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廊下の気味の悪い絵画にびくびくしながら、使用人ホールから数十歩先の調理場にたどり着いたシドは、なにより先にぽかんと口を開けて部屋の前で立ち尽くした。
調理場は二十人くらいの人間が入れそうなほど広い部屋だった。そして、呆けた一番の理由が、この場所が本当に埃が殆ど無いことだ。泣けてきそうな理由だが、驚いたのだから仕方が無い。
これほどまで、綺麗に掃除されているのなら、どうして他の部屋は手付かずなのか、と声を大にして訴えかけたいほど周りとの差がありすぎる。
なにやらもやもやしたモノが心の中に沸き起こったが、シドは一度深呼吸をして気持ちを落ち着けることにした。
深く息を吸っても埃の匂いだけがシドの鼻腔をくすぐる程度だった。玄関ホールで息を吸おうものなら、埃の現物が襲ってくるだろうに。いずれ、どの場所でも楽に呼吸が出来るように出来たらいいなあ、と思うがとりあえず一つずつ片付けていくことにしようと吐息を零した。
まず一番に目に付いたのが、部屋の中央部分に設置された調理台。人が6人位向かい合って作業が出来るほどの大きさだ。石で半分以上覆われた白塗りの壁の際には重厚感のある煤色の鋳鉄製のレンジがでんと構え、レンジから離れた別の壁際に調理器具を飾っていると言えるほど綺麗に並べられている飾り棚、皿やカトラリーを置く食器棚が設置されている。
庭に面した壁には窓が取り付けられその窓の一箇所に洗い場が置かれていた。振り返ってみると、出入り口の横上には使用人を呼び出すための、各部屋に繋がっているベルが幾つも取り付けられている。床は全面石床でひんやりとしていた。
出入り口から見て左手奥のほうには、黄緑色で黄色味が強い鶸色のカーテンのついた衝立が、窓の外の木々から差し込む木漏れ日に揺れている。衝立で大体部屋の三分の一位の場所が隠されている。大きさは向こうの壁をすっぽりと隠し、その先に何があるのかが判らなかった。
裏口があると聞いていたが、ざっと見回してもそれらしい扉が見つからない。シドは、もしや衝立の後ろだろうか、と思って調理場の中に入り衝立に向って歩いていった。
衝立の横には通る道が無く、カーテンを触ってどこか入れる場所はないかと探すと、一箇所切れ目の入っている場所を見つけた。シドはその間を恐々と顔を先に覗かせながらさっと中に入った。
衝立の向こう側の壁には下半分だけの扉が横に三つ並ぶようにあった。どうやら調理場の隣に続く部屋があるようだ。外に近い扉の近く、衝立寄りの所に五人は座れそうな飾り気の無い簡素なテーブルと椅子が置かれ、庭に面した壁には外へと続く扉があった。これが裏口だろう、とシドは当たりをつけ、その扉の前に行き、ノブを捻って扉を開ける。
「あっ!」
開けたら外に人が立っていた。シドは驚いて、目を大きくして声を上げた。
「あっ ……こんにちは。えーとシド君、でいいんだよね?」
扉の前にいた人物も驚きの声を小さく上げた後、何事も無かったかのように挨拶をしてシドの顔を穴が開くほどじっと見た。その迫力ある視線にシドはたじろぎ、一歩後ろに下がり背を仰け反らせた。
シドを熱い視線で睨むように見ている人は昨日ウィルフズ家の執事に紹介された、食料などの日用品を運び入れる役の男性だった。声は覚えていたのだが、昨日は軽く挨拶しただけなのでよく顔を覚えていなかったので、いい機会にシドも彼を観察する時間が持てた。
鳥打ち帽を被り、やや擦り切れはじめたズボンにシャツ。ベストを羽織っている。顔立ちから見て二十代前半だろう。髭はきちんと剃られ、髪は鳥打ち帽からややはみ出ているくらいだ。目つきは少しきつい様な気がするが、シドも人のことを言えないやや釣り目。なので、傍から見れば二人は一触即発のにらみ合いに見えたかもしれない。
「あ、あの……えっと、マーク……さん?」
先に根を上げたのはシドだった。昨日教えられたばかりの名前を自信なさ下に小声で言ったはいいが、その先に何を言えばいいのか判らず、二人の間には互いに戸惑ったような雰囲気が流れた。
シドは、ぱっと見れば釣り目がちなカッコいい部類に入りそうな男なのに、彼の中身はちょっと怖がりのへたれだ。何を話せばいいのか、内心慌てふためいていた。
「ああ、ごめんごめん。そう、僕はマークだよ。まあ、つい……ね」
マークは苦笑して、言葉を濁した。
リエッタに散々脅された身としては、言葉尻を濁されたことが気になってしまった。
もしかして、また大層な話題でもあるのだろうか、この屋敷には。




