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「っと。間に合ったぁ」
屋敷の中に入ると同時に、鐘の音はやんだ。なんとか、初日の遅刻は回避できたようだ。
シドはほっと一息ついた瞬間、慌てて入った所為で蹴った床から舞った埃を吸い込み噎せ込んだ。
「げほっ。げほっ。うえっ」
埃独特の青臭いような砂っぽいような変な味が口の中にした。
(これは、玄関ホールから掃除するのが一番いいみたいだな)
噎せ過ぎて目から生理的な涙を浮かばせながら、シドは今日の掃除の場所を決めた。毎回玄関ホールに入れば噎せるなんて冗談じゃない。
ひっきりなしに噎せて弾む体を意識して止めるようにしていると、少しずつ舞っていた埃が床に戻っていった。
とりあえず、今日の掃除場所を決めたシドは、まず屋敷の主に声をかけてから掃除を始めようと思ったが、そういえば、どこに居るのだろう、と咳が何とか収まったが、噎せすぎて痛む喉をさすりつつ軽く首を傾げる。
止まっていてもしょうがないと、シドは埃を立てないように、ホールの中央までそうっと歩いて行く。その途中、急にシドの背中が、ぞっとあわ立つような感覚を味わった。その気味の悪い感覚に驚いてシドは立ち止まる。
「あらまあ。無事にたどり着けたのね!」
あからさまに驚いた声がシドの背後から聞こえた。驚いたシドはその場で肩を跳ねさせ、室内の埃を浮き立たせないように慎重に後ろを振り向いた。
シドの視線の先に居たのは、先輩メイドのリエッタだ。今日も昨日同様のメイド服に身を包んでいる彼女はすでに仕事の準備は万端のようだ。しかし、言っている内容は後輩には少し引っかかる。
シドは体ごとリエッタに向きなおし、詰まらなそうな表情をした。
「おはようシド。ん? どうしたの、そんな顔をして?」
リエッタは先ほどの台詞のことなど彼方に消し飛ばしたのか、にっこりとシドに微笑みかけながら朝の挨拶をする。
「……おはようございます。……無事にってどういう意味でしょうか」
ぜひ、ご説明を、と目で雄弁に語れば、リエッタは気まずそうに視線を横にそらした。
「べ、別に、深い意味は無いわよ? ほら、坊ちゃまの不吉伯爵の異名があるでしょ? それって、坊ちゃまの近くにいると事故に遇い易いからだから、もしかしたらシドも事故にでもあったんじゃないかなー、なんて心配していたのよ?」
「へー……」
早口で話す先輩に、シドは懐疑的な眼差しをじいっと向ける。
暫く両者は無言だった。先に痺れを切らしたのはリエッタのほうだった。
「~~~っ! ああ、もう。判ったわよ! 本当は、今までここの仕事を五体満足で始められた人がいないのよ!」
「えっ!」
リエッタの言葉に、シドはただ驚きの声を上げた。
「どの人も坊ちゃまの所に来る前に何かしらの事故にあってたの! だから、何事も無くこれたシドが初めてなのよ!」
リエッタは次第に熱くなったのか語気を強め、怒り出したような口調になりながら一気にまくし立てた。
「………へ、へー」
リエッタの言葉に、ぞっと胃の辺りが冷えた。
「ま、まあ。ここに来るまで、本当に何事も無くてよかった」
心から自分が無事なことを神に感謝したい。
「……本当に、何も無かったの? たとえば、ほら、突然上から荷台がなぜか降って来たとか、鳥の大群がどこかから押し寄せて踏みつけていくとか…………」
「………イエ、ナニモ……」
なんだろう。この奇妙な親近感は。
「本当に、そういう危ないことなかったの?」
リエッタはシドの態度に不審を持ったのか、じとっとした視線を向ける。
シドは、昨日起こった出来事を言うべきかどうか迷ったが、結局は苦笑して誤魔化すことにした。ヴァリアスの不吉な呪の所為だとは思えなかった。なにせ、いつも受けている自分の不幸そのものにしか感じなかったからだ。
苦し紛れに笑っているシドを一寸の間観察していたリエッタは大仰なため息をついた。
「まあ、いいわ。とりあえず、坊ちゃまの下で働くということは、呪われると思っていなさい。不吉な出来事が起きては、あなたを傷つけるから。…………できれば、長くいて欲しいんだけどね」
最後のほうは声が小さく。シドには聞こえなかった。
「ははは。判りました。気をつけます」
リエッタの忠告のような言葉に、シドは苦い物を食べたときのように顔をしかめつつも器用に笑顔を作って無理に笑った。
「あ、ところで……」
これ以上呪について聞いていると、なんだか、自分の様々な過去を思い出しそうになりそうな予感がしたシドは話がひと段落ついた感を受けて、話題を転換することにした。
「仕事に取り掛かる前に、ヴァリアス様に一応の挨拶をしたほうがいいですよね……」
「坊ちゃまに?」
話題が変わったことに特に不快な表情を浮かべることも無く、リエッタは素直にシドの言葉に反応し、ちょっとだけ首を傾げた。
「……そうね。坊ちゃまなら、絶対に書斎いるわよ。昨日行った所。坊ちゃまは基本的に書斎から出てこないから。行ってみてちょうだい」
「え? 引きこもり?」
さらりと言葉が零れてしまった。
「…………あんた。それ、坊ちゃまの前で言ったら不敬罪よ」
睨まれてしまった。
「はい。気をつけます」
先輩メイドの意見は聞いておくべきだろう。シドは素直に謝った。そんなシドに、リエッタはしょうがない、と言いたげに肩を竦めて前言を不問にしてくれた。
「とりあえず、挨拶してきなさいな。その後に、調理場に行きなさい」
「調理場、ですか? そこで、何を?」
料理でもするのだろうか、と内心首を傾げたシドに気がついたのか、リエッタは苦笑いした。
「この屋敷で一番綺麗な場所が坊ちゃまの書斎を除くと調理場だけなのよ。そこを拠点にして動くといいわ」
「……なるほど。で、どこにあるんですか?」
リエッタは右腕を上げ、玄関ホールの右側にある一本の通路を指差した。
「この右側の通路を行って、左右に扉があるのだけど、右側の庭に面したほうの部屋で、扉を数えて三つ目のところよ。調理場の扉はいつも開いているから、すぐにわかると思うわ」
リエッタの指した指の先を顔を動かして視線で追って、シドはこくりと頷いた。
「判りました。じゃあ、まずヴァリアス様に挨拶に行ってきます」
「そうして頂戴。じゃ、私はやることがあるから、行くわね」
そう言って、リエッタは自ら先ほど指差したほうへ歩いていき、シドに背を向けて手を振り、足音も立てずに、薄暗い通路の中に消えていった。
「………埃っぽい屋敷を歩くのには、足音を立てないほうがいいのか」
先輩のまるで存在感の無さや足音がしないことに、使用人は隠密行動が出来ないと勤まらないのだろうか、とシドは疑問に思った。機会があれば、聞いてみよう。
まずは、屋敷の主に挨拶せねば、と抜き足差し足忍び足で埃を立てないようにゆっくりと玄関ホール中央の階段を上り、昨日行った書斎へと歩いていった。




