第23話 入館証が光るの、街でやるのやめてほしいんだよね。
精霊院の門を出た瞬間、肩のあたりが、ちょっとだけ熱を持った。
「……やだ」
外套の襟を指で押さえる。透明な葉っぱみたいな入館証が、布の下で淡く主張してくる気がする。
「光るの、街でやるのやめてほしいんだよね」
肩の上のスーリが、きらきらを消したまま言った。
「光ってない」
「じゃあなんで熱いの」
「目立ってる」
「目立ってるのは、光ってるのと同じだよね」
レティア姉が無言で、私の外套を直した。襟元をきゅっと整えて、入館証が外から見えないように留める。
……はずなのに。
風がふわっと抜けた。外套の形が、妙に“きちんとした人”っぽく決まってしまう。
「ちがう。そうじゃないんだよね」
私が小声で言うと、サイラスが真面目に頷いた。
「ちゃんとして見えるのは、護衛的に助かる」
「助かるって言うと、任意が増えるんだよね」
クラリスが丁寧に言った。
「増える可能性が高いです」
やめて。丁寧に肯定しないで。
ルーファスは、さっきから私の肩を見ている。視線が紙みたいに重い。
「……入館証が反応する条件があるはずです」
「条件って言葉、だいたい嫌なことの入口だよね」
「嫌でも、必要です」
「必要って言うのも嫌なんだよね」
スーリがぼそっと言う。
「任意」
「言うな」
◇◇◇
王都に戻る馬車の中、窓の外はいつも通りだった。人がいて、音がして、紙の匂いがして、忙しい匂いがする。
その“いつも通り”が、今は落ち着かない。混ざり物が戻ってるって分かったせいだよね。
私は外套の上から、入館証の位置を押さえた。押さえると少し落ち着く。落ち着くけど、そのぶん熱が指先に伝わる。
「……ねえ、スーリ」
「なに」
「これ、なんで熱いの」
「匂いが近い」
「近いって言い方、やだよね」
「でも近い」
サイラスが窓の外を見たまま、低く言った。
「……街の空気、昨日より甘い気がする」
「鼻赤いのに分かるんだ」
「赤くても仕事だ」
ルーファスが書類の端を揃えながら言う。
「主観が一致するなら、濃度が上がっている可能性が……」
クラリスが丁寧に遮った。
「可能性の話は後で。先に“点”を取ります」
点。
その言い方、嫌な予感しかしない。
レティア姉が、無言で私の膝に手を置いた。落ち着け、の無言。姉の無言は強い。助かる。
助かるって言うと増えるから、言わない。
◇◇◇
騎士団連絡所の詰所に着いた瞬間、思った。
……もういる。
入口の前に、見知らぬ人が二人。しかも待つ姿勢が丁寧すぎる。丁寧は、だいたい逃げ道を塞ぐ。
サイラスが眉を上げる。
「……早いな」
「任意が便利だから、早いんだよね」
私がつぶやくと、クラリスが丁寧に頷いた。
「便利です」
やめて。
中に入ると、さらに増えていた。
監督局の調整担当。市場管理の係。なぜか筆記具を握って目が輝いてる記録係。紙の匂いが強い。紙の群れだよね。
「お待ちしておりました」
調整担当が言う。
待たないでほしい。ほんとに。
クラリスが丁寧に名乗り、状況を整理する。サイラスも要点だけを短く報告する。騎士団の報告は無駄がない。見習いたい。
なのに。
「では、対策班を増やします」
市場管理の係が即決した。
「増やさないでほしいんだよね」
「任意ですので」
「任意、便利すぎるんだよね」
記録係がうんうん頷きながら、紙に書いている。
(やめて。今それを紙にするのやめて)
私は口を開きかけた。レティア姉が私の袖をつまんだ。言うな、の無言。助かる。
クラリスが丁寧に続ける。
「必要なのは、現場向けの簡易対処と、反応点の把握です」
私は反射で言った。
「距離。風通す。水。目はこすらない」
言った瞬間、詰所の空気がすっと軽くなった気がした。誰かの咳が止まり、誰かが目をぱちぱちして、誰かが鼻を通した顔をする。
市場管理の係が感動した顔で言う。
「短くて覚えやすい……!」
「覚えやすいの、危険だよね」
「広めます」
「広めないでほしいんだよね」
クラリスが丁寧に言った。
「口伝なら掲示より目立ちません」
「目立たない導線、選ぶの上手いね……」
ルーファスが小声でうなった。
「ミオさんの言葉は、現場の機能を上げます」
「上げないで。目立つから」
スーリがぼそっと言う。
「すでに目立ってる」
「言うな」
◇◇◇
