第1話
大坂友哉が亡くなったのは、街の輪郭も人々の暮らしも、あの震災によって無残に断ち切られてから、二十七日後のことだった。
一九九五年二月十三日、午前四時十二分。夜明けにはまだ遠く、病室の窓には薄明かりさえ差し込まず、青黒い夜の色が冷たいガラスの向こうに沈んでいる、時刻だけが静かに朝へ近づいていくような時間だった。
友哉は、最後まで一度も意識を取り戻さなかった。火災の熱と煙によって深く傷ついた気道は十分な呼吸を保てず、低下した肺機能に加えて、全身の広い範囲に及んだ火傷が体力を少しずつ奪い続け、彼の身体は眠ったまま戻る場所を見失っていくように、日を追うごとに静かに衰弱していった。重い感染症を防ぐため、面会には厳しい制限が設けられ、病室へ入ることを許された者も、髪を覆う帽子とマスク、清潔なガウンを身につけ、消毒液の刺激臭が手に残るほど念入りに手指を洗浄しなければ、ベッドのそばへ近づくことさえできなかった。
雄一郎は自身も火傷の治療を受け、包帯を巻いた身体の痛みと発熱に耐えながら、面会を許された時間のほとんどを友哉の病室で過ごした。ベッドの脇に置かれた簡素な椅子に腰を下ろし、友哉がいつ目を覚ましても、眠っていたあいだに研究がどこまで進み、何を改め、どの考えを捨て、何を残したのかを順序立てて説明できるよう、膝の上に広げたノートへ細かな文字と数式を休むことなく書き続けた。
あの夜、二人で組み上げた式を修正したこと。情報の発信点と受信点を結ぶ尺度には、空間上の単純な距離を置くのではなく、一つの状態が別の状態へ移るまでに必要となる遷移の回数を組み込むべきではないかと考えたこと。そして時間を、過去から未来へ一方向に延びる一本の直線としてではなく、複数の演算経路が重なり合い、異なる状態同士が接続し得る位相空間として記述できるなら、友哉が紙の上に描いたあの円にも、単なる直感や思いつきでは片づけられない理論上の意味を与えられるかもしれないこと。
雄一郎はそれらを、聞こえているのかどうかさえ分からない友人に向かって、一つずつ噛み砕くように話し続けた。
「お前の発想は、完全に間違っていたわけじゃない」
白く閉ざされた病室では、友哉の生命をつなぎ留めている機械だけが、時間を測る代わりのように、一定の間隔で電子音を鳴らし続けていた。
「ただし、円では不十分だ。情報が元の場所へ戻るためには、単一の経路を一周するだけじゃ足りない。互いに異なる複数の時間状態を、同時に許容できる構造が必要になる」
返事はなく、閉じられた友哉の瞼も包帯の隙間から見える指先も、わずかに動くことすらなかった。
「だから、まだ採用したわけじゃない。勘違いするな」
友哉の胸は呼吸器が空気を送り込むたびに、ごくわずかに持ち上がり、遅れて沈んだ。その動きは自ら息をしているというより、機械から与えられた呼吸の形だけを身体が忠実になぞっているように見え、雄一郎は目を逸らすことができないまま、研究の話を途切れさせずに続けた。
何も言わなければ、規則正しい電子音と呼吸器の作動音だけが、広すぎるほど静かな病室を隙間なく満たしてしまう。それが、雄一郎には怖かった。自分が口を閉ざし、次の言葉を探しているあいだに機械音まで途切れてしまえば、その瞬間、ベッドに横たわる友哉の存在そのものが、この部屋からだけでなく二人で積み上げてきた時間のすべてから消えてしまうように思えた。
明日香も、ほとんど毎日のように病院を訪れていた。彼女は許された時間いっぱいまで友哉の手を握り、学校で起きたことや家族の近況、震災によって建物が崩れ、道路が裂け、見慣れた景色を失った神戸の街が、それでも少しずつ日常を取り戻そうとしている様子を、眠る彼の代わりに覚えておいてもらうかのように語り続けた。友哉と結婚するつもりだったのだと雄一郎が初めて知ったのは、そのころになってからだった。
正確に言えば、二人は将来について漠然と約束していただけではなく、すでに新居として借りる部屋まで探し、家賃や通勤時間、日当たりや間取りについて話し合うほど、具体的に結婚後の生活を思い描いていた。
