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第30話 講習は逃げ道ゼロ。なのに私は、出席してない

王都の朝は、音が多い。

馬車の車輪。呼び声。鐘。靴音。紙をめくる音。

全部が重なって、ひとつの「嫌な予感」まで、きれいに混ざる。


「……音が多いと、嫌な予感も増える気がする」


小さく言った瞬間、外套の内側がふわっと熱を持った。


通行証。


触れてないのに、方向だけはやけに正確。

こっち、とても丁寧に。逃げ道ゼロの顔で。


「……講習会場に引いてる。嫌」


肩の上のスーリが即答する。


「起点、そこ」


「そこって言い方が、もう嫌」


「事実」


「事実は嫌」


背中側から、ぽん。


レティア姉の合図。

“声を小さく”の調律。


私は喉をぎゅっと閉めた。えらい。増えない。


クラリスが歩幅を合わせる。


「今日で終わらせます。講習を止める。仕組みも止める。ミオは、目立たない」


「目立たない、が一番難しい気がする」


「大丈夫。目立つ原因を潰します」


潰すのは怖い。

でも今の私の怖さは、別方向だ。


「私は事故が嫌なだけなのに……」


スーリが耳元で言う。


「嫌が、強い。だから守れる」


「その理屈、嫌」


「でも正しい」


「精霊が正論を言うの、嫌」


「嫌」


嫌の往復で、王都の石畳を進む。

進めば進むほど、予定が勝手に並ぶ。やけに丁寧に。


◇◇◇


商会の監査庁舎は、静かだった。

静かすぎて、逆に怖い。


紙の匂い。蝋の匂い。インクの匂い。

「整っている」匂いがする。

整っている場所は、間違いも整って隠れる。


入口の職員が、きれいな笑顔で言った。


「おはようございます。本日はどのようなご用件で」


王都の丁寧は、声が柔らかいのに硬い。


カディアが文書を出す。


「監査だ。拒否は記録する」


職員の笑顔が一瞬だけ止まり、すぐ戻る。


「承りました。安全のため、決められた順路で」


……出た。

安全のため。決められた順路。

丁寧の定型文。嫌。


クラリスが丁寧に上書きする。


「確認は三点だけです。講習の正式名称、主催と支払い経路、会場の安全点検記録」


職員が瞬きをひとつ。


「……少々、お待ちください」


その「少々」が長いのも、王都の丁寧。

待たせることで、予定を決める。


待つ間に、私たちは確認する。


サイラスが低く言う。


「追わない」


ルーファスが淡々と頷く。


「見上げません。反射だけ拾います」


レティア姉が、ぽん。

“影、替える”の合図。


ベルトランが鼻の奥を押さえたまま笑う。


「王都は香りの層が多いな。混ぜ物が隠しやすい」


スーリが一言。


「嫌」


全員の意見が一致した。

王都は、嫌。


◇◇◇


職員が戻ってきた。丁寧な紙束を抱えて。


「こちらが当該講習の登録記録です。正式名称は……香料安全取り扱い実地研修会」


安全。実地。研修会。

言葉だけは正しい。


カディアが紙をめくる。

めくり方が、怒っているときのそれ。


「主催は?」


「登録上は、王都香料協会です」


「支払いは?」


職員が一瞬だけ視線を落とす。


「……商会の複数口座を経由しています」


クラリスが静かに言う。


「迂回ですね」


ルーファスが、紙の端を見て言う。


「記名欄が薄い。ここだけ筆圧が違います」


ベルトランが鼻を押さえる。


「匂いも二重だ。表の『安全』と、裏の『探す』が重なってる」


カディアが決めた。声が低い。


「踏み込む。講習を止める。物証を押さえる。今日で終わらせる」


今日で終わる。

その言葉だけは、少し好き。


でも通行証は、また熱を持つ。


こっち。

逃げ道ゼロ。

やけに丁寧。


◇◇◇


