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第28話 出どころって、だいたい郊外にあるんだよね

郊外の匂いは、目にくる。


街の甘さとは違う。

喉の奥が乾く甘さ。鼻の奥がきゅっとする甘さ。


「……甘いのに喉が渇くやつ。嫌なんだよね」


外套の襟を押さえたまま言うと、肩の上のスーリが小さく頷いた。


「溶剤。目が泣く」


「泣かないで。こっちが泣きたい」


「泣くのは、ミオ」


「泣かない。まだ」


『まだ』って何。

精霊、たまに私の未来を勝手に決める。嫌。


道は街の外れへ向かって、緩く下る。

家並みが薄くなって、倉が増えて、煙の匂いが混ざり始める。


紙。布。紐。

乾かす匂い。塗る匂い。混ぜる匂い。


そして外套の内側。入館証が、淡く熱を持った。


淡いのに、確実。

無視すると、後で嫌な形で刺さるタイプ。


「……熱いだけって、一番困るんだよね」


スーリが即答する。


「淡い熱。引っ張る」


「引っ張られるの、嫌」


「でも、引っ張られる先に起点」


「起点が嫌」


「嫌ばっかり」


「だって嫌なんだもん」


私が小声で言った瞬間、後ろから、ぽん。


レティア姉の合図。

“声、抑えて”の調律。


私は喉をぎゅっと閉めた。えらい。増えない。


クラリスが歩幅を合わせ、短く確認する。


「止める、戻る、確保。『影を替える』と『灯りを替える』。今日はこれだけです」


サイラスが低く返す。


「追わない」


ルーファスが淡々と頷いた。


「見上げない。反射だけ拾います」


ベルトランは鼻の奥を押さえて、少し嫌そうに笑う。


「匂い、きついな。ここは当たりだ」


当たりって言うな。

当たりって言葉は、だいたい嫌な当たり。


◇◇◇


工房街の入口は、すでに丁寧だった。


火気厳禁。換気のお願い。立ち入り制限。

水場の位置。粉対策。目をこすらない。

注意が、丁寧に並んでいる。


「……丁寧が多いのに、嫌な予感がするの、なんでだろ」


私がぼそっと言うと、スーリが真顔で言った。


「丁寧は、隠れる」


「隠れる?」


「安全の丁寧と、罠の丁寧が、混ざる」


「混ざるの、嫌」


「うん」


同意が早い。

精霊の同意は、時々、胸に刺さる。


入口の門番がこちらに気づいて眉を上げた。

その瞬間、前に出たのはカディアだった。


商会監査官。

味方じゃない。監視。けど、嘘が嫌い。

その“嘘が嫌い”が、今は重りになる。


カディアは懐から文書を出し、門番に見せる。


「監査だ。拒否は記録する」


声が低い。短い。

短い言葉は強い。強いのは助かる。嫌だけど。


門番の丁寧が、一段落ちた。


「……失礼しました。どうぞ。こちらへ」


すぐに丁寧な案内が始まる。


「危険ですので、こちらへ。見学は決められた通路を。足元にご注意ください」


危険。決められた通路。足元。

安全目的の丁寧に見える。けど、背中がざわつく。


クラリスが、丁寧に上書きした。


「ありがとうございます。調合室、乾燥室、保管庫の確認をお願いします」


門番が困った顔をする。

困った顔は、だいたい“見せたくない”の顔。


「その、調合室は危険で……」


「危険なら、なおさら監査が必要です」


クラリスの丁寧は薄い。

薄いのに、ちゃんと切れる。便利。嫌だけど。


サイラスが短く言う。


「案内はいらない。必要な場所だけ開けろ」


門番は視線を泳がせて、結局頷いた。


「……工房長を呼びます」


◇◇◇


工房長は、丁寧な笑顔を持ってきた。


腰が低い。声が柔らかい。言葉が綺麗。

でも、目が硬い。

見せたいものだけ見せる目。


「ようこそ。監査と伺いました。危険も多い現場ですので、どうぞ私の案内で」


「案内は不要です」


カディアが即答する。


工房長の笑顔が、一瞬だけ固まった。

すぐ戻る。戻し方が上手い。丁寧。


「もちろん、もちろん。ですが火気厳禁の区画もありまして……」


