第19話 任意の確認会。合同になって、くしゃみで転がる
朝の玄関は、今日も容赦がない。
封筒が二つ。
白い。きれい。丁寧。逃げ道ゼロの色。
私は靴を履く前に、胃がきゅっと縮んだ。
「……二つ目って、だいたい良いことがないよね」
肩の上の精霊スーリが、きらきら震える。
「二つ! 強い!」
「強いって言い方やめて。紙が国家権力みたいに聞こえる」
背後から姉のレティアが、淡々と刺す。
「止まると説明が増える」
「分かってる。分かってるけど……今日は説明どころか、紙が増える日だよ」
私は髪に指を通す。髪は整う。
整うと、少しだけ呼吸が戻る。
一通目。中央聖堂。
【確認会:時間前倒し】
【寄付品(回復薬)の安全確認:実地】
【持参:入館票・協力登録カード・筆記具】
「確認会が実地って、何……?」
二通目。医療ギルド。
封筒じゃない。紙一枚。短い。短いのに逃げ道ゼロ。
【任意で来て。現場的に必要。】
署名:カイル
「任意って、増えると“必須”に進化するんだよね……」
スーリが胸を張る。
「進化!」
「進化しなくていい。退化して。できれば消えて」
レティアが封筒をひょいと取る。
「先に行く」
「え、どっちに?」
「前倒しの方」
「……中央聖堂ね」
薄く生きる。今日は薄く。薄く。
そう思った瞬間、玄関の外の空気が言った。
――無理だよ。
言葉じゃないのに分かるの、やめてほしい。
◇◇◇
中央聖堂の別館は、白い石の廊下が静かに長い。
静かなのに、今日は人が多い。机が多い。箱が多い。
箱が多い日は、だいたい紙も多い。
作業室の入口で、文書官リネットが丁寧に頭を下げた。
「ミオさん。お待ちしておりました。本日は確認会ですが、状況により“実地”となっております」
「……状況って」
「寄付品の回復薬の一部に、偽の可能性が出ました」
胃が、もう一回きゅっと縮む。
今日、縮む回数が多い。消耗品なの? 私の胃。
机の上には木箱が積まれている。
箱の横に紙の束。紙の束の横に、紙の束。
そして……紙。
リネットが、さらっと置いた。
【開封・確認 記録票】
【安全手順チェック表】
【受領記録(寄付受付)】
【保管場所記録】
「……紙って、増殖するんですね」
「はい。必要なので」
必要。
反論を消す、便利な魔法。
周囲には見習いの修道士、警護の騎士、記録係。
みんなが「どうしたらいいですか」の顔をしている。
(薄く生きたい)
でも、こういう顔を見ると、勝手に口が動く。
「箱、並べて。番号順。混ぜない」
視線が集まる。やめて。
でも手が動く。箱が揃う。空気が落ち着く。
リネットが少し目を丸くした。
「分かりやすいご指示です。助かります」
丁寧に褒めないで。
褒められると、次も頼まれる。次が来る。紙が増える。
スーリが耳元で小さく言った。
「紙の匂い、強い」
「言語化しないで。胃がまた縮む」
レティアは無言で、私の手袋を確認した。
今日も姉は無言で正しい。腹立つくらい正しい。
◇◇◇
開封は、最初の箱から。
封緘を切る。
蓋を持ち上げる。
――甘い匂いが、ふわっと広がった。
甘い。
甘すぎる。
砂糖菓子みたいな甘さが、喉の奥に張りつく。
「……っくしゅ!」
誰かがくしゃみをした。
次に、別の誰かが「目が……」と涙目になった。
さらに「喉がいがいがする」と鼻声。
静かな部屋が一瞬で、くしゃみと鼻声の合唱になる。
(重くはない。重くはないけど、カオスだ)
リネットが真面目に言う。
「香料……偽装です。濃度が異常です」
異常という単語は重いのに、現場は軽い。
「へっくし!」
「すみません、止まらなくて……!」
「私も、なんか鼻が……!」
人が寄りかける。寄ると匂いが濃くなる。濃いと、さらにくしゃみ。
