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シシリー家は町の中心部の商店街から大分外れたところに建っていた。煉瓦の垣根に囲まれた広い庭。その庭に対して小さいと感じる平屋の一軒屋がシドの家だ。
周りにも一軒屋が立ち並んでいるが、庭の広さはだんとつにシシリー家が一番近所で大きかった。
広い土地だったが、町外れで奥まったところにあるので、交通の便が悪く大分安く売り出していたそうだ。そこを丁度家を見つけていたシドの両親が見つけ、購入して平屋を建てた。シシリー家はシドが生まれた頃は王都から離れた場所に住んでいたが、シドが五歳のときからこの町の住人となったので、シドにとってこの町が故郷だった。
煉瓦の垣根の切れたところが家の入り口。シドは左に仕事着、右に先ほど買った肉を持ち、仕事が決まったことを兄妹達にどう報告しようかと口元を緩ませながら意気揚々と家の敷地へと入って行った。
黄昏時と相まって、その姿は、まるで再就職を決めたお父さんのような喜びと僅かな哀愁が感じられた。
広い庭には畑が耕されており、果樹の木が家の裏手に三本、生えていた。
樹木にはたわわに青い、子供の拳くらいの実がついている。赤く色づいて食べごろになるまでまだかかりそうだ。
畑には根菜類やイモ類、葉物野菜などが数種類植えられており、所々収穫ができるほどに成長している。
土地を購入した当時は煉瓦の垣根は立派だったが、中は荒れ放題だった。家を建てた後も、シドの両親は子育てと研究に忙しく庭を整備することを後回しにしていた。そのため、庭には雑草が生い茂り、夏場になると薮蚊がうるさいほどに飛び回っていた。唯でさえフェリス国の夏は暑く、夜でも熱風を感じて寝苦しくなることもあるのに、さらに蚊に睡眠を邪魔されるなど、耐えられないと数年前についに一大決心したシシリー家一同で庭の草むしり徹底的に行った。その後、せっかく広いのだからと果樹と畑を耕して今に至る。庭らしい庭とは到底言えないが家人からすれば、食料費が浮くと満足のいく家庭菜園の庭だ。
シドは庭を進み、肉を包んでいる紐を腕に通して、玄関の扉のノブに手をかけた。
「……た、ただいま~」
少し自信なさげに声をかけ、家の中に入る。すると、家内から愛らしい三つの声が響いた。
「おかえりなさーい」
「おかえりー」
「………りー」
玄関扉から入ってすぐに食事や家族団らんができる広い部屋があり、部屋にはでんと大きな十人用の卓と九つの椅子が並べられている。そのうち三つは子供用の椅子で、その椅子に同じくらいの年頃の子供達三人がそれぞれ座って、色鉛筆を片手になにやら作画の最中だったようだ。ぎゅっと拳に握り締めた色鉛筆を紙の上においたまま、シドのほうを向いて挨拶をしてくる様子を見て、シドは仕事から帰ってきて子供の笑顔に癒されるお父さんの気分が良く分かった気がした。
「……ただいま。リズ、クラン、アレン」
三人はシドの一番下の兄妹で、三つ子だ。クランとリズの顔立ちは母親似で可愛らしく、アレンは父親似で幼いながらもきりっとした表情が良く似合う。
「シドにーちゃん、お仕事はー?」
クランが小首を傾げて聞いてくる。
「クー……しー」
すかさずアレンが自分の唇に人差し指を持ってくる仕草をする。その表情は雄弁に、それは聞いちゃだめ、と言っている。
「だめよクー。今日もにーちゃ、しごとにしっぱいしたかもしれないんだから」
リズがどうだ、といわんばかりに胸を張ってクランを嗜める。
シドはそんな三つ子たちを前に玄関前でがくりと膝をついた。
「ぼ、僕に対する認識って……」
思わず水が零れそうになった目元を隠すように右手で覆う。シドは何とか耐えようとするが、正直泣きたい。
「不幸長男?」
「不幸長子?」