「火気厳禁なら、なおさら記録が必要です」


カディアが文書に指を置く。


「拒否は記録する」


工房長は一拍置いて、丁寧に頷いた。


「承知しました。では安全のため、こちらで布をお借りください。匂いが強く、目にしみます」


目にしみる。

分かってる。だから嫌。


私は外套の襟を押さえ直して、なるべく存在を薄くする。

存在が薄いのは得意。

でも、こういう場所は薄いほど拾われることがある。嫌。


レティア姉が半歩、私の前に立つ。

影が変わる。視線が滑る。


「……助かる」


言いかけて、私は口を閉じた。

褒めると増える。嫌。


◇◇◇


工房の通路は狭かった。


乾燥させた紙束が積まれ、布が吊られ、紐が揺れる。

人がすれ違うだけで、粉がふわっと舞う。


匂いは甘い。

甘いのに、痛い。


作業員が一人、目をこすりそうになった。

別の作業員が足元の紐に引っかけて、よろけた。


よろけは連鎖する。

連鎖したら騒ぎになる。

騒ぎは“写される”。嫌。


私の口が勝手に動きそうになって、喉を押さえた。

でも、止められなかった。


「離れて。息。水。足元。火、近づけない」


声は小さい。小さくした。

言った瞬間。


風が一本だけ通った。


通路の端から端へ。

粉の濃い筋を避けるように。

匂いが、すっと薄くなる。

よろけた足が戻る。

目をこすりかけた手が止まる。


「……助かった」


作業員が言いかけて、口を閉じた。

途中で止められるの、えらい。


えらいけど、言われると私は青ざめる。


「……やだ」


小声が漏れる。


スーリが肩の上で言った。


「今の、善い」


「善いの、嫌。目立つから」


「目立つのは、味方が調律する」


レティア姉が、ぽん。

“声、しまう”の合図。


私は喉を閉める。えらい。増えない。


工房長が丁寧に笑った。


「気配りが行き届いていますね。監査官の補助の方でしょうか」


……違う。

違うって言うのも目立つ。嫌。


クラリスが丁寧に割って入る。


「安全確認の声かけです。工房としても有益なので、安全手順として掲示してください」


掲示。工房として。

私個人から切り離す。

クラリス、こういう時の調律が上手い。助かる。


工房長は一瞬だけ戸惑い、それから丁寧に頷いた。


「なるほど。では、こちらの区画を優先して確認しましょう。事故が起きる前に」


カディアが短く言う。


「今の件も、記録する」


工房長の笑顔が、また一瞬だけ硬くなった。


◇◇◇


調合室は、匂いが濃かった。


樽。瓶。攪拌具。

乾きかけの紙に塗る塗料。

紐に浸す溶剤。

甘い。痛い。喉が渇く。


ベルトランが鼻を押さえたまま、目だけで瓶を追う。


「……同じ癖があるな」


「同じ?」


私が聞くと、ベルトランは小さく頷く。


「鼻の奥に居座る甘さ。紙の甘さじゃない。混ぜものの甘さだ」


工房長が丁寧に笑う。


「溶剤はどこも似た匂いですよ。乾燥を早めるためです」


「似てる溶剤と、似せたい匂いは別だ」


ベルトランが淡々と返した。


スーリが、肩の上で小さく言う。


「匂いが二重」


「二重?」


「溶剤の甘さ。写す匂い。重なる」


写す匂い。

その言い方、嫌。


ルーファスが、見上げずに反射だけを拾っている。

調合台の端。瓶の留め具。壁の金具。

“検査用”っぽい金属が、やけに光る。


「……灯りを替えます」


ルーファスが低く言った。


クラリスが小さく頷く。


「お願いします」


ルーファスがランプの位置を、ほんの少しだけずらした。


それだけで、反射が変わる。

隠したい角度が浮き、嫌な反射が出てくる。


「そこです」


ルーファスが、調合台の端の金具を示した。


工房長が丁寧に言う。


「それは検査具です。攪拌のムラを確認する鏡で」


「鏡にしては反射が硬い」


ルーファスが淡々と返す。


「写し晶だ」


サイラスが短く言った。


空気が一瞬、止まる。


工房長の笑顔が、今度は戻らなかった。

戻らない丁寧は、本音の匂いがする。