詰所を出た瞬間、入館証が少しだけ強く熱を持った。
「……やだ」
私は外套の襟を押さえ直す。押さえるほど熱が分かる。分かるほど焦る。
ルーファスが目を細めた。
「反応は光量ではない。周囲の匂い成分に……」
サイラスが短くまとめた。
「つまり、匂い探知機だ」
「匂い探知機とか言わないでほしいんだよね」
クラリスが丁寧に言う。
「便利ですね」
「便利は人を追い詰めるんだよね」
「追い詰められてください」
丁寧に言うな。
私は人混みを避けようとした。狭い路地に入って、目立たず、静かに歩きたい。
……なのに。
なぜか、人が自然に道を空ける。
「すみません、どうぞ」
「お先に」
「通ってください」
やめて。通ってくださいって言葉、怖い。
結果、私は大通りの真ん中を、堂々と歩くことになった。
「……なんで」
「ミオ、風が道を作る」
スーリが言う。
「作らないでほしい」
サイラスが真面目に言った。
「作られてるなら、守る」
守るって言うな。守るは目立つ。
クラリスが丁寧に言う。
「反応点を取ります」
点。点。点。
点が増えると線になって、線になると場所になって、場所になると行くことになる。
嫌だ。
◇◇◇
反応は、香料店の前で一段強くなった。
「……ここ」
立ち止まると、入館証の熱が上がる。外套の下で、淡く、でも確実に“いるよ”って主張してくる。
裏口が開いて、白いエプロン姿の男が出てきた。髪は短く整えていて、目は笑ってるのに視線は鋭い。
「おや。精霊院の客印、いいね」
男は、私の肩を見た。布の上からでも分かるの?やだ。
「見ないでほしいんだよね」
「見えるものは見える。香りの仕事だから」
男はにこっとして、胸に手を当てた。
「ベルトラン。香調師。商業組合の検査部門にいる」
クラリスが丁寧に前に出る。
「王都監査官クラリス。こちらの状況に関与しています。あなたは“匂い”を知っているのですか」
ベルトランは軽く肩をすくめた。
「知ってる。最近の流行。精霊っぽい甘さを混ぜた、安い香り」
「流行にしないでほしいんだよね」
私が言うと、ベルトランは笑った。
「流行は、誰かが流してる。勝手には広がらない」
サイラスが低く言う。
「……流通か」
「そう。品質検査に紛れやすいし、寄付の礼品にも混ぜやすい」
ルーファスの目が輝いた。
「寄付窓口……」
クラリスが丁寧に頷く。
「教会とは別のルート、ということですね」
ベルトランは、目だけ笑わない。
「教会は目立つ。目立つ導線は避ける。だから別の導線を使う」
「目立たない導線、選ぶの上手すぎるんだよね」
私が呟くと、ベルトランは私の肩を指した。
「その入館証、反応してる。今、ここ、濃い」
「濃いって言わないでほしい」
「濃いものは濃い」
言い切るな。
クラリスが丁寧に決める。
「市場へ。流通を確認します」
「はい、任意でついていく」
ベルトランがさらっと言った。
「任意って便利なんだよね……」
◇◇◇
風通り市場は、いつも通り賑やかだった。声と笑い、布が揺れる音、焼き物の匂い、香辛料の匂い。
でもその中に、薄い甘さが混ざっている。
入った瞬間、入館証がチリっと熱くなった。
「……やだ。ここ、反応する」
私は襟を押さえる。押さえるほど熱が分かる。分かるほど嫌だ。
サイラスが眉を寄せた。
「護衛的に、ここは嫌だ」
ルーファスは逆に興奮してる。
「でも点が取れる。反応点が複数ある」
クラリスが丁寧に言う。
「では取ります」
取らないでほしい。取ると行く。
市場の屋根布が低く垂れていて、空気が少しだけこもっていた。息が重い。嫌な重さ。
私は小さく言ってしまった。
「……風、通したいよね」
言った瞬間、屋根布がふわっと持ち上がった。隙間ができて、風がすっと抜ける。
咳が止まる。目をこする手が減る。
誰かが笑って言う。
「今日は涼しい!」
店主が叫ぶ。
「風が通ると客が足を止める!今日は売れるぞ!」
「売れるの、私のせいにしないでほしいんだよね」
ベルトランが低い声で言った。
「今ので、店一つ救ったね」
救ってない。風通しただけだよね。たぶん。
◇◇◇
市場の水場付近で、小さな事件が起きた。
子どもが目をこすり、咳き込んで、ふらっとした。母親が慌てて抱き上げる。周りがざわつく。人が集まりかける。
集まると息が重くなる。連鎖する。嫌だよね。