くしゃみが連鎖すると、会話が成立しない。
会話が成立しないと、手順が崩れる。手順が崩れると――紙が増える。
(それだけは嫌)
「距離!」
声が出た。薄くの予定が、初速で破れた。
「窓、開けて。風。吸って吐いて、ゆっくり。目こすらない。水で流す!」
短い。
短いと動く。動くと落ち着く。
レティアがもう窓へ向かっている。
警護の騎士が人を下がらせる。
見習いたちが顔を洗いに走る。
リネットは鼻声のまま、丁寧に頷いた。
「ありがとうございます。では、開封は一旦中止し、換気を優先します」
「中止、いいですね。中止、大好き」
「……ミオさん?」
「いえ、心の声です」
スーリが真顔で言う。
「中止、好き」
「真似しないで」
◇◇◇
換気が進んだ頃、入口が騒がしくなった。
「――当たりだね。ここ、匂いがする」
軽い声。
でも今日は、その軽さが救いになる日だ。
医療ギルド監査官、カイル・グレイ。
その後ろに、メモ帳抱えの少年マル。
さらにギルド職員が数名。
カイルは室内の箱と紙と鼻声を一瞬で見て、結論を出した。
「同じ寄付の線を追ってた。ここに来たってことは、流通の線が繋がってる」
リネットが丁寧に一礼する。
「医療ギルドの方ですね。守秘の都合が――」
「守秘、後。今、全員くしゃみしてる」
「……くしゃみは、現象として軽微ですが」
「軽微でも現場は止まる。止まったら、紙が増える」
私はうっかり頷きかけて止めた。
カイル、分かりすぎる。危険。
リネットが丁寧に言う。
「記録と手順が必要です」
カイルが言う。
「現場の手順は必要。でも教会の手順だけだと遅い。だから――合同」
「ご、合同……?」
見習いたちが「合同って何?」の顔をする。
分かる。私も分からないふりをしたい。
(薄く……)
なのに口が動く。
「共通の手順、短く」
場の視線が来る。やめて。
でも二人が同時に私を見る。
リネットが紙を出す。
【確認会 記録票(追加)】
カイルも紙を出す。
【共通チェック表(簡易)】
紙と紙が、出会ってしまった。
紙の運命の出会い、いらない。
カイルがにやっとする。
「任意で協力して」
「任意って便利ですね」
「便利は人を救う」
その会話、今日二回目。
回数制限を設けたい。
マルが目を輝かせた。
「ミオさん、短い指示、好きです!」
「決めつけないで」
「はい! 決めつけません! でも好きです!」
決めつけてる。
レティアがぽつりと私の横で言う。
「止まると説明が増える」
「……止まらない。止まれない。紙のために」
◇◇◇
そのとき。
作業室の入口に、さらに“丁寧”が現れた。
制服。白手袋。胸元に金具の名札。
姿勢が良い。声が丁寧。笑顔が丁寧。
丁寧すぎて、逆に怪しいタイプの丁寧。
「回収代行でございます。危険物の回収に参りました」
リネットが反射で応じる。
「回収代行……? 本件は確認会の最中で――」
「現場的に、早い方が安全でございます」
カイルの眉が動いた。
ほんの一ミリ。でも分かる。
「その“現場的”って、誰の現場?」
回収代行は笑顔のまま、箱に手を伸ばす。
「危険でございますので、こちらで――」
「止めて。そこ、記録がいる」
リネットが丁寧に遮る。
回収代行は丁寧に頷く。
「もちろんでございます。記録は後ほど――」
「後ほどじゃなくて今」
カイルが即答する。
回収代行は丁寧に笑う。
「お急ぎでございますね」
丁寧なのに、押しが強い。
押しが強いのに、声が柔らかい。
このタイプ、苦手だ。胃が縮む。
スーリが耳元で囁いた。
「奪う匂い」
「今、言わないで」
レティアが一歩前に出る。
言葉はないのに、空気が「ここから先は通しません」になる。姉、強い。
