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5-7

 ヴァリアスの書斎を出てから、シドは鼻息も荒く二階の廊下をずんずんと突き進んでいる。初め来た時の様な廊下の置物におののく事も無く、口からはぶつぶつと文句が零れ落ちていた。

「何だよアレ! 感じ悪い!」


 先ほどのヴァリアスとのやり取りがシドの脳内を繰り返し流れている。思い返せば思い返すほど腹の辺りにマグマが湧いて出てきたかのようにかっかとする。これが腸が煮えくり返るというやつか、とどこか冷静な自分が頭の中で呟くいた。そのおかげか、少しだけ周りを見回す余裕が出来たシドは廊下の真ん中で立ち止まり、ため息を一つ零して窓の外に視線を送る。


 本来なら日差しが廊下の中にまで侵入し、否応無く今が朝であることを知らしめるはずなのに、蔓草の所為で日光が殆ど部屋の中に届かない。曇りの日なら、夜だと思ってしまうことが容易に想像できるほどだ。

「………こんな、じめじめしてそうな暗い屋敷にずっといるから、性格も暗くなった……のかなあ」

 窓に向けていた視線を廊下の先に移動させると、薄暗い路が続いている。

 首をかくっと曲げ、シドは項垂れた頭に片手を添えて、大仰なため息を吐いた。

 ゆっくりと顔を上げ、添えていた手で頭を掻く。その反動で長い銀の髪の尾っぽが揺れた。

「掃除したら、ちょっとはこの屋敷も明るくなるかな?」

 気の遠くなりそうなほど汚れているが、やるしかない。シドは頭を掻くのを止めて誰に見せるともなく苦笑いして歩くのを再開する。


 新人使用人が目指すのは、唯一片付いていると先輩から聞いた調理場だ。埃を立てないように、気持ち早めの歩で急ぐことにした。玄関ホールへと続く階段を下り、リエッタに教えられた一階の廊下へ行く。

「うえっ……」

 一階の廊下を歩き出してすぐに、シドは気分が悪くなった。


 壁の両側に掛けられているのは血しぶきの舞う戦場やあだっぽい婦人が描かれたのが大半の様々な大きさの絵画だった。赤い戦場の画の隣に水パイプを吸うドレスを着崩した貴婦人の画。かと思えば大きさのばらばらな首だけの画や大木に寄り添う恋人達の画などが一箇所に密集して並べられていたり、この廊下の絵画の並べは一体どんな印象をもって並べられているのか首を傾げても答えがでてこないと断言できる配置になっている。


 じっと見ていると血の絵がやけに現実的に感じる。シドはそっと画から視線を外した。なんだか胃が揺れたような気がしたので胃の腑辺りを押さえながら、もしかして現屋敷の主たるヴァリアスの趣味なのかと、つかの間考えてしまった。


 夜な夜な血の舞う画や気味の悪い置物を眺めるために屋敷を徘徊し、ふふふ……と暗く笑う屋敷主をうっかり想像してみた。

(……あ、似合う)

 自分の想像に頷いてしまった。

(もしかして、屋敷の前であった子供達が言っていた幽霊屋敷の幽霊って……)

 そこまで考えて、はっとした。


「いや、人の趣味は推測するものじゃないな。僕は唯の掃除係り。こんなところで油を売っていないで仕事しないと!」

 言葉を口に出した途端埃を吸って少し噎せたが、軽く咳をしただけですんだ。いつの間にか止まっていた足を再び動かし、シドは調理場を探す。


 調理場の扉は開いていると聞いていたので、とりあえず開いている扉はないかと左右をきょろきょろと見ながら歩くが、扉と扉の間の壁には気味の悪い絵画の洗礼が続き、段々怯えてへっぴり腰になりながらも進んでいると、ガタンと前方左手側にある部屋の中から聴こえてきた。

「ひっ!」

 小さい音だったが、シドの耳には十分に大きく聞こえ、驚いて肩を跳ねさせて動きが止まってしまった。


 シドの動きが止まって数秒たったが物音はそれ以上聴こえて来なかった。

 もしかして、その部屋にメイドがいるんだろうかと思い至ったシドは小さく息を吐いてから固まったように止まっていた体を動かし、音のした部屋に向かった。扉の前で立ち止まりノックをした。部屋の中からは一切の物音も帰ってこなかった。

(あれ? この部屋から音がしたと思ったんだけど……)

 もしかして、聞き間違いだったのだろうか、と疑問に思いながらもシドは首を傾げた。


「あら、そんな所でなに突っ立っているのよ」

 特に何も考えずに、シドは声がするほうへ顔だけ向けた。

「え? ………っ!」

 シドがいる場所より更に通路奥の右側の壁の中央よりやや下部分からメイドの顔だけが横向きに出ていた。それはさながら、幽霊が壁から顔だけを出しているようだった。これでニタリと笑えば、シドは悲鳴を上げて逃げていたことだろう。実際には、リエッタは不思議そうな顔をしてシドを見ていた。


 いや、悲鳴を飲み込んだだけでも上出来だろうと、驚愕でバクバクうるさく鳴った心臓にそっと手を当てながらシドは思った。


 まだ屋敷に来て殆ど経ってないのに、先程から、心臓が跳ねすぎて痛いような気がする。もしかして、これから、この幽霊屋敷で働く限り、恐ろしいことでも続いて心臓ばくばくが続くのだろうか。


 自分は心臓が強い方だっただろうか?