似たような二つの声がシドに追い討ちをかけた。
「ぅぐっ……」
シドは声を詰まらせ、俯いた。
部屋の奥の右側の扉が開き、そっくりな双子の男子が入って来た。
双子は父親譲りのシドより暗い銀の髪を肩につく位まで伸ばしている。特筆すべきは、その顔だ。切れ長な眦に、高い鼻筋。細い眉は一見すると、冷ややかさを感じるほど整っている。いいや、この双子がどこか冷たい印象を受けてしまうのは、表情が一切動いていないからだ。
整った顔立ちの無表情。それが、シシリー家の三男と四男の標準的表情だ。
「お帰りなさい、シド兄さん」
「今戻ったんですね、シド兄さん」
無表情のまま最初に話したのが、三男のライ。次に言葉を発したのが四男のレン。
双子がシドのほうに近づいて来る。シドはその足音が聴こえて、のろのろと顔を上げた。
「……た、ただいま……」
近づいてきた弟達に力ない声で返事を返すと、双子は視線を下にして兄を眺めた。それから、無表情ながら不思議そうに首を傾げる。
「レン。どう思いますか?」
「ライ。どう考えますか?」
双子は互いに顔を見合わせてから言葉を交わしあう。
「……どういう意味?」
何を言いたいのか図りかねたシドは、そんな双子を窺った。
ライとレンは兄のそんな視線などお構いなしに、二人で何か通ずるものがあったのか、二三度頷きあった。
「様子見ですね」
「状況を静観すべきですね」
「僕は、何がなんだか判りません」
二人で納得したようだが、じっと見つめられた長男としては、なんだか腑に落ちなかった。
玄関前で座り込んでいると、床の木材が固くて脚が痛くなってきた。シドはがっくりとした気分を無理やり鼓舞して立ち上がった。
双子は十三歳にしては背は高いほうだが、シドの身長よりは幾分か低い。三人で立てばシドが少し視線を下げた所で双子の視線とかち合った。
ライとレンがこくっと頷いて、両の手の平が見えるようにシドの前に突き出した。シドは何故手を出しているのか判らず、束の間きょとんとした。
「右手の物を持ちますよ」
「今日は豪華に肉料理と見ました」
育ち盛りには肉は魅力的な食材だ。双子の言葉にシドは微苦笑しながら、素直に双子の手の平に肉の包みを置いた。
「「台所に置いてきます」」
寸分違わずの声に、シドは軽く笑った。ライとレンは慎重な足取りで、玄関に近くの右側に併設されている戸のない枠で仕切られている台所へと歩いていった。
「お肉~」
「お…にく~」
「わーい」
三つ子は夕飯に肉が出ることに喜んで、色鉛筆を持ったまま、椅子の上で万歳を何度もしている。
(……もうちょっと、肉を出せるようになりたいなあ)
シシリー家の食事事情が少し垣間見えた。
「……お兄ちゃんは、ちょっと着替えて、すぐに夕飯の準備に取り掛かるからね」
「はーい」
クランは元気良く両手を挙げて返事をした。
「はぁーい」
リズは可愛らしく片手を上げる。
「……ん」
アレンは満面の笑みで大きく頷いて、兄の言葉を聞いていた。
三つ子の色よい返事に、シドは軽く頷いて、双子達がダイニングに入ってきた扉を開けた。
扉の向こう側は廊下になっており、部屋が三つ並んでいる。廊下の奥にはもう一つ扉がある。
シドは、手前から二番目の三つ子と一緒の自分の部屋に入った。
部屋の内装はシンプルだった。入ってすぐに目に付くのが大きな出窓で、格子状の木枠に歪みをもったガラスがはめ込まれている。その歪んだ硝子からは夕暮れの残熱が陽炎のようにちらちらと部屋に差し込んでいた。
右の壁際にはシドの腰辺りの高さのチェストが三台並んでいる。左の壁側には箕の子が折り畳まれて置かれ、その上に寝具が乗っかっていた。その近くには商店街の果物屋から貰った、使わなくなった大小の林檎箱が二つ並べられている。一つからは、三つ子の玩具が小さな林檎箱から溢れて散乱している。大きい林檎箱の上にも人形がおかれていた。