「……誤解です。そんなものを置く理由がありません」


カディアが短く切る。


「理由は後で聞く。これは私が預かる。封も私が管理する。開封も私がする」


“第三者が預かる”。

これが強い。改ざんの余地が減る。噂の余地も減る。

監視は嫌だけど、今は助かる。嫌だけど。


レティア姉が無言で半歩動いた。

私の位置が影に入る。

写し晶の画角から外れる。


クラリスが息だけで言う。


「影を替える」


合図。

レティア姉の動きの名前。


ルーファスが布を取り、棒で金具を押さえて、触れずに包む。

動きが静かで、綺麗で、怖いくらい丁寧だった。


「回収」


短い言葉。短い動き。

余計なものが増えない。


◇◇◇


回収が終わった瞬間から、工房の“丁寧”が別の方向へ動き始めた。


質問が増える。


作業員が集まり、目が集まり、声が集まりそうになる。


「監査って何を見るんです?」

「匂いの対策は?」

「粉が舞わない言い方、あれ、いいですね」

「火、近づけないって、具体的に何を?」


やめて。

質問が増えると、私が喋ってしまう。

喋ると最短の正解が出る。

正解が出ると頼られる。

頼られると目立つ。嫌。


「……私は補助じゃないです」


言いかけて、飲み込む。

それも目立つ。嫌。


スーリが肩の上でぼそっと言った。


「ミオ、顔が嫌になってる」


「顔は止められない」


「顔も調律するといい」


「それは無理」


クラリスが丁寧に前へ出る。


「今の声かけは、工房の安全手順として使えます。作業員の皆さんが共有できるよう、工房長名義でまとめてください」


“工房長名義”。

私から切り離す。

クラリス、助かる。ほんと助かる。


工房長は歯を食いしばるように笑って、丁寧に頷いた。


「……ええ。工房として、安全を優先します」


「それが良いです」


クラリスの丁寧は、静かに効く。

私の心臓が少し落ち着く。増えない。


サイラスが短く言った。


「散れ。仕事に戻れ」


作業員が、ぱらぱらと散る。

騎士の声、便利。嫌だけど便利。


◇◇◇


次は帳簿だった。


工房長は丁寧に書類を出す。

丁寧に揃っている。いや、調律されている。

角まで揃いすぎてる。


ルーファスが淡々とページをめくる。


「……綺麗すぎますね」


「綺麗は悪いことじゃない」


工房長が丁寧に返す。


ルーファスは否定しない。

ただ、指先で一箇所を示した。


「ここだけ筆圧が違う。ここだけインクが違う」


クラリスが覗く。

サイラスは周囲の空気を見ている。

ベルトランは匂いの記憶と照合している顔。


私は書類を見るのが苦手だ。

文字が増えるから。嫌。


その時、入館証がまた淡く熱を持った。

今度は工房の外。

工房街のさらに奥、もっと郊外の方向。


「……ここじゃないって言ってる」


つい口が漏れた。


レティア姉が、ぽん。

“声、しまう”の合図。遅い。ごめん。


工房長が反射で私を見る。

視線が刺さりそうになって、レティア姉が半歩動く。影が変わる。刺さらない。助かる。


ベルトランが帳簿から顔を上げて言った。


「ここは最終工程だな」


「最終工程?」


工房長の丁寧が揺れる。


ベルトランは鼻を押さえたまま続けた。


「匂いの癖が“仕上げ”寄りだ。芯は別にある。ここで全部作ってるなら、もっと荒い匂いが残る」


工房長が丁寧に笑おうとして、失敗した。


「……外から材料が入ることはあります。共同で使う釜場がありまして」


共同釜場。


その単語に、入館証の淡い熱が反応した。

一致した。嫌。


カディアが短く問う。


「共同釜場の場所は」


工房長が諦めた顔で答える。


「郊外です。火を扱うので、ここより外れに。最近、そこから『香りの調整材』が入るようになりました」


香りの調整材。

丁寧に言い換えた本音の匂いがする。嫌。


「誰が運ぶ」


カディアの声が、さらに低くなる。


工房長は一拍置いて言った。


「納品人は……丁寧でした。指定も丁寧で。『安全のため』と」


