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「? ……これは?」
ごろごろする目を何度か瞬いて、シドはリエッタの指した場所を見る。窓の直ぐ下辺りの床に、埃が残した複数の足跡がうっすらと見て取れた。
「……足跡、ですか?」
「そうよ。……嫌になっちゃう。絶対また幽霊屋敷だと思って勝手に入ってきた人間の仕業だわ!」
「え? それって……」
シドの驚く声に、リエッタは我慢の限界とばかりに握った拳をプルプル振るわせ、思いの丈を爆発させた。
「そう! どうせ人は見かけが9割なのよ! なんでこの屋敷は幽霊屋敷と呼ぶのに相応しい外見をしているのよ! そもそも、朝っぱらから探検に来るんじゃないわよ。来るなら夜中に来いよ! 徹底的に脅かしてガタブル震えて部屋に引きこもらせてやるのにー! というか、人が住んでるでしょー」
「…………見かけって使う対象が違うような気がするけど。……それに、人、というかヴァリアス様がなんだかついでのように聞こえるのは気のせい?」
先輩の雄たけびにシドは首を傾げてしまった。
「うるさいわね! あんたが掃除していないのが悪いんでしょう!」
「えっ! まさかの八つ当たり」
ぎっと親の敵のように女性から睨まれ、シドは冷や汗を流しながら、思ったことを言ってしまった。ふとリエッタを取り巻く空気が一瞬穏やかになったかと思った次の瞬間には、シドはしまったと口元を引きつらせた。
少しだけ離れていた先輩は、にっこり笑顔を振りまきながら、シドとの距離を数十センチまで縮め、くんっと顎を軽く上げて自分より背の高いシドを仰ぎ見た。
「やーつーあーたーり~? な~にいっちゃってくれているのかしらねー。このシドちゃんはー」
上目遣いといえば可愛い女の子の可愛い仕草に聞こえるのに、今のリエッタからは、あぁ? てめぇなに言ってんだコラァ? と無言の圧力が下からかかっている。もちろん、顔は笑顔のままだ。シドは冷や汗を通り越して悪寒を背筋に感じた。
「だーいーたーいー。この屋敷の荒れようはー、ちゃーんと掃除していなかったからなのよねー」
「……リ、リエッタさんは……」
掃除していなかったみたいですけど……。とは最後まで言えなかった。シドが口を開いてから段々と彼女の笑みが貼り付けたように綺麗になっていったからだ。
……怖い。
シドは蛇に睨まれた蛙。もしくは、魔王を眼前にした村人Aの気分を味わった。
「な・あ・にぃ?」
「な、なんでもないでーす」
下から迫ってくる迫力のある視線に対して、首をぎこちない動作でまわして目を逸らすので精一杯のシドに、はなから勝ち目は無かった。
「……判ればいいのよぉ。判れば。……じゃあ、ちゃちゃっと掃除を開始しましょうねぇ、シド」
「……うわーい。がんばりまぁーす」
虚勢を張って、拳をちょこっとだけ天に向かって突き上げてみる。それで満足したのか、シドの近くからリエッタの気配が遠ざかる。ふわっと髪がなびき、瞬間的に甘い匂いがシドの鼻をくすぐったような気がした。
ああ、女の人なんだな、と妙に納得する感情が沸き起こり、シドは瞬きをして驚いた。
「なに?」
「あ、いえ。なんでもないです。……えーと、そうだ! 気になっていたんですけど、この屋敷の調度品や絵画って……」
皆まで言えなかった。もし、あの気味の悪い壷やら絵やらが当代の屋敷の主が嬉々として配置していたりしたら、と想像するだけでなにやら首筋辺りがざわざわする。
(ヴァリアス様の趣味だったら、引きこもりのうえにちょっと危ない思考の持ち主だよね。僕、身に危険を感じるかも……)
「ああ、あれ? 確か坊ちゃまの前の前くらいに屋敷を所有しいた幽霊話が好きな富豪が持ち込んだものよ。その前までは普通の屋敷だったのに! あの両サイドもじゃ毛野郎。天辺にはあえて何も言わないわよ。シャツ弾けろ!」
「あー……」
つまり、両サイドの頭の毛だけがフサフサしていて、体格はふくよか(とあえて穏やかに包んで言ってみる)だったのか、と顔以外はなんとなく想像できてしまった。きっと、脂ぎってたりしたんだろうなー、と過去の住人に思いをはせてみたが、おっさんは想像するもんじゃない。
