第20話 任意のはずが王都行き。通行証まで丁寧に。
朝の玄関は、昨日より容赦がなかった。
白い封筒が、ひとつ増えている。
白い。きっちり。丁寧。角まで真面目。
私は靴を履く前に、胃がきゅっと縮んだ。
「……三つ目」
肩の上の精霊スーリが、きらきら跳ねる。
「三つ! つよい!」
「強いって言い方やめて。封筒が武器みたいに聞こえる」
背後の姉、レティアが無言で封筒を持ち上げ、差出人を読む。
「王都……合同監査室」
「やめて。単語だけで胃が縮む」
レティアは開封前に結論を出した。
「行く」
「まだ読んでないよ?」
「読まなくても同じ」
それが一番困る。姉が正しいと、逃げ道が消える。
スーリが胸を張る。
「紙、進化!」
「進化しなくていい!」
封筒を開ける。中身は予想通り、丁寧の塊だった。
【本日中に説明会を実施します】
【関係者は同席のこと】
【場所:中央聖堂 別館】
【持参:身分証明、協力登録カード、筆記具】
【追記:任意の協力をお願い申し上げます】
「……任意って、最後に付ければ優しいと思ってる?」
スーリが即答する。
「優しい!」
「優しいの方向が違う!」
レティアが淡々と私の肩を押す。
「止まると説明が増える」
「……はい」
止まらない。止まれない。紙のために。
◇◇◇
中央聖堂の別館は今日も白い石が静かで、今日は静かに人が多かった。
静かに多いのが一番怖い。そこに紙が混ざると、静かに増殖する。
作業室に入ると、文書官リネットが丁寧に頭を下げる。
「ミオさん。お越しいただきありがとうございます。説明会の前に、合同の短縮手順をまとめたいのですが」
「まとめるのは好きです。増えないなら」
言った瞬間、リネットの目が「助かります」になった。
まずい。褒める目は、次の紙を呼ぶ。
「助かります」
ほら来た。
医療ギルド監査官カイルは、机に軽く腰を預けて周囲を見回す。
「昨日の“甘い匂い”の件、教会だけで抱えるのは無理だ。現場は動く。だから動く手順が要る」
「記録も必要です」
リネットが丁寧に返す。
「現場も記録も必要。でも揉めると紙が増える」
私が言うと、カイルが笑った。
「その通り」
リネットも丁寧に頷く。
「その通りです」
やめて。私の意見が一致点になると、仕事が増える。
後ろでメモ帳を抱えた少年マルが、目を輝かせている。
「ミオさん、それ名言です!」
「決めつけないで」
「はい! 決めつけません! でも名言です!」
決めつけてる。
机の上には、丁寧版と短縮版の手順、記録票、受領控え、保管場所一覧。
紙がここに住んでる。
スーリが私の耳元で小さく言った。
「紙の匂い、つよい」
「言語化しないで。胃が縮む」
レティアが無言で窓を少し開けた。風が入る。空気が軽くなる。胃がほんの少し戻る。
「じゃあ、共通部分だけ先に」
私は短く言って、紙の端に項目を書き出す。
•開封は一つずつ
•匂いが強い場合は即換気
•人を集めない(距離)
•目はこすらない(水で流す)
•封緘確認→匂い→粘度
•触れた物は分ける(混ぜない)
カイルが頷く。
「動く」
リネットが頷く。
「記録に落ちます」
「落とさないで。落とすと増えるから」
リネットが丁寧に首を傾げた。
「……増えますね」
認めないでほしい。
◇◇◇
合同の手順が形になりかけた、その時。
スーリのきらきらが、すっと止まった。
止まるスーリは珍しい。珍しい時は、だいたい嫌な予感。
「……奪う匂い、残ってる」
「その単語、今やめて」
「残ってるの。紙の角」
受領控えの束の一枚。角がわずかにざらつく。引っかからないのに気になる。嫌な気になる。
マルがすぐ覗き込む。
「昨日、回収代行の人が拾った紙、これと同じ様式でした。控えです」
カイルが眉を寄せる。
「回収代行が箱じゃなく紙を触ったのは、搬入元の符号を抜くためかもしれない」
リネットが丁寧に補足する。
「受領控えには、搬入元の分類符号が残ります。保管棚の並びで管理しています」
「棚を見ればいい」
口が先に動いた。
言った瞬間、全員の顔が「助かります」になる。
(やめて! 助かるって言わないで! 紙が増える!)