丁寧。

また丁寧。

丁寧が多いところには、だいたい罠がある。嫌。


◇◇◇


工房の外に出ると、空気が少し軽くなる。

でも、視線は重いままだった。


見学者。納品人。通りがかり。

噂の芽になる人が、ちょうどいい数いる。


案の定、小声が飛んだ。


「さっきの合図、精霊院のやり方だ」

「効き方が変だったぞ」

「ほら、あの子。なんか、いるだろ」


やめて。

“なんかいる”は増える。嫌。


サイラスが一歩前に出て、短く言った。


「散れ」


短い。強い。

噂の芽を踏む声。助かる。


それでも残る視線がある。

だから、カディアが出る。


「虚偽の流布は商会規約違反だ。名を言え」


冷たい。硬い。

でも効く。嫌だけど効く。


小声が止まり、視線が散る。

“第三者の重り”が、ここでも効いた。


クラリスが丁寧に締める。


「安全確認のためです。以上です」


“以上”。

短い終わらせ方。こういうのは好き。増えないから。


レティア姉が影を滑らせて私を外す。

私は外套の襟を押さえ直して、息を吐いた。


「……監視は嫌。でも今は助かる」


スーリが小さく頷く。


「嘘が嫌いは、使える」


「使えるって言い方、嫌」


「でも事実」


「うん」


◇◇◇


回収と確保は、静かに進んだ。


写し晶はカディアが預かる。封もカディアが管理する。

調合室の容器情報、ラベル、混合記録の控え。

包材片と紐のコーティング片。

帳簿の写し。


“誰が見ても通る形”にする。

面倒で、丁寧で、でも強い。


クラリスが丁寧に言った。


「これで、誤解に先回りできます」


誤解。

丁寧に広がるやつ。嫌。


カディアが短く言う。


「次は起点だ。共同釜場」


入館証が淡く熱を持った。

その方向が、ぴたりと合う。


「……起点って、だいたい郊外にあるんだよね」


私が小声で言うと、レティア姉がぽん。

“声”の合図。三回目は避けたい。反省。


クラリスが私の小声を拾わないふりで、段取りだけを調律する。


「次は夜明け前に動きます。人が少ない時間。列がない時間」


スーリが即答した。


「列がない。良い」


「そこにだけ反応するの、どうなの」


「列は嫌い」


「私も同意」


サイラスが短く言う。


「夜明け前なら、写す目も減る」


ルーファスが淡々と続けた。


「灯りが少ない分、反射が読みやすい。写し晶も浮きます」


ベルトランが鼻を押さえたまま笑う。


「匂いも読みやすい。人の匂いが混ざらない」


混ざらない。

それだけで、気持ちが少し軽くなる。


◇◇◇


帰り道。工房街を抜ける手前で、風が一瞬だけ変わった。


甘い匂いに混じって、硬い気配が流れる。


“写す”気配。


誰かが、どこかで見ている。

でも、見ているだけで終わらせる。

今日の私たちは、そういう形に調律してきた。


私は外套の襟を押さえ直して、息を短く吐いた。


「……列がない時間に動くのは良いけど」


スーリが耳元で言う。


「でも?」


「だいたいこういう場所、丁寧な罠が置いてあるんだよね」


レティア姉が、ぽん。


いつもの合図。

それで私は喉をぎゅっと閉じる。


言葉は増やさない。

でも準備は増やす。


クラリスが丁寧に言った。


「大丈夫です。止める、戻る、確保。影と灯りを替える。これで行けます」


サイラスが短く言う。


「行く」


カディアの監査の目が、私たちの背中を追う。

味方じゃない。

でも今は、同じ方向を見ている。


スーリが肩の上でぼそっと言った。


「共同釜場、火がある。嫌」


「私も嫌」


「でも行く」


「うん。行く」


淡い熱は、郊外のさらに先を指していた。

起点はそこにある。嫌でも。


嫌なことほど、だいたい当たる。


だからこそ。

次は、当てて終わらせる。

丁寧に、勝手に決めさせないために。

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