後で片付けさせないと、と考えつつ、シドはチェストの一つへと歩いていった。
左手に持ったままだった衣装の荷をチェストの上におき、ベストを脱ぎネクタイを外した。
「ふぅ……」
普段着ないような慣れない服装だった所為か、それとも未知の世界を垣間見た所為か、どっと疲れが体中を駆け巡るような感覚がシドを襲った。
「っと、そうだ。明日から着る服は……」
チェストの上の荷の隣に脱いだベストとネクタイを置いて、衣装の荷を解いて開いた。中には濃い紺色のズボンと白シャツ、ベストが三着ずつ。落ち着いた深みのある赤色の蝶ネクタイが二本入っていた。
「……掃除係のはずなのに、首が苦しくなりそうだなあ」
どうせなら汚してもいいような麻の服でよかったのに、と思うのは平民として普通の感覚だと思うのだが貴族は掃除係にまできっちりとした服装を求めるようだ。
シドは明日からのことを考えると、遣る瀬無いため息を一つ吐いた。
チェストの横にかけてあったハンガーを手に取り、シャツとズボン、ベストを一纏めにハンガーにかけた。少し考えてから、蝶ネクタイも三つのハンガーのうちの二つにかける。
部屋を見回してからシドは出窓に近づき、カーテンレールにハンガーを三つ引っ掛けた。それは三つ子の身長では手が届かない場所だった。
「これなら、三つ子たちも悪戯は出来ない……よね?」
家の三つ子は時折突拍子も無く怪獣に変身することがある。仕事着に何かされたら、雇用主になにを言われるか、いや、最悪それでクビになったりしたら目も当てられない。
寝る前に触らないように言っておこう、と頭に記録して、シドは自分用のチェストからいつも来ている麻のシャツとズボンを出して手早く着替えた。
今日来ていた服は後で片付けようと、チェスとの上におきっぱなしにし、早足に部屋を出てダイニングに戻った。
「あ、兄さん早かったね」
「あれ、ランカ今帰ったのか?」
シドがダイニングへの扉を開けるのとほぼ同じ頃合で玄関扉が開き、学校から帰ってきた次男のランカが入ってきた。
シドは少し視線を上げて、ランカを目に入れた。
ランカは母親似の濃い蜂蜜色の少し長めの前髪を軽く手櫛で後ろに撫で付けた。さらと流れる髪の一束にシドより二歳年下のはずなのに妙に色気があった。
整った顔立ちだが、ややたれ目がちのため甘い雰囲気をかもし出している。すらっと伸びた身長はすでに長男のシドを数センチ超えていた。性格はおっとりしたところがあり女性に優しいため、女子から女性、近所のおばちゃんにまでものすごくモテた。もっとも、当の本人は女性には優しくするのが当然と考えているフェミニストであるだけで、けっしてタラシではない。それに、女の子と遊ぶ暇があったら、三つ子の面倒を見るほうがいいと考えている兄妹愛に溢れている少年だった。
「うん。ただいま、兄さん。それで……面接はどうだったの?」
ランカは恐る恐るといった感じにシドに聞いてきた。
他の兄弟たちも似たような反応をされているシドは複雑な心境だ。ついつい、文句をいいたげな不満な顔と心配をかけていることへの謝罪を言いたいような顔が現れて、可笑しな表情になった。
「……とりあえず、報告は夕飯の後でいいか?」
「あ、うん。お腹すいちゃったね。あ、俺も手伝うよ。教科書をすぐに置いてくるから……」
兄の表情から、聞いてはいけないのだろうかと推測したのか、ランカは気まずげな顔になり、深くは聞いてこなかった。
「……え? ああ、ランカは三つ子の相手を頼むよ」
ランカの申し出に、シドは少しだけ視線を明後日の方に向けて答えた。
「……そうです。ランカ兄さんはテーブルの上を三つ子と一緒に片付けてください」
「……シド兄さんの手伝いは僕達がします」
