表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/30

第17話 任意のはずが、別ルートも来る

朝の鏡は、今日も容赦がない。


私は髪に指を通す。髪は整う。

整うと、気分も少しだけ落ち着く。


……少しだけ。


机の上には紙がある。

紙が、ある。

そして、増えている。息をするみたいに増えている。


【研修 日程表】

【入館票】

【協力登録カード】


「……任意って、なんだっけ」


私が小声でつぶやくと、肩の上の精霊スーリが、きらきら揺れた。


「にんい!」


「言い方だけ元気にしないで」


「でも、にんい!」


背後から姉のレティアが、淡々と刺してくる。


「顔が“逃げたい”」


「逃げたい」


「短く。目立たない。決めつけない」


「分かってる。薄く生きる」


「薄く生きるなら、今日は紙を減らす努力をして」


「努力で紙は減らない。紙は増える生き物だよ」


レティアは反論せず、視線だけで持ち物検査を始めた。

言葉より正確で、言葉より怖い。


「協力登録カード、入館票、日程表」


「うん」


「守秘の誓約書の控え」


「うん……」


「筆記具」


「うん……」


レティアが最後に言う。


「……胃薬」


「ない」


「買うべきだった」


“べき”が来た。胃が先に縮む。


スーリが頬に軽く当たる。冷たい。


「見守る!」


「今日は見守り“だけ”。余計なことしないで」


「余計なこと……しない!」


言い切るほど信用が落ちるの、なんでだろう。

私は深呼吸して、腕章をつけた。


【現場調整】


布のくせに、今日も責任の顔をしている。


◇◇◇


王都の中心へ向かうほど、街は“きちんと”していく。


石畳がまっすぐになり、建物が高くなり、人の服がきれいになり、声が小さくなる。

空気まで、余計なものを許さない。


中央聖堂の門が見えたところで、スーリがぴくりと反応した。


「大きい匂い、ここ」


「匂いで言い当てるのやめて」


「でも、大きい」


同行のユリウスが丁寧に頷く。


「祈りが多い場所ですから」


市場連盟のノクスが、いつもの笑顔で手を振った。


「短時間で終わりますよ!」


「その言葉、禁止」


「えっ」


レティアがノクスを見る。

ノクスが、口を閉じる。よし。


市政のシェリスは相変わらず紙束を抱えたまま言う。


「任意の研修です。落ち着いてください」


任意。

その単語の信用が、もう私の中で底を打っている。


門の前には、柔らかい笑顔が待っていた。文書官リネット。

笑顔は柔らかいのに、手は最短距離で紙を運ぶ。


「おはようございます。入館票の提示をお願いします」


私は入館票を出した。

出せるようになってしまった自分が、ちょっと悲しい。


「協力登録カードも」


「……はい」


「筆記具の確認」


「あります」


「精霊同席の確認」


スーリが胸を張った。


「見守る!」


「声は小さくね」


リネットは微笑んだまま続ける。


「持ち込み申告は“同じ形式”で大丈夫です」


「……“いつもの”って言われるの、苦手で」


思わず口に出た。

リネットは一瞬だけ瞬きをして、さらに柔らかく言い直した。


「失礼しました。“同じ形式で”お願いします」


同じ形式。つまり、同じ逃げ道。

私はサインして、返却されたカードと票を受け取り、通された。


中央は、今日も丁寧だ。

丁寧すぎて、こっちの呼吸が追いつかない。


◇◇◇


研修室は広いのに静かだった。

静かな場所は、音が目立つ。


椅子の足。紙の擦れる音。ペン先。息。

全部が「残る」気配をしている。


前方に修道士長グラディア。

短い人だ。短いのに強い。今日も。


「救護手順。共有」


それで始まるのが中央だ。潔い。胃に悪い。


壁には大きめの案内板。


【押さない】

【こすらない】

【呼吸】

【冷ます】


短い。いい。胃にやさしい。

……なのに胃は縮む。中央だから。


若い治癒士フェンも参加していた。目がきらきらしている。嫌な予感しかしない。


「ミオさん……!」


