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3-2

おばちゃん達から逃げるように全力疾走したために、カーネリアン職業斡旋所に夕暮れになる前にたどり着くことが出来た。途中、鳥に襲われた町の他にもう一つ町を通り過ぎたが、その際、シドの爆走に恐れをなした町人の何人かが怯え短い悲鳴を上げていたようだ。だが、ひたすら走ることに集中していたシドの耳に届かなかったのは僥倖だったかもしれない。町人の中には、警邏の人間を呼ぶよう声を上げていた者もいたとかいなかったとか。


 兎にも角にも、シドはシドの異名を知っている自分の町付近まで戻ってきた所で走る速度を緩め、眼に痛い職業斡旋所の扉を開くころには軽く息を乱す程度までに落ち着いていた。

「…………あら~ん。シドちゃんいらっしゃーい!」

「………………」

 何度聞いてもなれない黄土色の声に、落ち着いてきたはずの息が乱れ、心拍数が上がった気がした。


「もうっ! 無言ってなによぅ。私、ぷんぷんしちゃうわよぅ」

 扉を開いて一歩建物の中に入った瞬間に逃げたくなった。

 自称乙女所長が獲物を見つけた鷹の様に鋭い眼光を光らせ、くねくねと腰を揺らしてカウンターからシドのほうへ近づいてきた。今日の服装は眼が潰れそうなショッキングピンク色のヒラヒラが首周りを二周したブラウスだ。


「ご、きげんよう……」

 視線をなるべくそらして挨拶をすると、バーフィアはにんまりと赤子を食べようと嗤う鬼のように笑った。


「その様子じゃあ、お仕事うまくいったのかしらぁ」

「な、なんで、判るんです?」

 もったいぶって教えようかと思っていたのに、あっさりと看破され、シドは眼を瞬かせた。

 バーフェアはさらにシドに近づいて、上から下までを舐めるように視線を動かした。


「う、うふっふふふ~」

「あの、本気で帰っていいですか?」

「に・が・さ・な・い・ぞ! えいっ!」

「ひいっ……」

 喉からは引きつったような音しか出なかった。バーフィアが素早くシドの右腕を掴み、そのまま彼女が腕を組むような格好になり、こてんと首を傾げシドの頭に頭突きする勢いで体重をかけてきた。


「うふふのふ~」

「お、重い……」

 よろけそうになり、なんとか踏ん張った。すると、バーフィアは心外そうに頬を軽く膨らませた。

「あら、失礼ね。女の子が垂れかかってきたらしっかり支えるのが男の子よ」

「…………」

 どこに女の子がいるんだ、とシドは口に出しそうになったが耐え、こくと喉を鳴らすに止めた。下手に言うと、女の子風に泣かれることは容易に想像できたからだ。


「あ、そうだ。それで、どんな不幸にあったの~?」

「なんでいきなり聞いてくるのが、不幸についてなんですか! 普通、仕事を斡旋しているところの所長なんだから仕事についてでしょう」

「だぁって~。シドちゃんがボロボロになるときって、何か良い事があった後が多いでしょう? そうすると、仕事が決まったって思うのが普通じゃなぁい。ということは、後聞くべきはどんな不幸にあったかってことよぅ」

「……た、対人間の普通って難しいんですね……」

 価値観の違いに項垂れるシドを横目に、バーフィアは鼻息荒くシドに顔を近づける。


「で、で。どんな不幸だったの? やっぱり、貴族の屋敷で働けるようになるくらいだから、不幸も規模が大きかった? ねえ、ねーえ」

「……よく僕の『不幸体質』を理解しておいでで……」

 眼前に近づいて来る極悪人顔の乙女を直視しないように首をそらしつつ、遠くを見るような視線でシドは力なく言った。


「当然でしょう。私はシドちゃんの不幸のファン一号なんだからぁ。……で、何があったの?」

 シドの皮肉交じりの口調は理解してもらえなかったようだ。バーフィアはさらに顔を近づけて聞いてくる。

 さすがに、身の危険を感じたシドは、腕を振り回しバーフィアの束縛から逃げようとしたが、バーフィアもまた逃がさんと蛸のように引っ付き、凶暴な瞳がぎらぎらと輝いている。

 暴れている際に、そらしていた視線をついうっかり、合わせてしまった。シドはそうそうに無駄な抵抗を諦めようと思った。


 さすが、山賊にならないのが不思議な男と言われているだけのことはある。血走っている目が怖すぎた。まだ十六歳のシドには到底太刀打ちできない。

「……ここに来る途中に、川鳥に襲われただけです」

「え? それだけ?」

 まるで、それっぽっちか、と言わんばかりのバーフィアの声音にシドはカチンときたが、下手にそれ以上のことを言って、さらに根掘り葉掘り聞かれては堪らないと考え、賢く沈黙を守る事にした。


「……これ、ウルフィズ家からの採用通知です。手続きをお願いします」

 隙を見て、なんとか右腕を奪取できた。距離を取りつつ左の脇に抱えていた荷の中を漁り、少しよれよれになった書類をバーフィアの前に突き出した。

「んもう。最近付き合いが悪いわよ、シドちゃん」

 つまらなさそうに唇を尖らせて、バーフィアは警戒しているシドから書類を摘まんで受け取った。シドは瞬間的に、さっとさらに距離を取るように、後ろに飛びずさる。まるで、飼い主に懐かない猫のようだった。