血塗れた絵を前に、げへへと笑っている頭の天辺が寂しいおっさんがシドの頭の中でドスドス音を立てながらタップダンスを踊り始めた。
(変なものを想像してしまった……)
気持ちを入れ替えるように、シドは二三度軽く頭を振った。
「……まあ、何度かこの屋敷は人の手に渡っているから、いろいろなことがあったけど、今の坊ちゃまは人を寄せ付けないから、掃除はほぼ手付かず。かろうじて食料を運びこむということで、裏口のある調理場だけは、本宅の家人が来て軽く掃除をしているから埃から逃れられているのよ。……豚似の誰かさんより百万倍ましだけど。……でも、まだまだだと思うのよ。私的には………って聞いてる?」
「……あ、はい。聞いています聞いてます」
リエッタが話しの途中でシドに振ってきた。ぼけっとしていたシドは、急いで何度か頷いて聞いていたことを訴えてみた。
「ほんとうに?」
疑いの眼差しでリエッタはシドの表情を読もうとじっと見つめてくる。
「はい、本当です」
女性の長話は、どうして途中から意識が逸れて聞けなくなるのだろう、と内心思ったが、こう言うときはしっかりと相手の目を見て、聞いていました信じてください、と念を送っておくに限る。
せこいかもしれないが、ここで聞いていなかったとはっきりと言えば、自分の身に何が起こるかは母親や近所のおばさんたちに鍛えられてよーく分かっているつもりだ。
どうして、おばちゃんたちは長話のうえに、一寸でも聞いていないことが分かると話を聞きなさいから、彼女が出来ない原因のお説教、はてはなぜか知らないけれど他の家の子の話に飛躍したかと思うとシドの聞き方の注意点に戻るのだろう。シドにとっては近所の七不思議になっても可笑しくはないと思っている。
「…………まあ、いいわ」
どうやら信じてもらえたらしい。シドはほっと先輩に分からないように胸を撫で下ろした。
ふいに、リエッタがはっと何かに気がついたような表情になる。
「……! やだ、私ったら話しすぎてたわね。あぶないわー」
(………? 何が?)
リエッタの言っている意味の真意が理解できなかったシドは頭を捻った。疑問を感じているシドに気がついたのか、リエッタは愛想笑いで場を誤魔化そうとした。
「ほ、ほほほ~。ほ、ほらさっさと掃除を開始しないといつまでたっても屋敷は綺麗にならないわよ」
「……あ、そうですね」
リエッタの無理やりな話題変換にシドは疑念が湧いたが、何がそうなのか明瞭にならず霧のように脳内に漂っているに過ぎなかった。それよりも大事なのはこの埃の惨状を少しでも改善することだと気がついた。
シドはざっと室内を眺め、口元を歪めた。乾いた笑いを漏らそうものなら埃が口の中に入ってきそうだったからだ。
(どっから手をつけよう……)
どこから手をつけても終わりそうの無いほどの、あるいみ清々しい埃の大群の前にすで気力が殺がれている。散々見回しても埃が無くなる訳ではない部屋のなか、シドはある一点を見つめて少しだけ希望が湧きかけた。
(そうだ! 僕一人じゃないじゃないか)
目の前には先輩メイドがいる。ここはやはり、先輩に屋敷の掃除の仕方を実践で教わるべきではないか。シドは迷わずリエッタに期待を込めた眼差しで口を開いた。
「あの~、リエッタさん。掃除なんですが、よろしければ……」
「あ、そうそう。そろそろ調理場の裏口から坊ちゃまのご実家の使用人が三日に一度の配達に来るから、応対よろしくね」
「え?」
「調理場は私がさっき出てきた部屋だから。あ、その後に掃除を開始しなさいよ。……じゃ、私は別の仕事があるからぁ~」
女性特有の柔らかそうな手をひらひらと振って、無常にもリエッタは使用人ホールから出て行った。その背をシドは視線で追いかけて、そのまま下に目線をおろした先のまろいお尻の部分はちょっとだけ興味を持ったような気がするかもしれない。スカートが動くたびにフリフリしているのに視線を釘付けにしたために見送ってしまったということを、先輩が消えてから気づいてしまったのは、多感なお年頃として見逃してもらいたい。
「…………調理場に行って見ますか……」
掃除係りとしての本分をがんばって発揮しよう。
ガッカリしながらシドも使用人ホールを後にした。断じて、先輩の背後を一寸だけしか見えなかったことに対してではない、とは付け加えておく。