回収代行が、目だけを細めた。
笑顔はそのまま。目だけ冷たい。
「では、回収対象の確認を――」
そう言いながら、回収代行の手が“さりげなく”箱の蓋に触れた。
(さりげなくが一番危ない)
カイルが距離を詰めて声を落とす。
「回収の許可、出てない。名札、見せて」
回収代行は丁寧に胸元を指した。
「こちらでございます」
カイルは一瞬、固まった。
「あー……これ、うちの様式に似てるけど、微妙に違う」
リネットも覗いて、丁寧に首を傾げる。
「教会の様式でもありません」
回収代行の笑顔が、さらに丁寧になる。
「様式の差異は現場的に――」
「その現場的、便利すぎる」
私がつい言うと、回収代行の目が私に向いた。
じっと。嗅ぐみたいに、じっと。
(やめて。見ないで。薄く……)
マルが小声で言う。
「ミオさん、今、短いツッコミ……!」
「決めつけないで!」
「はい!」
◇◇◇
空気が固くなりかけた、その瞬間。
回収代行の後ろにいた補助役が、焦って瓶を落とした。
ぱしゃ。
小さな音。
小さな破局。
甘い匂いが、また弾けた。
さっきより近い。さっきより濃い。さっきよりくしゃみ。
「へっくし!」
「む、無理、目が……!」
「鼻が! 鼻がぁ!」
一斉に鼻声。
一斉に涙目。
一斉に手が顔へ行きかけて、止まる。
(みんな偉い。偉いけど、カオス)
「距離! 窓! 水! 拭くのは軽く!」
短い言葉が飛ぶと、場が動く。
リネットが水桶を出す。
カイルが人の流れを作る。
レティアが回収代行を“通れない位置”へ誘導する。無言で。
そして、ここからが問題。
匂いで鼻がぐずぐずしているのに、場が落ち着く。
落ち着くと、私の体が変な方向に調律し始める。
(やめて、勝手に調律しないで)
スーリが私の髪にそっと触れた。冷たい。
「見守り」
「見守りだけでお願い」
「うん!」
その“うん”が終わる前に。
空気が、すっと軽くなった。
「……あれ?」
最初に声を出したのは、見習いの修道士だった。
「鼻、通った……?」
別の騎士が瞬きする。
「目のしぱしぱ、消えた」
さらに誰かが言う。
「え、喉のいがいがも……?」
一斉に「え?」が広がる。
え?の海。
私は固まった。
固まると視線が集まる。集まると詰む。
(薄く、生きろ……!)
私は真顔で言った。
「換気の効果です」
カイルが私を見て、口角だけ上げた。
「換気、すごいね」
「すごい換気が世の中にあったら、紙も減ると思うんですけど」
「減らないね」
「ですよね」
リネットが丁寧に頷く。
「換気の重要性が証明されました」
「証明しないでください」
証明されると、記録が増える。
リネットは当然のように記録票に書き足した。
【換気により症状が改善】
やめて。紙が成長してる。
マルが目を輝かせる。
「ミオさん、今の、すごくスムーズでした!」
「決めつけないで」
「はい! でもスムーズでした!」
決めつけてる。
◇◇◇
回収代行は、笑顔のまま周囲の様子を見ていた。
鼻声が消えた。涙目が収まった。
でも、その目は“良かったですね”の目じゃない。
嗅いでいる。空気じゃない。人を。
回収代行が、床に落ちた一枚の紙を拾った。
さっきの匂いが付いた紙。
指先で軽く撫でて、鼻先に近づける。
「……この香り。残りますね」
丁寧な声。
丁寧すぎて、背中がむずむずする。
カイルが即座に言った。
「それ、証拠。触らないで」
「失礼いたしました。では、私どもは撤収いたします」
撤収。素直。素直すぎる。
回収代行は丁寧に一礼すると、補助役を連れて入口へ向かった。
その途中、私と目が合った。
一瞬だけ。けど分かる。
(この人、持って帰った)
何を?