研究が一段落してから。
友哉は何かを尋ねられるたび、まるで結婚よりも研究のほうが重大であるかのような顔をして決まってそう言い続けていたが、明日香は、その言葉が決意を先延ばしにするためのものではなく、未来を口にすることを気恥ずかしがる彼なりの照れ隠しなのだと、とうに知っていた。
「ほんまは、研究をやめる気なんてなかったんです」
明日香は言った。
「結婚しても、ずっと桐崎さんと一緒に夜中まで研究するつもりやったと思います」
雄一郎は答えなかった。
「私、怒ってたんです。何回言っても帰ってこないし、電話しても研究の話ばっかりやし」
明日香は眠る友哉を見つめた。
「でも、あの人が研究の話をするときの顔、好きやったんです」
明日香が眠ったままの友哉の手を包み込むように握りながら、どこか懐かしむような、それでいて今にも声を詰まらせそうな調子でそう言ったとき、雄一郎は初めて、自分だけが友哉の時間を知り、自分だけが彼の人生の重要な部分を共有していたわけではないのだと理解した。研究室の机に向かい、計算用紙を何枚も広げたまま夜を明かす友哉、大学宿舎の薄暗い廊下で議論の続きを始める友哉、深夜の自動販売機の前でぬるい缶コーヒーを飲みながら新しい仮説を口にする友哉、そして数式の余白に、誰にも説明できない直感を図や短い言葉で書き残す友哉――そうした場所にいる彼こそが、雄一郎の知る大坂友哉だった。
けれども明日香の前には、雄一郎が一度も見たことのない友哉がいた。電話を切る直前になると、相手がもう飽きていると知りながら必ず同じ冗談を口にし、自分だけが満足そうに笑う姿。買い物を頼まれると、必要な品物よりも先に頼まれてもいない菓子や新発売の飲み物を籠へ入れ、帰ってから注意されても「どうせ食べるやろ」と悪びれずに答えること。結婚後の生活について話すときには、家賃や生活費や仕事の忙しさといった現実的な問題をほとんど考慮せず、それでも二人なら何とかなると信じ切った顔で、無責任なほど明るい計画を次々に並べること。
ひとりの人間は、ひとつの記憶の中に同じ姿のまま保存されているわけではない。誰かにとっては理屈に執着して譲らない研究者であり、別の誰かにとってはくだらない冗談を繰り返す恋人であり、また別の誰かにとっては、帰宅が遅くても連絡ひとつ寄越さない息子や、幼いころから変わらず負けず嫌いな兄弟であるように、一人の人格は複数の人間の記憶の中へ分かれ、それぞれ異なる輪郭と温度を与えられながら残されていく。友哉の死が避けられない現実として迫るなか、雄一郎は初めて、情報としての人格が持つ分散性を、抽象的な理論ではなく自分の目の前で失われつつある一人の人間を通して意識した。
たとえ友哉の身体が失われ、声も表情も新たに生み出されなくなったとしても、友哉という人間を形づくっていた情報の断片は、雄一郎や明日香、家族や友人たちの記憶の中に、それぞれ異なる形で残り続ける。だが、それらの断片は決して同一ではなく、雄一郎の知る友哉と、明日香の知る友哉と、家族の知る友哉をどれほど丹念に集めても、その隙間には誰にも見られず、誰にも語られなかった時間が必ず残る。すべての断片を一つに重ね合わせたところで、完全な友哉を再現できる者などどこにもいない。
午前四時十二分、それまで不規則ながらも画面上を走り続けていた心電図の波形が突然大きく崩れ、警告音が病室の静けさを切り裂くように鳴り響くと、待機していた医師と看護師が慌ただしく室内へ入り、雄一郎と明日香は処置の妨げになるからと廊下へ出るよう求められた。閉ざされた扉の前で待つあいだ、明日香は両手を強く組み合わせたまま一言も話さず、雄一郎もまた、彼女にかけるべき言葉を見つけられないまま白い床の一点を見つめ続けた。