会場へ向かう道は、人が多い。

人が多いと、事故が増える。嫌。


案の定、角で荷車がよろけた。

箱が崩れそうになって、通りが詰まる。


「待って、これ転ぶ」


喉が勝手に開きかけた。


その瞬間、レティア姉が、ぽん。


私は喉を閉める。

でも身体が先に動く。嫌。


「離れて。息。水。足元」


声が出た。小さく。

小さく出したのに通りに通るのは、王都の道がよく響くせい。

せいにする。全部。


風が一本だけ抜けた。


崩れかけた箱の下から、石ころが転がる。

足元の石ころが、ころん、と端に寄る。

荷車の車輪が引っかからず、箱が戻る。


「おお……!」


通りの係が目を丸くする。


「今の声かけ、分かりやすい!」


分かりやすいは、褒め言葉。

褒め言葉は、目立つ。嫌。


私は青ざめる。


クラリスが即座に言う。丁寧に、きっぱり。


「今のは通りの係の方の声かけです。皆さん、素早く動けましたね」


係が「え?」って顔をする前に、クラリスが続ける。


「王都の通りは、さすがです」


王都の人は「さすが」に弱い。

顔がほころぶ。

手柄は王都に吸い込まれる。

助かる。嫌だけど助かる。


私は小声で言った。


「……クラリス、調律が上手すぎる」


「ミオが目立つ方が嫌でしょう?」


「嫌」


スーリが即答する。


「嫌」


全員一致。

今日は嫌でまとまってる。強い。


◇◇◇


会場の入口は、きれいだった。

きれいすぎて、逆に嫌。


案内係が、にこやかに言った。


「安全のため、こちらへ。決められた導線をお通りください」


同じ言い回し。

同じ癖。

丁寧が同じ形をしてる。


スーリが耳元で言う。


「同じ癖」


私も言う。


「同じ癖、嫌」


カディアが文書を出す。


「監査だ。拒否は記録する」


案内係の笑顔が固まる。

固まって戻る。戻り方が丁寧。


「承りました。どうぞ……安全のため、こちらへ」


入る前から、写される気配がする。

空気が硬い。灯りが均一。

均一は、写すのに便利。


ルーファスが低く言った。


「灯り、替えます」


ほんの少しだけ、ランプの角度が変わる。

反射がずれる。

壁の金具が一瞬、硬く光った。


「写し晶。複数」


嫌。

やっぱり嫌。


レティア姉が、ぽん。


影が替わる。

私は列の端、壁際、反射の弱い位置に収まる。

自分で動いた気がしない。

影が、私を動かしてる。頼もしい。嫌だけど頼もしい。


ベルトランが鼻を押さえる。


「探す香りが混ざってる。講習の香りじゃない」


講師が現れた。

穏やかな笑顔。丁寧な声。きれいな服。


「本日はお越しいただきありがとうございます。安全第一。香料は扱いを誤ると、事故につながります」


安全第一。

その言葉、嫌いじゃない。

でもここで言われると、嫌。


私は小さくつぶやく。


「そもそも私、受講者じゃないんだけどね。監査だし」


スーリが肩で言う。


「出席してない」


「そう。出席してない。……なのに会場にいるの、嫌」


◇◇◇


講師が配ったのは、手袋と小瓶と紙。

紙には配合が書かれている。


「実演で、刺激臭が出ることがあります。目をこすらないように」


言いながら、刺激臭が出る配合を、丁寧に選ばせる手口。

“安全の話をしながら危ないことをする”のは、よくある。嫌。


参加者がくしゃみをする。

咳き込む人が出る。

目をこすりそうになる人が出る。


私の喉が勝手に開きかけた。

言っちゃう。言ったら、風が通る。事故が止まる。

止まったら、反応が出る。写される。嫌。


クラリスが一歩前に出た。

声を被せる。丁寧に、でも速い。


「窓を開けてください。水桶を。換気が先です」


会場の係が慌てて窓に向かう。

でも窓は重い。もたつく。

その一拍が、嫌。


