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第6話 仮のつもりが確定する(出してないのに受理)

紙って、軽い。


薄い。折れる。燃える。

なのに今日の紙は、私の予定を丸ごと抱えて走り出した。私の同意なしで。


朝。玄関の隙間から白い封筒が滑り込んだ。


さら。


教会の印。きっちり。手堅い。

この手堅さが怖い。丁寧に逃げ道を潰す気配しかしない。


私は封を切って、中身を読んで、固まった。


「巡回救護 仮参加票を受理しました」

集合:明朝 日の出前

場所:教会東門(番号点呼)

持参:布/手袋/紐/灰/薬草/水筒/予備一式

※遅刻は参加取り消し(受理記録は保管)


……出してない。


出してないのに、受理されてる。


「ミオ、受理ってなに?」


肩の上で透明な気配がぴょこんと跳ねた。精霊スーリ。朝から元気。朝から風。


「受理は……受け取った、って意味」


「受け取ったの? 誰が?」


「……少なくとも私は出してない」


私は机の上に、昨日もらった紙を置いた。

巡回救護の“参加案内”。薄い紙。軽い紙。


ただ、紙の下端。切り取り線の先が、ない。


「あれ……?」


私の指が切り取り線をなぞる。

本来ここに付いているはずの“仮参加票”の小さな部分だけが、きれいに消えていた。


「ね。案内はある。でも票の部分がない。私、ちぎってない」


スーリが紙と私を交互に見て、ぱちぱち瞬いた。


「……紙、逃げた?」


逃げたなら追いかけたい。できれば捕獲して縛っておきたい。


背後で姉のレティアが静かに息を吐いた。


「確認に行く」


「確認って言ったら、記録が増えない?」


「増える可能性はある」


「じゃあ行かない」


「行く。情報だけ抜く」


姉はいつも、正しい方向へ一直線だ。

正しいって、逃げ道が見えなくなるってことでもある。


私は小声で唱えた。


「……調律、調律」


スーリも真似をした。


「ちょうりつ!」


元気。元気が風。

私はスーリの口元をそっと押さえた。


「小声で」


「んむ」


◇◇◇


教会の救護窓口は、朝の光を白く反射していた。


白い壁。白い床。白い布。

白いのに匂いが濃い。紙と香油と石と、人の気配。

ここは呼吸を乱すだけで「ここにいます」って言ってしまいそうで怖い。


窓口には、にこやかな修道女がいた。エステル。


「おはようございます。どうされましたか?」


丁寧な笑顔。丁寧な声。

丁寧は信用できる。だから、なおさら怖い。


レティアが一歩前へ出た。声は低く、言葉は短く。


「確認です。巡回救護の仮参加票が受理されたと通知が来ました」


エステルは帳面に指を滑らせ、即答した。


「はい。受理しております」


……即答。即答が怖い。

間違いでした、って言ってほしかった。言わないでほしかった。


レティアは“取り消し”と言わない。まず確認。


「受理の条件と根拠を教えてください」


「受理は、番号、居住区、年齢帯、そして当人の意思確認がそろった場合に行います」


意思確認。

私の意思、どこに置いてきたんだろう。


私は口を挟みたくなったけど、口は匂いになる。

だから黙る。黙るだけ。


レティアが続けた。


「意思確認とは?」


「仮参加票の提出です。提出箱に入れられた時点で、当人の意思とみなします」


提出箱。


窓口の横に、蓋付きの木箱がある。投入口だけ開いている。

「仮参加票」って丁寧な字で書いてある。丁寧に罠。


エステルは、さらっと決定打を出した。


「こちらが受理控えです」


見せられた紙には、私の受付番号と居住区、年齢帯。

そして「受理」の印。


「……番号、これ……」


私の受付番号。

その下に小さく、提出時刻。昨日の夕刻。


昨日。

教会にいた時間だ。


レティアはそこで、会話の舵を切った。記録を増やさず、答えだけ抜く。


「集合時間、同行者、行き先を確認したい」


「もちろんです。明朝、日の出前。行き先は町外のリンド集落。救護係二名、護衛二名が同行します」


「危険度は」


「低めです。軽傷対応と衛生指導が中心。無理はさせません」


無理はさせません。

優しい言葉で、確定を抱えてくるやつ。ずるい。


「持参物は通知の通りで」


