第21話 王都初日、任意が列を作る。しかも丁寧に。
王都の門は、でかい。
石がでかい。扉がでかい。人もでかい。
ついでに、列が長い。
窓の外には、商人、旅人、役人っぽい人。みんな何かしら紙を抱えてる。
王都って、紙が空気みたいにあるんだよね。
(……紙の首都じゃん)
肩の上の精霊スーリが、きらきらを控えめにして小声で言う。
「紙の匂い、濃い」
「言葉にしないでほしい。胃がきゅってなるんだよね」
姉のレティアは無言で頷いた。頷きが短い。短いほど強い。
私は視線を逸らす。逃げ道はないやつだ。
列はじわじわ進む。進みはする。
でも、門の前だけ妙に遅い。
門番の衛兵が、通行証を受け取っては魔道具にかざして、丁寧に確認してる。
丁寧はいい。丁寧は偉い。
ただ、丁寧すぎると時間が溶けるんだよね。
そのせいで、前の方から元気のない声が聞こえる。
「目が……しぱしぱする」
「喉がいがいが……」
「鼻が……むずむずする……」
(嫌なやつだ。王都にもいるんだよね)
私は思わず窓を少し開けた。風が入る。
それだけで、胸がほんのちょっとだけ楽になる。
「ミオ」
レティアが名前だけで止めてくる。
“動くな”と“余計なこと言うな”が一緒に詰まった呼び方だ。
「……分かってるよ。分かってるって」
スーリが小さく囁いた。
「でも、前の人、つらそう」
「……うん」
前の人がつらそうだと、私の口は勝手に動きたがる。
それが一番の問題なんだよね。
やっと私たちの番が近づいた。
門番が通行証を受け取り、薄い板みたいな魔道具に置く。
淡く光る。ふつうの光。
……ふつうのはず。
でも、私の通行証を置いた瞬間だけ、光が一瞬だけ強くなった。
「……?」
門番の眉が、ほんの少しだけ動く。
横の衛兵も、こっちを見る。
(やめて。初日から見ないでほしいんだよね)
(通行証、光らないで……!)
私は反射で何か言いそうになって、レティアに袖をつままれた。
止め方まで丁寧。姉は丁寧に逃げ道を塞ぐんだよね。
門番は咳払いを一つして、淡々と続けた。
「……通行証、確認しました。王都へようこそ」
よかった。流された。
私は息を吐く。
その直後、後ろの列から「うっ」と声がした。
鼻を押さえて座り込む若い男。目をこすろうとしてる。
(こすらないでほしい……!)
私は小さく、短く言ってしまった。
「離れて。風通して。洗って。目はこすらない」
声は小さかったはず。
でも、空気って、拾うところだけ拾うんだよね。
隣の商人が「え?」と顔を上げ、門番が「水は向こうだ」と手で示し、周囲がすっと動く。
若い男が水で目元を流す。鼻呼吸をやめて口で息をする。肩が下がる。
「……あ、楽になった」
その一言で、周囲がざわっとする。
ざわっとするの、紙が増える前兆なんだよね。
(感想はいらない。今は静かに流れてほしい)
スーリが小声で誇らしげに言う。
「換気、つよい」
「強いって言わないでほしい。目立つんだよね」
門番が私を見る。丁寧な目で。
「……助言、ありがとうございます」
(来た。助かりますの予兆だよね)
私は笑顔の代わりに、薄い顔を作った。
「……通りすがりです」
通りすがりが通行証で光るのは矛盾だけど、言い切るのが大事。
思い込みは盾なんだよね。
◇◇◇
合同対策班の本部は、王都の中心から少し外れた場所にあった。
石造りで広くて白い。静か。
静かなのに、廊下の端から端まで人がいる。
受付の前に、また列。
列の横に机。机の上に紙。紙の上に紙。紙の上に、さらに紙。
(山じゃない。丘だよね。紙の丘)
クラリス・ヴァレーヌ監査官は、いつも通り丁寧に微笑んでいた。
丁寧さが制服みたいに馴染んでるの、ちょっと怖い。
「王都へようこそ、ミオさん。レティアさんも。長旅お疲れさまでした」