私は小声で言った。ぎりぎりの小声。


「離れて。息。水。目、こすらない」


言った瞬間、風が一本だけ通った。


刺激臭だけが、すっと抜ける。

咳が止まる。目が落ち着く。

事故にならない。大事。最高。嫌。


講師の表情が、一瞬だけ曇った。


炙れない。

反応が、出ない。

写し晶が、空振る。


よし。

嫌だけど、よし。


スーリが耳元で言う。


「今の、善い」


「善いの、嫌」


「でも善い」


「……うん」


◇◇◇


カディアが、講師の言葉を切った。

丁寧を切るのは、第三者の特権。


「今の配合は規約違反だ。安全講習の名で、危険な配合をさせた。点検する」


講師が穏やかに笑う。


「誤解です。あくまで、危険を知るための」


「危険を知るために、危険を作るな」


カディアの声が冷たい。

冷たいのに、正しい。嫌だけど。


クラリスが丁寧に添える。


「拒否は記録されます。監査妨害になります」


サイラスが短く言う。


「開けろ」


講師の笑顔が、少しだけ硬くなる。

硬くなって戻る。戻すのが丁寧。嫌。


「どうぞ。安全のため、こちらへ」


安全のため。

またそれ。

丁寧が燃えやすい。


◇◇◇


裏室は、匂いが違った。


表は「講習の香り」。

裏は「探す香り」。


ベルトランが鼻を押さえたまま断言する。


「これ、探してる。反応を拾う配合だ」


棚の奥に、写し晶。

壁にも、写し晶。

床の角度にも、写し晶。


そして薄い膜。

触ると匂いが残る。

残る匂いが、写し晶に拾われる。


「香膜」


ルーファスが言う。

淡々としてるほど、嫌なものは嫌だと分かる。


さらに、机の上には栓や刷毛。

匂いを消す道具。

記録を死なせる道具。


「痕封の術具」


クラリスが低く言った。


講師が、丁寧に片付けようと手を伸ばした。

事故防止のふりで。清掃のふりで。

丁寧に、痕跡を封じる。


スーリが小声で告げる。


「今、封じる」


サイラスが一歩で止める。手首は掴まない。空気で止める。


「触るな」


講師は笑う。


「危険ですから。私が管理を」


クラリスが丁寧に刺す。


「管理は監査官が行います。あなたの丁寧は、今いりません」


カディアが宣言する。


「押収する。封は私が管理する。改ざん不可だ」


その言葉、強い。

強い第三者は嫌い。

でも、今は好き寄り。悔しいけど。


◇◇◇


講師が床に視線を落とした。

薄い膜が、じわっと広がりかけている。


痕封。

触れれば匂いが死ぬ。

踏めば証拠が丸くなる。


嫌。


私が反射で選んだのは、水だった。


「……水で流せば?」


言った瞬間、裏室の水桶が、こぽんと音を立てた。


まただ。

また勝手に動く。

動くの、嫌。

でも助かる。もっと嫌。


水が“必要な場所だけ”動く。

床の膜だけが剥がれる。

匂いの芯は残る。

膜だけが薄い皮みたいに浮いて流れる。


「……ただの水拭きだよね?」


自分に言い聞かせる。

世界に言い聞かせる。

水拭き。水拭き。水拭き。


ベルトランが鼻を押さえて笑った。


「水拭きで痕封が剥がれる世界、怖いな」


「怖いの、嫌」


「嫌」


スーリが即答する。

精霊の解説、嫌。


ルーファスが淡々と回収する。

膜の残り、写し晶、香膜、術具。

カディアが封をする。

紙と蝋で、逃げ道ゼロにする。


◇◇◇


追い詰められた講師が、表の会場へ戻った。

戻り方が丁寧じゃなくなる瞬間が、一番危ない。


講師は参加者の前で声を上げた。


「皆さん。ここに、危険な者がいます」


会場の空気が硬くなる。

視線が集まる。

集まる方向を、講師が丁寧に誘導する。


「特別な匂いが反応している。私たちは安全のために、それを確認しなければ」