扉の向こうでは、切迫した声による短い指示が何度も交わされ、薬剤の名前、変化していく心拍数、低下した血圧、処置を開始してからの時間が、途切れ途切れに廊下まで聞こえてきたが、その一つひとつは意味を理解できるはずの雄一郎にさえ、現実とは切り離された別の世界の言葉のように響いた。やがて病室の扉が開き、出てきた医師は二人の前で足を止めると、表情を隠していたマスクをゆっくりと外し、何も言わないまま静かに首を横へ振った。
その瞬間、雄一郎は自分の中に流れ続けていた時間の一つが、二度と動き出すことのない形で完全に停止したことを知った。
*
友哉の葬儀は、震災の傷がまだ街の至るところに生々しく残り、人々が日々の暮らしを立て直す余裕さえ持てずにいた神戸で慌ただしく執り行われた。火葬場も斎場も、あの日から相次いで亡くなった人々を送り出すための予約で埋まり、家族は日時や式の段取りについて十分に相談することも心の準備が整うまで待つことも許されないまま、わずかに空いた日程と限られた時間の中で友哉との別れを済ませなければならなかった。
参列者の中には自宅を失い、親族や知人の家、あるいは避難所からそのまま斎場へ来た者もいた。倒壊した家屋の中に喪服を置いたまま取り出すことができず、普段着や作業着で焼香に訪れた者もいたが、服装を気に留める者もそれを咎める者もいなかった。誰もがそれぞれの喪失を抱え、どの家にも少なからず欠けたものがあり、まるで神戸という街そのものがひとつの巨大な斎場となって喪に服しているようだった。
焼香の順番を待つ列に並びながら、雄一郎は祭壇の中央に置かれた遺影を見つめた。写真の中の友哉は白衣を着て、カメラを向けられていることを少し照れくさがるように笑っており、その背後には二人が研究室で毎日のように向き合っていた黒板と、友哉の肩越しに途中まで書かれた数式が映り込んでいた。その式を、雄一郎は見た瞬間に思い出した。友哉が計算の途中で符号を取り違え、それを雄一郎が無言で書き直した式であり、誤りを指摘された友哉は最後まで自分の間違いを認めようとせず、理屈にならない反論を並べた末に腹立ち紛れとも冗談ともつかない勢いで黒板消しを投げつけてきたのだった。
遺影を見つめているうちに、雄一郎の意識は祭壇の前からあの日の研究室へ引き戻され、床に落ちた黒板消しの乾いた音だけでなく、その直後に友哉が堪えきれず吹き出した笑い声まですぐそばで聞こえたかのように鮮明によみがえった。記憶はそこに本人がいなくても、残された人間の内側で何度でも再生される。しかしそのやり取りは常に一方向であり、雄一郎の側から記憶の中の友哉へ言葉を投げかけることはできても、友哉の側からまだ一度も聞いたことのない新しい言葉が返ってくることは、もう決してない。
過去に残された声や表情は繰り返し呼び戻すことができても、そこに新たな反応や選択が加わることはなく、どれほど強く願っても、失われた時間がこちらへ向かって動き直すことはない――その絶対的な不可逆性を、雄一郎は死と呼んだ。
葬儀を終え、参列者たちが静かに斎場を後にし始めたころ、明日香は雄一郎の前まで来ると、両手で大切に抱えていた一冊のノートを差し出した。それは、友哉の自宅に残されていたものだった。
「研究のものやと思います」
明日香から差し出されたノートの表紙には、走り書きに近い友哉の字で短い注意書きが残されていた。
――桐崎には見せるな。まだまとまってない。
雄一郎はすぐに開こうとはせず、友哉らしい癖のある筆跡とそこに記された自分の名字を、言葉の奥に隠された意図まで読み取ろうとするようにしばらく黙って見つめていた。
「見てもいいんでしょうか」
「もう、本人に聞けませんから」
明日香はそう答えると口元にかすかな笑みを浮かべたが、その表情には寂しさが滲み、笑うというよりこみ上げてくるものをどうにか押しとどめているように見えた。
「たぶん、ほんまは見せたかったんやと思います。あの人、ほんまに見られたくないもんには、わざわざ相手の名前なんか書きませんから」
その言葉に背中を押されるようにして雄一郎が表紙をめくると、ノートには時間と情報の関係をめぐる計算や仮説が、訂正線や書き込みを幾重にも重ねながら、ほとんど余白を残さず記されていた。友哉は雄一郎に何も告げないまま、二人が共有していた問題を彼とは異なる方向から独自に考え続けていたのである。