「はい。不安があれば救護係にご相談くださいね」


不安しかない。でも相談は記録の種。私は種を蒔きたくない。


私たちは頭を下げ、窓口を離れた。


外へ出た瞬間、ようやく息を吐いた。

吐けたのに胸は軽くならない。


「……昨日、提出箱に入れられてる」


レティアが短く頷く。


「原因は、身内」


私は、肩の上のスーリを見た。


スーリが、ぴくっと震えた。


「……あ」


「“あ”はやめて」


スーリは指先を合わせて、もじもじする。


「昨日、教会の外で……紙、落ちてた」


「紙?」


「ミオの紙。ちっちゃい紙。切り取り線の、下のやつ」


……仮参加票。


私の指が、案内の切り取り線をもう一度なぞった。

そこにあるはずの小片だけが、ない。


スーリは続ける。


「迷子の紙、かわいそう。だから、箱に入れた。『仮参加票』って書いてあった。合ってると思った」


合ってる。

手順としては、合ってる。

そして、私の人生としては、最悪に合ってる。


私は額を押さえた。


「スーリ……あれ、提出箱。入れたら『出した』になる箱」


「……え」


固まるな。かわいい。かわいいけど、今は困る。


スーリが青ざめた気配で言った。


「ごめん。ミオ、怒る?」


怒りたい。

でも怒ったら熱が出る。熱は漏れる。漏れたら痕が残る。痕は拾われる。


だから私は、深呼吸して、結論だけを言った。


「怒らない。……次から、私の紙は私に渡して」


スーリは必死に頷いた。


「うん! 渡す! 絶対!」


元気。元気が風。

私はまた口元をそっと押さえる。


「小声で」


「んむ……!」


レティアが短くまとめた。


「戻すと騒ぎになる。騒ぎは記録を呼ぶ。なら、参加して“何も起きないようにする”ほうが安全」


何も起きないようにする。

それが一番難しい。

でも姉が言うなら、たぶんそれが一番現実的だ。


私は案内紙を握りしめた。


軽い紙が、私を外へ連れていく。


◇◇◇


帰り道、風上にカイルがいた。


黒い外套。鼻先の銀具。

空気だけを見ている目。目が軽くない。


「受理された?」


軽口。軽い声。

でも言葉は鋭い。匂いみたいに刺さる。


私は『だけ』で返す。


「帰るだけ」


カイルは笑った。


「紙が勝手に歩く。便利だね」


便利じゃない。

便利なのは“私”じゃなくて、“誰かの都合”。


レティアが前へ出る。


「取引はしない」


「取引じゃない。忠告。巡回救護は匂いが増える」


「知ってる」


姉の即答が強い。強すぎて相手の言葉が詰まる。気持ちいい。


カイルは肩をすくめた。


「俺より礼儀正しい鼻が来る。礼儀がある分、面倒だ。話も長い」


礼儀正しい鼻。

嫌だ。礼儀正しい人ほど、丁寧に逃げ道を潰す。


「……誰」


言いかけて、飲み込む。

質問は匂いになる。匂いは拾われる。


カイルはそれを見て、にやっとした。


「言わない。自分で嗅げ……じゃなくて、嗅がれろ」


最悪の言い方。


踵を返して、風上へ去っていった。

去り方が“去ってない”。風を取り直す歩き方だ。


私の手の中の紙が、また少し重くなった気がした。


◇◇◇


家に戻ると、私は準備を始めた。


準備は、心の調律になる。

手を動かすと、余計な想像が減る。減ると匂いが落ち着く。


布を並べる。手袋を揃える。紐を丸める。灰袋を締め直す。

薬草布を畳む。水筒を洗う。

小さな金具と鍋を確認する。煮沸消毒は、お湯が沸くまでが勝負だ。


手順表を折って、汚れない袋に入れる。

袋の口を結ぶ紐の長さも揃える。揃うと落ち着く。


「……できた」


これ、普通の準備。

普通だよね? と、私は自分に聞きたい。


レティアが横から見て、短く言った。


「軽い。必要十分。無駄がない」


褒められてる。

褒められると面倒が増える。やめてほしい。


「普通」


「普通じゃない」


姉は嘘をつかない。

だから困る。


スーリが机の端でじっと見ている。


「ミオ、すごい」


「すごくない。順番どおり」


「順番どおり、すごい!」


精霊の語彙は単純で助かる。

助かるけど、全部“持ち上げ”に変換されるのは困る。


私はスーリに真顔で言った。


「明日は、風を止めすぎない。馴染ませる。痕は出さない。出ても最小で収束」


スーリは真顔で頷いた。