「疲れはこれから来そうです」
私が言うと、クラリスは頷いた。
「はい。これから来ます」
即答しないでほしいんだよね。
横に、見たことのない青年が背筋を伸ばしている。
髪を撫でつけ、服のしわ一つない。手元の書類が揃いすぎ。
「流通監督局、ルーファス・エリンです。寄付品の流通経路の監督と再発防止策の整備を担当します」
言葉が速い。理屈が速そう。
あと、顔色がすでにほんのり青い。
「初日から大変そうですね」
私が言うと、ルーファスは目を輝かせた。
「大変ですが、理路整然と整理すれば必ず解決できます。まずは全窓口を封鎖し、搬入経路を止め――」
「止めたら現場が止まる」
遮ったのは、騎士団の連絡官だった。
背が高い。鎧じゃないのに鎧っぽい。怖い顔。
なのに、鼻が赤い。
「騎士団連絡官サイラスだ。……すまん、今日は鼻が……」
くしゃみを堪える顔が、妙に人間っぽい。
スーリが囁く。
「鼻が弱い騎士さん、かわいい」
「言葉にしないでほしい。今それ、危ないんだよね」
クラリスが手を叩いた。音まで丁寧。
「それでは初日説明を行います。任意の協力ですので、無理のない範囲で――」
その直後、部下が紙の束を配り始めた。
任意なのに配属表。
任意なのに座席表。
任意なのに署名欄。
(任意って便利すぎるんだよね)
ルーファスが紙を見て目を泳がせた。
「えっ、これは……配属、まだ確定では……」
クラリスが丁寧に微笑む。
「仮です」
「仮、ですよね……?」
「はい。仮です。ですが、仮でお願いします」
(任意と同じ構文だよね)
サイラスが鼻をすすりながら言う。
「……騎士団も仮で出る。仮は仮だ」
仮が仮を呼んで紙が増える。
紙の匂いが濃くなる。
◇◇◇
初日トラブルは、受付が全部持っていった。
受付係が泣きそう。
本人確認の紙と、配属の紙と、持ち込み申告の紙と、現場立入許可の紙が噛み合ってない。
「先に配属が決まらないと番号が……」
「番号がないと本人確認が……」
「本人確認がないと持ち込みが……」
「持ち込みがないと現場に……」
紙が紙を呼んで、紙が紙に詰まってる。
(このままだと列が永遠になるやつだよね)
レティアが私の肩を押した。
“ほら言え”の無言。姉の無言は最短で刺さる。
私は短く言った。
「本人確認だけ先。配属は後。持ち込みは“物”だけ先。紙は後」
受付係が瞬きをした。
「え……それでいいんですか?」
「今はそれでいい。後で丁寧に整える」
クラリスがすっと横に来て頷く。
「短縮版で進めましょう。後ほど記録で調律します」
(やめて、今それ言うと報告書が増える)
でも動いた。列が動き出した。
人が流れる。空気が軽くなる。
列の中から「助かります!」が飛んだ。
(言わないでほしい。増えるんだよね)
次の人も「助かります!」って言いそうな顔をする。
(顔もしないでほしい)
ルーファスが感動した顔でメモを取る。
「受付の詰まりが解消……原因は順序の逆転。対策は順序の再定義――」
「まとめないでほしい」
「えっ」
「まとめると紙が増えるから」
ルーファスは一瞬固まり、でも真面目に頷いた。
「……理解しました。今は“増やさない”を優先」
(理解が速いのも怖いんだよね)
サイラスが鼻をすすりながら、真面目に言った。
「……現場は、こういうのが効く」
効くのが怖い。効くと目立つ。目立つと任意が増える。
最悪の循環だよね。
スーリが私の耳元で囁いた。
「ミオ、列、救った」
「救ってない。流しただけだよね」
「同じ!」
「同じじゃないって」
◇◇◇
そして案の定、事件は王都でも起きた。
本部の奥から係員が走ってくる。
「寄付窓口の倉で、また……甘い匂いが……! 鼻と目の不調が続出して、作業が止まっています!」