箱じゃない。瓶でもない。
匂い。
紙に残った匂い。
そして、たぶん――私の周りの“何か”。
スーリが私の耳元で言う。
「奪う匂い、嬉しそう」
「嬉しそうって言い方、やめて。怖さの種類が変わる」
レティアが短く言う。
「見る」
姉の目線が、回収代行の背中をまっすぐ射抜く。
追わない。騒がない。
でも見逃さない。姉、強い。
◇◇◇
混乱が落ち着き、作業室の空気が戻った。
戻ったところで、紙は増える。
紙は落ち着いた空気が大好きだ。落ち着くほど増える。
リネットが丁寧に言う。
「では、確認会を再開します。まずは安全手順の統一を」
カイルが頷く。
「共通の手順、作ろう。教会用の丁寧版と、現場用の短縮版」
「短縮版、好き」
私がうっかり言うと、リネットが微笑んだ。
「では、ミオさん。短縮版の骨子を」
(はい来た)
薄く生きたいのに、頼まれる。
頼まれると、動く。動くと、詰む。
でもここで止まったら説明が増える。
説明が増えると紙が増える。紙が増えると胃が縮む。
胃が縮むと人生が縮む。
……書くしかない。
私はペンを取り、紙に短く書いた。
•開封は一つずつ
•匂いが強い場合は即換気
•距離を取る(集めない)
•目はこすらない(水で流す)
•確認は封緘→匂い→粘度
•触れた物は分ける(混ぜない)
カイルが見て、満足そうに頷く。
「うん、現場が動く」
リネットが見て、丁寧に頷く。
「うん、記録が調律されます」
「“調律”って言うの、かっこいいけど、紙が喜ぶので控えてください」
スーリが胸を張る。
「紙、喜ぶ!」
「喜ばせない!」
マルがメモを取りながら小声で言う。
「ミオさんの言葉、短いのに通る……」
「決めつけないで」
「はい! でも通ります!」
決めつけてる。
◇◇◇
“合同”は、そのまま形になった。
形になると、当然、紙が出る。
カイルが出した。
【臨時協力カード(医療ギルド)】
リネットが出した。
【確認会 記録票(合同対応欄 追加)】
「……紙が、国家権力になってきた」
思わず漏れると、カイルが笑う。
「国家権力は言いすぎ。でも、紙は強い」
スーリがすかさず言う。
「強い!」
「強いって言うのやめて!」
レティアが私の手元を見て、淡々と言った。
「持つ」
「……持ちます」
臨時協力カード。
薄い紙なのに、やけに重い。
リネットが丁寧に締める。
「本件は、寄付品として届けられた経路と、代行を名乗った者の動き、双方の記録が必要です」
カイルが頷く。
「流通の外。上がいる匂いがする」
スーリが耳元で、ひそっと囁いた。
「……匂い、持ってかれた」
私は瞬きした。
「……どれくらい」
「ちょっと。でも、追うには足りる」
「ちょっとで足りるの、最悪だね」
レティアが短く言う。
「守る」
姉の言葉は短い。短いのに、胃が少し戻る。
戻る場所、まだあったんだ。私の胃。
◇◇◇
帰り道。
聖堂の白い廊下を抜けると、空がやけに青い。
青いのに、私は紙の白さを思い出してしまう。
「薄く生きたいのに……紙が濃い」
スーリが私の髪に触れる。冷たい。
冷たいのに、少しだけ落ち着く。
「見守り」
「見守りだけでお願いね。今日、もう勝手に調律しないで」
「うん!」
その返事が元気すぎて、不安になるのは私だけじゃないと思う。
家に着くと、玄関にまた封筒があった。
白い。きれい。丁寧。追加。
「……今日、三つ目」
私は封筒を持ち上げたまま、遠い目になった。
「任意って、どこまで増えるの」
スーリがきらきら揺れて言った。
「任意、進化!」
「進化しなくていいって言ってるでしょ!」
レティアが淡々と私の肩を押す。
「寝る」
「……寝る」
「止まると説明が増える」
「……説明を止めるために寝る。分かった」
私は靴を脱ぎ、床に座り込んだ。
髪に指を通す。髪は整う。
整うのに、予定は調律されない。なぜ。
スーリが小さく言った。
「匂い、追ってくるかも」
私は目を閉じて、ため息を一つ。
「……薄く生きたいのに、私は今日、合同の人になった。丁寧に、任意で」
スーリが、少し間を置いて、きらきら揺れた。
「任意で!」
やめろ。