「うん。止めない。馴染ませる」


偉い。今日は偉い日。


◇◇◇


夕方。教会で事前説明会があった。


参加者は少人数。

同年代が数名、不安そうに手を握っている。

救護係が二人、護衛が二人。

そして白い上着の記録係が後方に立っている。静かに、見ている。


見ないふりが上手いのに、見ている。

匂いより怖いタイプ。


エステルが前に立ち、穏やかに説明を始めた。


「明朝、日の出前に集合です。番号で点呼します。行き先はリンド集落。軽傷対応と衛生指導が中心です」


「勝手な行動はしない。遅刻は参加取り消し」


取り消し。

取り消しって言うけど、取り消したら別の記録が増えそうな空気がする。教会はそういう所だ。


護衛のひとりが前へ出た。若くて背が高い。声が明るい。


「護衛担当のライルです。危ない場所は避けます。困ったら言ってください」


困ったら言う。

言うと記録が増える。

だから私は困らないように困りを潰す。順番どおり。


ライルの視線が私の携行セットに止まった。


「その準備、分かりやすいですね。必要なものが一瞬で取れそう」


やめて。褒めないで。目立つ。


「普通に詰めただけです」


ライルは首を振る。


「普通に詰めるのが難しいんですよ。すごい」


普通が難しい。

世界が難しいのか、私の普通がズレているのか。

できれば世界のせいにしたい。


同年代の女の子が、小さく手を挙げた。


「……私、失敗しそうで、怖い」


声が震えている。

震えると呼吸が浅くなる。浅いと手順が飛ぶ。


私は声を落とし、言葉を短く渡す。


「大丈夫。順番どおりでいい。危なくなったら、息を合わせよう」


「……息?」


「せーので吸って、ふーって吐く。そのあと手順」


女の子の肩が少し落ちた。

目が戻る。人間はわかりやすい。助かる。


説明会が終わり、皆が帰り支度を始めた時だった。


外から小さな泣き声。


「うぇぇ……!」


子どもが転んだ。擦りむいた膝。赤い。


周りが一瞬ざわつく。

ざわつくと空気が動く。空気が動くと匂いも動く。


……ここは軽い事故。大丈夫。

大丈夫にするだけ。


救護係が動くより先に、私の手が伸びていた。

自分でも驚く。身体が“段取り”を先に出す。


「洗うだけ」


水筒の水を少し布に含ませ、膝をそっと拭く。

子どもがびくっとした。


「息、合わせよう。せーの」


「……せーの……」


吸う。吐く。


「ふー」


肩が落ちた。泣き声が少し小さくなる。


「押さえるだけ」


布を当てて、優しく押さえる。

軽傷だ。血はすぐ止まる。よかった。


「固定するだけ」


包帯を巻く。きつくしない。ほどけないようにだけ。

結んで、子どもの目を見る。


「終わり。えらい」


子どもは鼻をすすって、こくっと頷いた。


周りの大人が息を吐く。

空気が落ち着く。


ライルが感心した顔で言った。


「落ち着かせ方、上手いですね」


やめて。

上手いって言わないで。上手い人扱いされると面倒が増える。


私は笑って逃げた。


「順番どおりにやっただけです」


後方で、記録係のペン先が一拍止まった気がした。

見ないふりが上手いのに、見ている。


スーリは影の中で、風をほんの少し馴染ませた。

止めない。馴染ませる。偉い。


私は心の中だけで言った。


(痕封)


漏れる熱は、最小で収束。

今日の私は、ぎりぎり偉い。


◇◇◇


帰り際、エステルが集合案内の紙を渡してきた。番号付き。丁寧な確定。


「明朝、忘れずに。遅刻は参加取り消しになります」


取り消し、という言葉が、優しく刃物みたいに置かれる。


私は紙を受け取り、頭を下げた。


「……はい」


家へ向かう道で、スーリが小さく言った。


「ミオ。風、変」


「変?」


「知らない匂い」


知らない匂い。

カイルが言っていた“礼儀正しい鼻”。礼儀がある分、面倒なやつ。


レティアが短く言う。


「……別の鼻だ」


私は空を見上げて、明るく誤魔化した。


「明日、早起きするだけ」


口に出すと軽くなる。

でも手は、紙を強く握っていた。


軽い紙が、私を町の外へ連れていく。


そして、風は境界を知らない。

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