レティアが無言で私の背中を押した。行け、の合図が無言で強い。
保管棚は奥の小部屋にあった。ずらりと並ぶ控え。並ぶと落ち着く。落ち着くと紙が増える。矛盾。
私は並びを見て、すぐ気付いた。
「……ここ、抜けてる」
リネットが丁寧に息を飲む。
「控えが一枚、欠けています」
カイルが低く言う。
「持っていかれた。狙い通りだ」
マルがメモを取る手を止め、顔を上げる。
「欠けた控え、符号が分かれば搬入元が……」
リネットが棚の端を示した。
「並び順で分かります。欠けているのは……王都系の箱です」
「……王都?」
胃が、またきゅっと縮む。紙が王都に向かって進化している。最悪の進化。
スーリが小さく言った。
「王都、つよい」
「強いって言うな!」
◇◇◇
説明会の時刻になると、空気が一段固くなった。
足音が揃う。揃うと、だいたい偉い人が来る。
入口に、丁寧が歩いてくる。
制服。手袋。姿勢。歩幅。全部が同じ。
同じは強い。強いは怖い。胃が縮む。
先頭の女性が柔らかい笑顔で、丁寧に頭を下げた。
「王都合同監査室、出張監査官クラリス・ヴァレーヌと申します。本日はご協力をお願い申し上げます」
声も丁寧。
でも言葉の並びが、すでに逃げ道ゼロ。
クラリスは室内を見回し、迷いなく核心へ行く。
「寄付品の回復薬に偽装が混ざりました。現場で不調が発生しました。さらに、改善が異常に速いという報告が届いております」
リネットが丁寧に答える。
「換気と距離の確保を優先し、症状が落ち着きました」
クラリスの視線が、すっと私に向いた。
「当日の現場指示を出した方は?」
空気が私を指差した。紙じゃなく空気が指差すの、やめてほしい。
カイルがさらっと言う。
「この子。ミオ」
「さらっと言わないで」
クラリスは丁寧に微笑んだ。
「ミオさん。再現をお願いします」
「……再現?」
「はい。原因を特定するために必要です。任意で」
最後の「任意で」が綺麗すぎた。綺麗すぎて断れない。
私は薄い顔を作る。
「……換気の効果です」
クラリスは丁寧に頷く。
「承知しました。では換気の効果を確認します」
「確認って、紙が増えるやつですよね」
「増えます」
即答しないでください。
◇◇◇
再現テストは、思ったよりちゃんとしていて、ちゃんとしているのに軽かった。
軽いのに、怖いのが監査。
クラリスが部下に指示する。
「香りの布を少量。窓は閉めたまま。距離を確保。記録係は三名。健康状態の申告もお願いします」
健康状態の申告。
その単語だけで紙が増える音がした。気のせいじゃない。
マルが小声で言う。
「紙の音って、聞こえます?」
「聞こえない。聞こえないことにして」
布が運ばれてくる。甘い匂い。昨日と同系統。喉の奥に張りつくタイプ。
誰かが鼻をすすった。
(来る)
私は言葉を短く切る。
「距離。窓。風。水。目、こすらない」
レティアが即、窓へ。
カイルが人を下がらせる。
リネットが水を用意する。
全員が動く。動くのはいい。動くと落ち着く。
問題は、ここから。
落ち着くと、私の体が勝手に変な方向へ行きそうになる。
勝手に調律しないで。ほんとに。
スーリが私の髪にそっと触れて、きらきらを抑えるみたいに震えた。
「見守り……がんばる」
「がんばらなくていい。目立つから」
「でも、出ちゃう」
「出ないで」
お願いの方向が違うけど、今はそれしかない。
匂いが漂う。
でも空気が軽い。換気のおかげ。そこまでは確かにそう。
記録係の一人が、目をぱちぱちさせた。
「……あれ? 目の疲れ、消えた」
別の人が肩を回す。
「肩、軽い……」
クラリスが小さく息を止めたのが分かった。
丁寧な人ほど、息が止まる瞬間が分かりやすい。
私は反射で押し切る。
「換気の効果です」
クラリスは丁寧に微笑む。
「換気は万能ですね」
「万能だと紙が増えるので、ほどほどでお願いします」
「ほどほどに増えます」
やめて。
カイルが私の横で小声になる。
「ミオ。今の、見られた」
「見ないでほしい」
「相手は監査官だ。見るのが仕事」
「……紙の仕事、嫌い」
スーリがきらきら震えて口を挟む。
「紙、すごい!」
「すごいって言うな!」
◇◇◇
テストが終わると、クラリスは机に書類を置いた。置き方が丁寧。角が揃う。揃うと強い。強いと怖い。
「結論を申し上げます」
その一言で、室内の空気が会議になった。会議は紙が増える。最悪の呪文。
クラリスは言う。
「本件は地方単独で収束できません。王都で合同対策班を編成します」