ルーファスが反射で叫ぶ。
「封鎖です! 封鎖して搬入を止めましょう!」
サイラスが低く言う。
「止めたら王都が止まる」
「ですが――」
「止めない方法を考えるのが仕事だ」
怖い顔で正論。鼻が赤いのが救い。
クラリスが私を見る。丁寧な笑顔で、逃げ道ゼロの目。
「ミオさん。任意で、現場を見ていただけますか」
(来たよね)
私は薄く笑った。
「任意って便利ですね……」
クラリスは頷く。
「便利は人を救います」
固定台詞にしないでほしいんだよね。
レティアが短く言う。
「行く」
スーリがきらきら跳ねる。
「現場!」
「楽しそうに言わないでほしい」
◇◇◇
寄付窓口の倉は、天井が高いのに空気が重かった。
匂いがこもってる。人が集まってる。集まるほど悪化するやつだよね。
「集まらないでください!」
係員が叫ぶけど、叫ぶと余計に集まる。人間ってそうなんだよね。
私は入口で止まって、短く切る。
「まず距離。入口開ける。風」
レティアが無言で扉を全開にする。
サイラスが人を下がらせる。騎士団の圧は、良い方向だと頼もしい。
ルーファスは鼻を押さえながら書類を抱えて立ち尽くした。
「……あの、封緘の確認を先に――」
「後。まず空気」
私は言い切って棚を指した。
「触った瓶と布、分ける。混ぜない。袋も分ける」
係員が慌てて動く。
動くと空気が変わる。風が通る。目をこする手が止まる。
「……あれ? 楽になった」
また出た。
感想、いらないやつだよね。
スーリが倉庫の梁の上にふわっと登って宣言した。
「見守り! する!」
「しなくていいよ」
レティアが無言で梁を見上げ、無言でスーリを降ろす。
姉の無言は万能すぎる。
ルーファスが青い顔のまま目を輝かせた。
「すごい……現場の呼吸が戻っています……! 対策は換気と距離――」
「まとめないでほしい」
「えっ」
「まとめると紙が増えるから」
「……紙は必要では?」
「必要だけど今は増やしたくない」
サイラスが鼻をすすりつつ、倉の奥を指した。
「……あれ、見ろ」
床に紙片が落ちていた。
薄い。白い。丁寧。
見覚えのある様式の端。
(嫌だよね)
私は手を伸ばしかけて、レティアに止められた。袖をつままれる。丁寧に。
カイルが後ろから来て、紙片を覗き込む。
「……同じ癖だ。端の処理が回収代行のやつと同じ」
クラリスの部下が小声で言う。
「王都にも、いる……?」
カイルが頷く。
「いる。匂いを採るやつが」
紙片の端に、小さく区画符号が書かれていた。
倉の管理符号とは別の符号。外の匂いがする。
ルーファスが読む。
「……精霊院、付近区画」
私の胃が、またきゅっとなる。
「精霊院……」
スーリのきらきらが消える。
「……呼ばれてる」
軽い言葉なのに、意味が重い。
こういうの、ほんと困るんだよね。
クラリスが丁寧に息を吸って吐く。
「戻りましょう。本部で共有します」
◇◇◇
本部に戻ると、机の上に封筒が置かれていた。
白い。きっちり。丁寧。
紙の匂いが少しだけ冷たい。
差出人を見て、私は声にならない声を出す。
「……精霊院」
クラリスが横から覗き込み、頷く。
「届きましたね」
「届かなくてよかったんですけどね」
封筒を開ける。中身はやっぱり丁寧だった。
【本日、日没前にお越しください】
【任意です】
【ただし、任意でお願いします】
(同じ構文なんだよね……)
同時にクラリスが言う。
「夕方、対策班の定例会議もあります」
「任意が、時間を奪い合ってるんですけど」
ルーファスが真面目にメモを取る。
「任意の同時発生……スケジュール衝突……」
「まとめないでほしい」
サイラスが鼻をすすりながら言った。
「……二つとも行け」
「二択じゃなくて二連戦なんだよね」
クラリスが丁寧に微笑む。