安全のため。

安全のために、人を刺す。

丁寧に、人を追い詰める。嫌。


視線が、私の方へ寄りそうになった、その一拍。


レティア姉が、ぽん。


影が替わる。

視線が滑る。

私の位置が「そこじゃない」に変わる。


ルーファスが低く言う。


「灯り、替えます」


灯りがほんの少しずれて、写し晶の反射が講師側に寄る。

写す硬さが、講師の手首と喉元を拾う。

拾うのは、あなたの方だよ、って。


スーリが、私の肩で小さく息を吐いた。


匂いが薄くなる。

消えるんじゃない。目立つ層だけが薄くなる。

存在感が、引っ込む。


私は、自分の口から出た言い訳に驚いた。


「……石けん、変えただけだと思う」


何その言い訳。

でも、いい。すごくいい。

雑なのに現実的。軽い。笑える。最高。嫌。


クラリスが即座に拾って、公式にする。


「洗浄剤の反応ですね。香膜を使えば、洗浄剤でも反応します。講習の名で不正な香膜を使ったのが原因です」


講師の顔が引きつる。


カディアが会場に向けて、淡々と宣言した。


「本講習は規約違反。安全違反。監査妨害。写し晶の不正使用。香膜の不正使用。痕封術具の所持。ここで中止命令を出す」


会場がざわめく。

ざわめきは大きい。

でも、ざわめきの方向が私じゃない。助かる。


講師が逃げようとする。

逃げる動きだけは丁寧じゃない。


サイラスが道を塞ぐ。短い。強い。


「通らせない」


講師が怒鳴りかけて、言葉を飲む。

飲んだ瞬間に、負けが決まる。


ルーファスが写し晶を回収する。

ベルトランが香膜を封印する。

カディアが文書に署名する。


「確保する」


幕が落ちる音はしない。

でも、空気が変わった。


第一部の敵の仕組みが、止まった。


◇◇◇


講師の所持品から、欠けた刻印が見つかった。

商会の刻印。欠け方が、意図的。


ルーファスが淡々と言う。


「割れたんじゃない。欠かした。上の者へ繋がる部分だけ、きれいに」


カディアがそれを封じる。


「上は逃げた。だが、手は止められた。今日は、ここまでだ」


今日は、ここまで。

その言葉は好き。


クラリスが私を見て、少しだけ笑った。


「ミオ。目立たなかった」


「え、今のどこが」


「石けんの一言で、全部を洗浄剤にしました」


「私、そんなつもりで言ってない」


「つもりじゃないのが、ミオです」


嫌。

褒められてるのか分からない褒め方、嫌。


スーリが即答。


「褒めてる」


「精霊の解説、嫌」


「でも正しい」


「……うん」


◇◇◇


その日の夜。


宿の部屋は静かで、王都の音が遠い。

ようやく息ができる。嫌が減る。


私は机に向かって、羽ペンを取った。

羽ペンの重さはちょうどいい。

置き場所が決まっていると、心が揺れにくい。


髪は、整う。

整うのは、好き。

整うのは、逃げ道がある感じがする。


今日の記録を書く。

書くのは、事故を減らす。

減るのは、好き。嫌が減るのは、もっと好き。


「……第一部、終わった。はず」


言った瞬間。


封筒が、淡く熱を持った。


通行証じゃない。

封筒。

でも同じ熱。

同じ丁寧。


スーリが肩の上で言った。


「起点、まだある」


私は机に額を落としたくなるのを、ぎりぎりで耐えた。


「……嫌」


レティア姉が、背中から、ぽん。

いつもの調律。


私は喉をぎゅっと閉める。

言葉は増やさない。

でも、準備は増やす。


王都の夜風が窓の隙間から入ってきた。

冷たい風。


その風に、甘さが丁寧に乗ってくる。

まるで「次」を並べるみたいに。


……嫌。

でも、行く。


嫌なことほど、だいたい当たるから。

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