私は、考える前に口が動いた。
「距離。風通す。水。目はこすらない」
その言葉に合わせて、人が自然に一歩ずつ引いた。空気が通る。
水場の柄杓が手元に寄り、母親が子どもの目元を優しく洗う。
子どもが、ふうっと息を吐いた。
「……落ち着いた」
母親が涙目で言った。
「ありがとう……!」
「ありがとう、って言わないでほしいんだよね。任意が増えるから」
母親は困った顔で頷いた。
「……じゃあ、助かった、って言うね」
助かったも増える。
でも、子どもが落ち着いたなら、それでいいよね。
ベルトランが小さく言った。
「その合言葉、いい。短い。現場は短いのが勝つ」
「勝たなくていいんだよね」
クラリスが丁寧に言う。
「勝ってください」
丁寧に追い詰めるな。
◇◇◇
入館証の反応は、市場の奥に行くほど強くなった。
搬入口。荷車が並ぶ場所。
そして一番熱くなったのは、封のある荷箱の前だった。
「……これ」
荷箱は新しい。封印蝋も新しい。
なのに、側面の表示が薄い。読みにくい。わざとだよね。
ルーファスが言う。
「表示と中身が一致しない可能性」
クラリスが丁寧に頷く。
「一致しないのは、だいたい問題です」
サイラスが手袋をはめて、箱に触れようとした。
その瞬間。
ベルトランが、音もなく手を伸ばしてサイラスの手首を止めた。
「触るな」
軽い声なのに、止め方が鋭い。
サイラスが眉を上げる。
「……理由は」
「移る」
ベルトランは短く言った。
「この匂いは付着する。触った手袋に移って、別の場所に“痕”を付けられる」
「痕って言い方、いやだよね」
私が言うと、ベルトランは笑わないまま言った。
「いやなことほど丁寧にされる」
クラリスが丁寧に聞く。
「付着で偽装が可能?」
「可能。現場が精霊のせいに見える。空気のせいに見える。誰のせいでもない顔をする」
ルーファスが息を呑んだ。
「責任の矛先が、ずれる……」
スーリがぼそっと言う。
「便利」
「言うな!」
◇◇◇
搬入口の角で、白い背中が見えた。
白衣っぽい。院内の職員みたいな丁寧な歩幅。荷の受け渡しを確認してる仕草。
「……あ」
丁寧は、怖い。
白い背中がこちらに気づいて、丁寧に会釈した。
「待って!」
サイラスが踏み出す。
でも、その背中は人の流れの隙間に溶けるみたいに消えた。転移じゃない。派手さがない。ただ導線が上手い。目立たない導線。
ルーファスが言う。
「転移ではない。人の流れに乗っている」
クラリスが丁寧に言う。
「導線がある。作られている」
喉の奥が、きゅっとした。
(追わない。追わない。追ったら増える)
その瞬間、入館証が角の向こうへ向けて、淡く熱を持った。方向だけ教えてくる。追うなって思ってるのに、追えって言ってくる。
「……やだ」
スーリが小声で言う。
「光った」
「言うな!」
サイラスは悔しそうに拳を握ったが、止まった。護衛の判断。追わない。正しい。正しいは増えるけど、命は減らない。
◇◇◇
市場の外の路地に出て、ようやく息がしやすくなった。
ベルトランが、荷箱の封印蝋を“見ただけ”で判断した。触らない。見るだけ。香りの人、怖い。
「この封の型、見覚えがある」
クラリスが丁寧に問う。
「どこです」
「組合の登録倉庫。東水路の第七码頭倉」
ベルトランは淡々と言った。
「そこに入る荷には検査印が付く。なのに、これは印が薄い」
ルーファスが紙を抱えたまま震える。
「薄い印は……」
クラリスが丁寧に頷く。
「問題ですね」
サイラスが低く言う。
「……行くしかないな」
「行くしかないって言葉、嫌なんだよね」
レティア姉が無言で頷いた。行く合図。逃げ道ゼロの合図。
スーリが私の耳元で囁く。
「倉庫、匂い、濃い」
「濃いって言わないでほしい」
「でも濃い」
入館証が、倉庫の方向へ向けると淡く熱を持った。淡く、でも確実に引っ張ってくる。
「……これ、便利って言ったら負けだよね」
私が小声で言うと、スーリが即答した。
「便利」
「言うな!」
クラリスが丁寧にまとめる。
「捜査対象が“場所”になりました。次は倉庫です」
「場所になるの、ほんとに嫌なんだよね」
私は襟を押さえた。淡く熱い。目立つ。困る。
それでも、足は止まらない。
便利が、今日も私の予定を勝手に決めていく。
やけに丁寧に。