雄一郎が、一定の空間とエネルギーの内部に保持できる情報量の上限を物理的な制約から導き出そうとしていたのに対し、友哉は同じ問題を、情報が送り手から受け手へ伝えられる過程、すなわち通信の問題として捉え直していた。ある情報がある時点から別の時点へ移動するとき、伝えられる内容だけを独立した情報と考えるのではなく、その内容が通過した伝達経路そのものまで、情報を構成する不可欠な一部として扱うべきだと、友哉は考えていた。
発信された内容に加え、それが送り出された時刻、受信された時刻、伝達の途中で生じた変化、さらには受信した側がその瞬間にどのような状態にあったのかまでを切り離すことのできない一つの情報集合として定義する。そうすれば時間は、情報がその上を通過していくだけの無色透明な背景ではなく、情報の形や意味を決定する変数としてその内部に組み込まれることになる。
友哉の記述は決して整然としたものではなく、前提の説明を省いたまま結論へ飛んでいる箇所もあれば、途中の計算が明らかに誤っている式や、本人にしか意味を理解できない矢印や円が乱雑に書き込まれたページもあった。それでも、粗削りな式と飛躍の多い説明の中心に置かれた発想だけは明瞭であり、雄一郎が一人で積み上げていた理論よりも、すでに半歩ほど先へ踏み出しているように思えた。
時間を保存するのではない。
時間を、情報の形式へ変換する。
雄一郎は、その一文を何度も読み返した。
そして雄一郎はその一文を読み返すうちに、自分がこれから何を研究し、残された時間のすべてを何に費やすべきなのかを決めた。
友哉を蘇らせる――雄一郎は、そのような言葉を決して口にはしなかった。ひとたび言葉にしてしまえば、それは研究の目標ではなく喪失に耐えられない人間が縋る願望へと変わってしまい、願望は客観的な方法によって検証することができず、検証も反証もできないものを科学と呼ぶことはできないと彼は誰よりもよく理解していた。
だからこそ雄一郎が最初に掲げた目標は、人間の死を覆すという途方もない結論からは遠く離れた、はるかに小さく、限定的で、数学的な手続きによって成否を確かめられる問題だった。情報は時間軸上に隔てられた異なる二点のあいだで、その内容を損なうことなく保存され得るのか。過去のある時点に存在し、すでに失われたように見える情報を、現在から観測可能な形式へ再構成することはできるのか。そして未来において初めて生成されるはずの情報を、因果関係を破綻させることなく、現在の計算系へ組み込むことは理論上可能なのか。
それらの問いを曖昧な比喩や個人的な希望ではなく、定義と数式と証明によって記述する。友哉の死そのものを取り消そうとするのではなく、まずは過去から未来へ一方向にしか進まないとされる時間の不可逆性が、本当に例外を許さない絶対的な法則なのか、それとも人間がまだ正しい記述方法を見いだしていないために、そう見えているだけなのかを確かめる。
葬儀を終えた雄一郎は大学の自室へ戻ると、火傷の傷が完全には塞がらず、包帯の下に熱と鈍い痛みを残した身体のまま、ほとんど間を置かずに研究を再開した。当初、周囲の人間は、その異様な没頭を一時的な逃避だと考え、かけがえのない友人を失った衝撃と悲しみに正面から向き合うことができないため、雄一郎は研究という慣れ親しんだ行為の中へ逃げ込み、数式を追うことで辛うじて自分を保っているのだろうと思っていた。
実際、その見方は完全に間違っていたわけではない。雄一郎はほとんど眠らず、空腹を感じることさえ忘れ、医師から処方された薬も定められた時刻に飲まないまま椅子へ座る余力すら失って研究室の床で眠り込むこともあった。数時間後に目を覚ますと、冷え切った身体を起こしてそのまま机へ戻るという日々を繰り返していた。