「……そんなシドちゃんも、か・わ・い・い・ぞ!」

 バーフィアは人差し指をシドのほうに突き出し、ちょんと触るような仕草をした。

「ふゅぐっ!」

 実際触られなかったが、精神をガッツリ揺さぶられた。シドは悲鳴にもならない音を上げて、石像のように固まった。


「あ、シンシアちゃ~ん、手続きおねがーい」

 固まったシドを尻目に、受け取った書類を高く上げ、ひらひらと揺らしながら受付のお姉さんに向かって声を上げるバーフィアに受付嬢の一人が受付から近づいてきた。

「はい。こちらの書類ですね。……手続きはいつも通りでよろしいでしょうか?」

 シンシアと呼ばれた受付嬢は厳つい乙女のバーフィア所長から書類を受け取り指示を仰ぐ。その際、表情は無表情に近く、一切動かない。金のチェーンがついた細めの黒縁の眼鏡がきらりと光ったような気がした。

「ええ。あ、でも一通り出来たら一度見せてくれる? ほら、これちょっと訳ありだしぃ」

 所長の言わんとすることを瞬時に理解したのか、シンシア嬢は色のなかった表情に微笑を浮かばせ、「かしこまりました」と軽く頷いて踵を返し、受付に戻った。


「ほほほ。優秀な部下がいると助かっちゃうわ~。……で、いつまで固まってるのシドちゃん?」

 シンシアを眼で追っていたバーフィアは、やれやれと言わんばかりの表情でシドへ顔を向け微苦笑した。

「……………………っは!」

動きを止めていたシドはバーフィアに言葉をかけられ、自分の呼吸が一時止まっていることに気がついた。それと同時に動悸に見舞われ思わず、胸に手を当てて軽く俯き深呼吸を繰り返した。


「……し、死ぬかと思った……」

「やっだもぅ。あたしの仕草が可愛いからって、大げさなんだからシドちゃんってばぁ」

 バーフィアはくねくねと身体をくねらせ、照れのはいった黄土色の声色を出した。

 これ以上ここにいると、自分の精神力が終わる。シドは危機感を感じた。


「う……こ、これで仕事を明日から始めれば良いんだよね? 僕、ゆ、夕飯の支度があるんでそろそろ帰らせていただきまうっ!」

 シドは警邏の人間のようにぴしっと背筋を伸ばし敬礼をしてしまうのは所長が恐ろしい過ぎるからだ。語尾が変だったがシドは気づくこともなく視線を左右に動かし猫に追い詰められたねずみのように逃げ道を探す。


「ふふ。そうねぁ、あとの処理はあたしがやっておくから。もういいわよ」

 口元を無骨な指で隠し、微笑むバーフィア。綺麗なお姉さんが同じことをすれば優雅と思えたかもしれないが、山賊も裸足で逃げ出す彼(彼女?)では、『これから赤ん坊を食べちゃうぞぅ』と舌なめずりを隠す悪魔にしか見えなかった。


 シドはそっと視線を床におろして、何も見なかったと自分に言い聞かせた。

「でも、よかったわぁ。ちゃんとシドちゃんが仕事を取れて。これから大変だけど、がんばってねぇ」

「………あ、ありがと」

 バーフィアの声は偽りもなく、シドの仕事が出来たことに喜んでくれている。シドはそれがなんとなく肌で判り、照れながらもぶっきらぼうに小声で返した。


 いっつも、心配してくれる所長に嬉しい反面やはり素直になれないシドだったが、そんなシドをバーフィアは優しい眼差しで見ていることに、彼は視線を逸らせていたせいで気がつかなかった。

「ふ、ふふふふ……本当に楽しみだわぁ」

「ん?」

 なにやら不穏な言葉を聞いた様なシドは視線をバーフィアに向ける。視線の先にはどこか恍惚とした表情のおっさんがいた。


「……………」

 さっきまでの感謝の気持ちやらなにやらが急速に萎んでいくのをシドは確かに感じた。

「……ふふふふ。シドちゃんの『不幸』でしょう? それに、ウルフィズ家の坊っちゃんの噂の『呪』!」

「………バーフィア所長?」

「ああ! 楽しみ! 楽しみだわ! 『不幸』と『呪』が合わさると何が起こるのかしら! シドちゃんが鳥にさらわれて、飴ちゃんが地下水からあふれ出てきたりするのかしら? それとも……」

 両手を組んで胸の傍で祈るような形を取り、くるくるとその場で回りだしているのは恋する乙女のようだった。


「………他人の不幸は蜜の味……ですか……」

 シドは力なく呟いた。正直泣きたくなった。

(そりゃ、死に掛けたことはないけど、変な『不幸』に遭う俺を何だと思っているんだ!)

 心中で文句をいいつつも、口に出して言い返したくなかったシドはバーフィアに注意しつつ、そうっと斡旋所のドアのほうへ向かった。


「うふふふふ~」

 ドアに近づいたシドに気がつくことなく、バーフィアはまだ不思議な乙女チックな踊りをクルクル踊っている。

 シドはそっとドアを開けた。

「じゃ、明日から仕事してきまーす」

 小声で言って受付の方に向かって軽く会釈すると、受付嬢たちは心得たもので、頷き返してくれた。


 シドは急いでドアをくぐり、道に出て小走りに走り出した。幾らか行ったところでドアベルが鳴り、「何処行ったのー。シドちゃーん!」というバーフィアの野太い声が斡旋所の窓をびりびり震わせながら外に響き、シドの耳にもしっかりと聞こえたが、気にせずそのまま家に向かうことにした。


(僕の『不幸』が面白いからって、さすがに今のはちょっと酷いと思う。僕だって、好きで合っている訳じゃないのに……)

 あの不幸ファンというのがなければいい人なのに、と何度思ったことか。

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