リネットが丁寧に問う。
「対策班……どの規模で?」
「教会、医療ギルド、流通監督局、監査室。必要なら騎士団」
カイルが舌打ちしかけて、途中で止めた。偉い。
クラリスの視線が、また私に向く。
「そしてミオさん。現場指示が的確でした。助言者として同行を要請します」
胃が、音を立てて縮んだ気がした。
「……要請って、任意ですか?」
クラリスは丁寧に微笑む。
「はい。任意です。ですが、任意でお願いします」
「任意って便利ですね……」
思わず漏れると、クラリスは頷いた。
「便利は人を救います」
カイルが肩をすくめる。
「断ると、別ルートで呼ばれる。もっと面倒な形で」
リネットも丁寧に小声で添える。
「名が出ない形で守れるのは、今だけかもしれません」
レティアは短く言った。
「行く」
姉が即答すると、紙の運命が決まる。私の予定も決まる。丁寧に。
スーリが嬉しそうに叫ぶ。
「王都! つよい!」
「強いって言うな!」
◇◇◇
同行が決まると、紙は本気を出した。
【通行証申請】
【臨時協力の更新】
【研修参加登録】
【身分確認票】
【持ち込み品申告】
【同行者一覧】
「……旅支度って、荷物より紙なんですね」
マルが感動している。
「ミオさん、すごい量です!」
「感動しないで。紙が喜ぶ」
スーリが紙の上に乗って、つるんと滑った。
「すべる!」
「すべらないで!」
レティアが無言でスーリをつまみ、私の肩に戻した。姉の無言パワーは精霊にも効く。
私は紙の山を見て、ため息をひとつ。
やるしかない。やらないと説明が増える。説明が増えると紙が増える。
「今必要、後で必要、絶対いらないけど必要と言われる」
三つに分けると、マルが目を輝かせた。
「最後の分類、便利です!」
「便利って言うな。増えるから」
カイルが笑う。
「でも正しい」
リネットが丁寧に頷く。
「正しいです」
クラリスが丁寧に微笑む。
「非常に助かります」
三方向から追い詰めないでください。
それでも分類すると、空気が落ち着く。紙の角が揃う。気持ちも少し落ち着く。胃は戻らないけど。
◇◇◇
夕方、出発。
馬車は静かで、静かなのに人が多い。今日はそういう日だ。
カイル、マル、リネット、クラリスの部下が二名。私とレティア。スーリは肩の上で、きらきらを控えめにしている。控えめは偉い。控えめは薄い。薄い最高。
街道に出ると、風が少し冷たい。窓の外の空が広い。
「王都って、遠い?」
マルが言う。
カイルが答える。
「遠い。だから途中で休む」
「休むと、紙が増えますよね」
私が言うと、カイルは肩をすくめた。
「増える」
「ですよね」
クラリスは丁寧に笑う。
「旅程表は既に作成しております」
最悪。
その時、スーリが小さく言った。
「……匂い、変わる」
私は息を止めた。
「どの匂い?」
「奪う匂い。王都の方からも」
胃がまた縮む。今日は縮み放題だ。
レティアが窓の外を見て、短く言った。
「来る」
「何が……」
街道の音が一枚薄くなった。馬の蹄の音が遠くなる。風が止まる。木々の匂いが濃くなる。
スーリが、珍しく真面目な声になる。
「……大きいのがいる」
「紙より?」
「紙より」
最悪の比較をやめてほしい。
窓の外に何かが見えたわけじゃない。
でも気配だけで分かる。見えないのに来るタイプの招待状。
空気の奥から、声がした。声というより、風が形を取ったみたいな響き。
『王都に着く前に、一度、精霊院へ』
私は反射で口にしてしまった。
「……換気の効果です」
言った直後、自分でも思う。万能すぎる。さすがに無理がある。
マルが目を丸くする。
「えっ、今のも換気ですか!?」
「違う。違うけど、違うって言うと説明が増える」
カイルは窓の外をじっと見る。
「今の、何だ」
リネットは丁寧に震えている。
「い、今……声が……?」
クラリスは丁寧に微笑んだまま、目だけが鋭かった。
「ミオさん。王都では、今の件も任意で説明をお願いできそうです」
「任意、便利ですね……」
スーリがきらきら震える。
「任意、進化!」
「進化しなくていい!」
馬車は進む。遠く、王都の外郭が夕空の下に影のように見え始めた。
そしてスーリが小さく囁く。
「匂い、近い。奪う匂い」
私は目を閉じて、深呼吸をひとつ。
髪に指を通す。髪は整う。
整うのに、予定は整わない。なぜ。
「……薄く生きたいのに」
スーリが少し間を置いて、きらきら揺れた。
「薄いの、むずかしい!」
言うな。正解を。