しかし彼が書き続けた研究の内容だけは、友人を失った悲しみや罪悪感とは意識的なまでに厳密に切り離されていた。計算のどこにも友哉の名前は現れず、震災によって崩れた街も、炎に包まれた研究室も、機械音の鳴り続ける病室も記されてはいない。そこにあるのは、情報量を表す抽象的な記号と、系が時間とともにどのように変化するかを示す演算子、そして有限の物理系において情報が伝達される速度にはどのような上限が存在するのかを記述する、無機質な数式だけだった。
一九九六年、雄一郎はそれまで積み上げてきた計算と仮説を一本の論文にまとめ、国内の理論物理学誌へ初めて投稿した。題名は、『有限エネルギー系における時間情報伝達率の上界について』という、内容を端的に示す一方で、当時の物理学においては耳慣れない概念を含んだものだった。
投稿から三か月後、編集部を通じて返送されてきた査読結果は、不採択だった。査読者の一人は雄一郎の理論を「数学的には興味深いが、対応する物理的対象が存在しない」と評し、形式上の整合性には一定の価値を認めながらも、現実の物理現象と結びつける根拠が欠けていると指摘した。別の査読者は、「時間を通信資源とみなす定義そのものが恣意的であり、現時点では実証可能性も認められない」と記し、理論の出発点に置かれた概念そのものへ疑問を呈していた。そして三人目の所見は、説明も反論の余地もほとんど残さないほど短く、ただ一行、――議論が過度に思弁的である、とだけ書かれていた。
雄一郎は、返ってきた原稿を机の上に置いたまま落胆に沈むことも、査読者の理解不足を責めることもせず、指摘された箇所を一つずつ検討しながら、すぐに論文を書き直した。本文から「時間」という言葉を可能な限り減らし、その代わりに「状態遷移の順序」「情報伝達経路」「非局所的相関」といった、既存の理論物理学や情報科学の枠組みに接続しやすい表現を用いることで、彼自身の着想を、より検証可能な問題として読み替えられるよう再構成した。過去や未来への通信という、読者に過度な飛躍を感じさせる説明も削除し、理論から導かれる小規模な現象の例として、有限な量子系における情報保持時間と演算速度の関係を示し、抽象的な仮説が少なくとも既知の物理量によって記述できることを明確にした。
そうして再投稿した論文は、いくつかの修正を条件として、ようやく掲載を認められた。しかし、掲載されたからといって反響が生まれたわけではなく、論文に言及する研究者はほとんど現れず、後続の研究に引用されることもなかった。それでも雄一郎にとっては、それで十分だった。学術誌に掲載され、題名と著者名と数式を伴って公的な記録の中へ組み込まれた理論は、研究室の机に置かれた個人のノートよりも長く残り、自分が死んだあとでさえ、いつか誰かの目に触れる可能性を持つ。研究とはいまここにいる自分から、まだ出会ったこともなく、名前さえ知らない未来の相手へ向けて情報を送り出すための、最も原始的でありながら確実な時間通信なのだと雄一郎は考えるようになった。
一九九八年、雄一郎は、スイスで開催される情報物理学の国際研究会へ参加するよう招待を受けた。もっとも、招待とは名ばかりで、会場への旅費や滞在費が主催者から支給されるわけではなく、所属する大学から得られた補助金だけでは航空券と宿泊費の全額を賄えなかったため、不足分については自身の乏しい蓄えから支払わなければならなかった。
研究会の会場となったのは、湖の近くに建つ古い研究施設で、長い年月を経てくすんだ石造りの外壁と、狭く高い窓を備えた静かな建物だった。参加者は五十人ほどで、量子情報、熱力学、重力理論、計算複雑性といった、それぞれ異なる問題意識と方法論を持つ分野から研究者が集められており、普段なら同じ会議の席に並ぶことの少ない者たちが、情報という共通の概念を手がかりに議論を交わしていた。