台所のほうからランとレンが顔だけを上下に重なるように出して言う。その表情は無表情ながら、必死さを感じた。
「そう? じゃあ、俺は食器出したりするね」
ランカは不思議そうな顔をしたが、特に気にすることもなく三つ子の面倒を見ることを了承した。シドと双子達は視線を合わせ、次男に見つからないように、お互いこっそり安堵のため息をついた。
「じゃ、じゃあ、さっさと食事の準備をしようか?」
「はい、兄さん」
「了解、兄さん」
シドと双子はそろって台所へ入っていった。
次男のランカに食事は作らせてはいけない。それは、シシリー家兄妹の守らなくてはいけない決定事項の一つだ。なにせランカの料理の才能は滅法だった。パンにジャムを塗るのは別に問題はないのに、牛乳に蜂蜜を入れると、苦くてしょっぱい味がするようになる。さらには、学校の調理実習で豆と玉葱とベーコンのスープを作った際、異臭騒ぎを起こしたことがある。そんな前科を多々作っているランカに、決して料理を作らせるなと考えるのは当然のことだった。
シシリー家の次男は『破壊の料理人』として、家庭科実習をした学校と嬉々として手料理を何度か振舞った家族に知られていた。が、当の本人はそのことに気がついていない。そのため、家では料理の手伝いをしようとまったくの善意から申し出てくれるのだが、長男と三男、四男の双子は毎回内心冷や汗をかきながら、丁重にお断りをしていた。
次男の場合は、シドの『不幸』と違い原因は明確だった。彼はひどい味覚オンチだった。牛乳には蜂蜜とにがりを入れるのがおいしいと本気で絶賛し、豆のスープにはあろうことか、異国のスパイスである、赤くてとっても辛い唐辛子を大量に投入したのだ。マグマのように染まり煮立ったスープからは大量の湯気が溢れ、実習室にいたクラスメイトや教師を次々と襲い、喉や鼻、眼に痛みを与え、一時騒然となったのに、ランカは平然とその場にとどまり、スープをうまそうに飲んでいた、という逸話の持ち主だった。
「……そういえば、最近僕、料理の手伝いしていないような気がするなぁ……」
兄や弟たちのどこか必死めいた気配を感じていたが、それがなぜか今一良く判っていないランカは首を傾げた。
そんな次男にぽん、ぽん、ぽんと左足の真横あたりに一つと、右足の真横辺りに一つ。それと、右足の後ろに軽い衝撃を受けた。なんだろうと下に顔を向けると、いつの間にか椅子から降りてきていた三つ子が、それぞれランカの左右の脚に可愛らしい手を置いていた。
「? どうしたの?」
何故手を置かれたのだろう、と少し戸惑いを見せるランカに、クランが見上げるように顔をあげて視線が合った。
「ランカにーちゃん。よのなか、しらないことがあっていいんだよ」
その表情はとても五歳児とは思えないほど達観していた。
「え?」
「……りょうりじょうずなお嫁さんをもらうべきなのよ」
リズはまるで母親のような慈愛に満ちた眼差しだ。
「は?」
一番下の兄妹達になんだか慰められているような宥められている様な、微妙な空気を感じ取り、ランカは困惑するしかなかった。
「えっと……ど、どういう意味かな?」
リズもクランも生ぬるい表情になり、無言でぽんぽんと次男の脚を叩くだけだった。
ランカは何がなんだか判らず困った表情で二人を見ることしか出来なかった。そこに、くいっ、と二人より少し後ろ側のズボンを引っ張られた。
上半身を少し捻るとアレンが寂しそうな表情でランカを見上げている。
「…………ごはん。まだ?」
お腹が空きすぎて切なくなってしまったようだ。
「あ、そうだね。早く卓の上を片付けよう」
リズとクランの不思議な行動に内心首をかしげながらも、三つ子を伴って、ランカは急いで卓の上を片付けて夕飯が食べられる準備を始めた。台所からは美味しそうな匂いが漂い始めていた。