「折衷案があります」
嫌な予感しかしない。
「定例会議は短縮版で三十分。その後、精霊院へ。護衛も付けます」
折衷案が、全部やる案だった。
「短縮版、好きです」
言ってしまった。
言ったら、周囲が一斉に「助かります」の顔をする。
(その顔やめてほしい。増えるんだよね)
レティアが短く言う。
「寝る時間、削る」
「削らないでほしい」
スーリが嬉しそうに跳ねる。
「精霊院!」
「楽しそうに言わないでほしい」
◇◇◇
定例会議は短縮版のはずなのに、中身は濃かった。
寄付窓口。保管庫。配送所。教会の分院。医療ギルド。
線が多い。箱が多い。人が多い。
そして、どこにも“甘い匂い”が薄く残ってる。
クラリスが丁寧にまとめる。
「匂いは作業者の不調を誘発します。ですが換気と距離で軽減できる。ミオさんの手順は王都でも有効でした」
やめて、名指しでまとめないでほしい。
まとめると紙になる。紙になると任意が増える。最悪なんだよね。
ルーファスが頷きすぎて首が折れそう。
「手順の携帯化が必要です。短いカードにして――」
「カードも紙だよね」
「……紙は必要です!」
「必要だけど増えたくない」
サイラスが鼻をすすりつつ静かに言う。
「……匂いを採るやつが精霊院付近にいるなら、そっちも動く」
「動くと紙が増えるんだよね」
「増える。だが動く」
正論が強い。鼻が赤いのが救い。
会議が終わって、私は椅子から立ち上がる。
立つと疲れが来る。疲れると勝手に調律が働きそうになる。
働くと目立つ。目立つと任意が増える。
(最悪の循環だよね)
レティアが私の手首を軽く引く。
「行く」
「……行きます」
◇◇◇
精霊院は、王都の外れにあった。
高い塀。静かな庭。大きい門。
王都の門とは違う大きさ。威圧じゃなくて、澄みすぎて怖い。
空気が冷たい水みたいに澄んでる。
息を吸うと肺が洗われる感じがする。嫌いじゃない。けど怖い。
スーリが肩の上で固くなる。
「……ここ、上が多い」
「上って言わないでほしい。胃がきゅってなるんだよね」
サイラスが護衛として一歩前に出た。
「騎士団連絡官サイラス。要請により同行。門、開けてくれ」
門は動かない。
代わりに、風が一筋、門の隙間から漏れてきた。
その風が、まっすぐ私に当たる。
髪がふわっと揺れる。指で直す。髪は整う。
その瞬間。
門が、音もなく開いた。
ほんの少し。
でも確かに、“私の分だけ”開いた。
サイラスが息を呑む。
「……今、門が……」
ルーファスが青い顔のまま、目だけ輝かせた。
「反応条件が……人ではなく……」
クラリスは丁寧に微笑んでいる。
微笑んでいるのに、目が鋭い。
「ミオさん」
呼ばないでほしい。今は呼ばないでほしい。紙が増える。
スーリが小さく囁いた。
「……主みたい」
「主じゃないよ」
即答した。
即答しないと主にされる。主は任意じゃない。主は紙が増える。
門の向こうは静かだった。
静かすぎて、自分の呼吸が聞こえる。
その時。
門の影の奥で、誰かがこちらを見ている気配がした。
視線だけ。匂いだけ。
甘い匂いとは違う。
でも、同じ種類の“奪う”気配。
スーリが、きらきらを消したまま言う。
「……いる」
私は薄い顔を作って、息を整える。
「……えっと。大丈夫。たぶん、換気の効果……じゃないよね」
言い直した。偉い。
でも、言い直しても状況は変わらない。
クラリスが丁寧に頷いた。
「ええ。そういうことにしておきましょう」
“しておきましょう”は後で紙になる。絶対になる。
でも今は突っ込めない。
門は開いたまま、私を待っている。
任意のはずなのに。
レティアが私の背中を押した。
無言で。丁寧に。逃げ道ゼロで。
「行く」
「……行きます」
私は一歩、精霊院へ踏み出した。