雄一郎に与えられた発表時間は二十分で、聴衆の多くは、彼が最初の定義を示した段階から、すでに懐疑的な表情を浮かべていた。時間を単なる現象の背景や変化を測る尺度としてではなく、情報伝達を成立させる構成要素の一つとして扱うこと、有限の物理系に保持できる情報量に上限が存在するならば、その情報が状態を変化させながら伝達される時間的な過程にも、それと等価な率の限界が存在すること、そして両者の関係を、空間的な境界だけに依存しない「拡張情報境界」として定式化できることを、雄一郎は限られた時間の中で順を追って説明した。
発表の途中、前列に座っていたアメリカ人研究者が手を挙げた。
「あなたの理論において、時間は計算を遂行するために消費される演算資源なのですか、それとも物理現象の位置を記述するための座標なのですか」
前列の研究者から投げかけられた問いに対し、雄一郎はためらうことなく答えた。
「両方です」
その短い返答が会場に落ちた瞬間、聴衆の何人かは意外そうに眉を動かし、隣に座る研究者と顔を見合わせた。
「それは、本来区別すべき二つの概念を混同しているだけではありませんか」
「現在の計算機科学では、ある演算を完了するまでに必要な時間を、しばしば演算が実行される物理系から切り離された抽象的な尺度として扱います。しかし、現実の計算は必ず何らかの物質的な装置の内部で行われ、そのためにはエネルギーと空間、そして処理が進行する時間が必要になる以上、そのうちのどれか一つだけを他の制約から独立した無限の資源とみなすことはできません」
「では、あなたが提唱する境界は、具体的に何を制限するのです」
「有限の大きさとエネルギーしか持たない物理系が、限られた時間の中で保持し、別の状態へ変換し、さらに外部へ伝達することのできる情報の総量です」
「既存の情報境界と、どこが異なるのでしょうか」
「既存の境界が、ある倉庫の内部に最大でどれだけの荷物を収められるかを示すものだとすれば、私の境界は、その倉庫へ単位時間あたりにどれだけの荷物を運び込めるのか、また、内部からどれほどの速度で取り出せるのかという過程まで含めて制限するものです」
すると今度は、会場の後方に座っていた別の研究者が、資料から顔を上げて尋ねた。
「その境界を越えようとした場合、物理系には何が起きるのですか」
「現時点では、そもそも越えることができないと考えています」
「越えられないのなら、なぜ研究する必要があるのです」
雄一郎はすぐには答えず、ほんの一瞬だけ言葉を止めた。その沈黙の中で、一定の間隔を保ちながら鳴り続けていた病室の機械音が閉ざされた記憶の奥から突然よみがえり、友哉の胸が呼吸器に合わせてわずかに上下していた光景までもが、会場の白い壁に重なるように浮かんだ。
「越えることができないという主張を、まだ誰も証明していないからです」
発表が終わり、聴衆が次の講演へ向けて席を立ち始めても、雄一郎の周囲に話を聞こうと集まった者は決して多くなかったが、その少人数の中に、アメリカから参加していた計算物理学者、エリック・ハドソンがいた。ハドソンは量子計算機が有限のエネルギーと時間のもとで到達し得る演算能力の限界を研究しており、周囲より頭一つ高い長身と、相手に質問を投げかけながらも、その顔をほとんど見ず、視線を資料や床へ落としたまま話す癖を持つ男だった。
「あなたの理論には欠陥がある」
自己紹介を交わすことも、握手のために手を差し出すこともせず、ハドソンは雄一郎の前に立つなりそう言った。
「知っています」
「欠陥があると認めるだけではなく、それがどこにあるのかも分かっているのですか」
「可能性のある箇所なら、七つまで絞り込んでいます」
その答えを聞いたハドソンは、それまで手元の講演資料へ落としていた視線を上げ、初めて雄一郎の顔を正面から見た。
「面白い」
それが、雄一郎にとって最初の国際共同研究の始まりとなった。二人は研究会が終わったあとも電子メールを使って議論を続けたが、当時の通信環境では、膨大な数値を含む計算データを現在のように簡単に送り合うことはできなかったため、数式と検討結果を文書ファイルにまとめて容量を圧縮し、それでも一度に送信できない場合には、ファイルをいくつかに分割して何度も送らなければならなかった。