 ちょっと、自分の心臓が持つか心配になってきたシドだった。


 心臓を落ち着かせる意味もかねて、そっと小さく息を吐いた。

「り、リエッタさん。なんでそんなところから顔を出しているんですか?」

「そんな所って……まあ別にいいでしょ。で、あなたは何をしているのよ?」

(さらっと流されてしまった……)

 リエッタは一度顔を引っ込めたあと、廊下に出てきた。足を動かして近づいて来るリエッタの姿にシドはほっと息を吐いた。血まみれの絵画が廊下の壁に飾られているからか、先ほどの彼女の姿は一瞬絵画の延長で生首にでもなったのではないかと馬鹿な想像をしてしまった。よくよく見ると、彼女が出てきたのはどうやら扉の無い部屋のようだ。


「それで?」

 シドの前まで近づいて止まったリエッタは視線をシドに送り言葉を促した。

「え? あ、ああ!」

 一拍ほど置いてリエッタの意図に気がついたシドは慌てて、自分の横のドアを指差した。

「この部屋からさっき物音がしたんで、気になったんです」

「物音? ……変ね。坊ちゃまは一階の右通路には必要なときにしか来ないし、なにかが落ちたのかしら?」

「そうなんですか? そういえば、この部屋って何ですか?」

「ここは……」


 ガタガタガタッ。


 リエッタが唇を開くと部屋の中から何か、そう、慌てて躓いたような物音がした。瞬間的に素早く動いたのはリエッタだった。

「誰!」

 殆ど間髪いれずに、部屋の扉を勢い良く開ける。その行動力にシドの心臓がドキンと跳ね上がった。

(……?)

 今の心音が何故上がったのかも判らず内心首を傾げながらも、シドはリエッタの向こう側に見える室内に視線を送った。


 扉が開いた反動で埃が舞っていた。

 扉の正面に大きな窓が二つあり、淡黄色の分厚いカーテンが閉められている。部屋の内装は木の床に白い漆喰の壁。長机が横に二列並び木の椅子が机の上に上げられている。戸棚が左右の壁に一つずつ置かれ、扉側から見て横の右奥には壁に取り付けられた鏡と保護布をかけられた形からして洗面台が一つ付いていた。


 部屋の中には誰もいないし、物音を立てる要素が見受けられなかった。どう見ても何年も人の出入りの無かった部屋特有の淀んだ匂いがする室内だ。

「変ね? 物音は確かにこの部屋だったわよね?」

「え、はい。それにしても埃っぽいですね」

 埃で噎せそうになったシドが手で口元を覆いながら言うと、リエッタは口を尖らせた。どうやら、シドの部屋の評価が気に入らなかったようだ。

「ここは、元々使用人用ホールっていって、使用人たちが集まって食事したり休憩時間を過ごす場所だったのよ。つまり、本来ならシドはここで休憩するの。……もう。最初の持ち主の時代ではどの場所も埃一つ無いように使用人たちが良く働いたし、今のような幽霊屋敷とは百八十度違って華やかだったんだから」

「へえ。ぜんぜん想像できないな。……わっ!」

 リエッタの言葉に聞き入って感心していると、突然風が入りこみ、カーテンが揺れた。

「うっ。ごほっごほっ」

 顔面に叩きつけるように埃が向かってくる。シドはたまらず咳き込み、反射的に身体をよじり、窓に背を向けて顔を守った。


「ちょっと! どうして窓が開いているのよ!」

 目に入った埃の所為で目に涙がじんわりと溜まっていくのを意識しながら、遠くに聞こえた気がしたリエッタの声と同時に窓が閉められる。

 次第に室内が落ち着いてきた。シドは何度目かの咳でようやく落ち着き、目元に溜まった涙を手の甲でぬぐってから、身体を室内へと向けた。

 左側の窓の傍にリエッタが居り、きょろきょろと床を目を皿の様にして見ていた。

 鼻についた埃の匂いに眉を潜めながら、シドはリエッタの方へ近づいていった。

「ごほっ。リエッタさん……」

 咳き込みすぎて喉から発せられる声はがらがらしていた。

 傍によった事に気がついたリエッタはシドに顔を向けて、床の一点を指した。

「見て、これ」

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