベルの匙の部分に如雨露の長い管の先端が音を立てて当たる。
如雨露が当たったシャベルは反動でユラユラ揺れる。その揺れたシャベルが今度は隣にかけられていた鍬にぶつかる。鍬がかけられていた引っ掛けは脆くなっていたのか微かな反動で一二回揺れただけで壊れてしまい、鍬はそのまま下に落下する。鍬が落ちた先には鎌が立てかけられており、鍬の幅広い刃が鎌の柄の部分を直撃し、鎌は綺麗な放物線を描いて空を飛んだ。
「ほはぁー………」
気の抜けた声を出しながら、まるで、からくり仕掛けのような一連の動きを目で追っていたシドは飛んでいく鎌の最終着地点をぼけっとした表情で見送った。
床に突き刺さる前に、鎌がサクッといい音を出して納屋に何本も垂れ下がっている麻の紐の内の一本を切った。
「あっ」
その紐が切れた瞬間、納屋の中央辺りに垂れ下がり先に重そうな麻の袋が括り付けられていた紐がビンッと張って、一気に天井めがけ麻の袋ごと飛び上がった。
切れた紐が、麻袋を括り付けていた紐を押さえていたらしい。
飛び上がった麻袋はその勢いのまま天井の梁にぶつかった。メリッと嫌な音がしたかと思ったら、シドの頭上に埃が落ちる。
「うっ! ……ま、さか…」
一歩後ろに下がり最悪の想像をしたシドの予想は大当たり。木材からは悲鳴が上がり、納屋はあっという間に天井から落下を始めた。
「わ、わあぁぁぁぁぁ!」
両腕で頭を庇いしゃがみこむ。それ以外、シドは何を考えることも出来ず、悲鳴と心中に渦巻く恐怖、そして、メキメキと木々の断末魔しか耳に入らなかった。
(なんで……)
自分が危機的状況にであった事に対してか、それとも、いつもと違う風体の『不幸』に対する文句か。シドは自分で理解する前に思った言葉に戸惑いながら意識が朦朧としてくるのを感じた。そのまま、抵抗する術も判らぬまま、すうっと暗い闇に意識が呑まれていくのを止められなかった。