「声、抑えて」


「すみません! でも来てくれて嬉しくて……!」


嬉しいの方向が、こっちに刺さるやつ。


グラディアが黒板を叩く。


「動線」


チョークで線と矢印。導線が組まれていく。

私は黙っていられなかった。運用の癖が、反射で出る。


「この交差、危ないです」


全員の視線が向く。

目立たない、目立たない、薄く……。


グラディアが短く言う。


「言え」


「煮沸消毒用のお湯を運ぶ人と、薬草の粉塵が出る作業が、ここで交差します。転倒が起きたら、火傷と目の事故が同時に出ます。交差させないほうがいいです」


言ってしまった。

言うと中央は喜ぶ。正しさが好きだから。


リネットが微笑む。


「修正案を記録します」


記録。増える。紙が。


ノクスが無言で親指を立てる。

レティアの目が光る。ノクスがそのまま無言になる。よし。


ユリウスが丁寧に続けた。


「通行幅も必要かと。担架が通れる幅が最低……」


「短く」


レティアが言う。ユリウスはすぐ削る。


「担架幅、確保」


学習が早い。怖い。


グラディアが頷く。


「採用」


採用って言った。責任が芽を出す音がした。胃が鳴った気がする。


フェンが小声で言う。


「……すごい」


「決めつけないで」


「はい! 決めつけません! でも……わかりやすいです!」


わかりやすいは褒め言葉。

褒め言葉は次のお願いの入口。私は警戒を強める。


研修はテンポよく進んだ。

注意事項、配置、声かけ、事故例。どれも短く、現場の言葉で。

私はなるべく“運用の人”として発言した。したつもりだ。


終わり際、リネットが柔らかく告げる。


「次回は、検知器の取り扱いです」


胃が、きゅっと言った。


「反応の校正、基準の揃え方、記録の書式……」


「記録って任意じゃないですよね?」


つい口が滑る。


リネットは微笑む。


「もちろん任意です。未記録の場合、再説明が必要です」


「……記録します」


任意は、選べる顔をして選べない。

中央は今日も丁寧だ。


◇◇◇


外に出た瞬間、空気が少しだけ軽くなる。

軽くなると、体が勝手に息を吐く。はぁ。


「やっと外」


スーリがくるくる回った。


「外、すき!」


「今日は余計なことしないって言ったでしょ」


「見守る!」


元気だ。元気すぎる。


その瞬間、スーリの光が一度、止まった。


「……違う匂い」


レティアも歩幅を変えずに言う。


「来る」


やめて。来るって言い方が一番怖い。


人の流れの中、軽い足取りが近づく。

中央聖堂の人間じゃない。服の質も気配も違う。

でも目は、現場の目だ。落ち着いてるのに、見逃さない。


「やあ、見つけた」


声が明るい。距離が近い。

この明るさ、逃げ道を削るタイプだ。


「ミオさん?」


反射で出る。


「決めつけないでください」


相手は一瞬目を丸くして、すぐ笑った。


「いいね、それ。現場の合言葉だ」


合言葉にするな。広げるな。


男は胸元からカードを出して、指先で軽く揺らした。


「医療ギルド。監査官、カイル・グレイ。名刺カード」


カードが増えた。今日、何枚増えるの。


「任意でいいから、少し話したい」


「任意……」


「そう、任意。現場的には、今が一番早い」


そのセット、最悪。


シェリスが小さく囁く。


「医療ギルド……教会とは別ルートですね」


「別ルート、増えた」


私が呟くと、カイルは軽い調子で頷く。


「増えるよ。現場はルートが多いほうが生き残る」


「私は薄く生きたい」


「薄くても、匂いは残る」


匂い。

スーリと同じ単語が出た。嫌な一致。


スーリが耳元で小声。


「この人、嗅ぐ」


「言わなくていい」


「嗅ぐ」


やめて。本人に聞こえたら詰む。


カイルはレティアにも一礼した。礼儀はある。丁寧じゃないのに礼儀はある。


「突然すみません。教会には言わない。守秘も守る。だから別枠で話せる」


「別枠が増えた」


私が言うと、カイルは肩をすくめる。


「増える。便利だろ?」


便利じゃない。胃が死ぬ。


◇◇◇


そのとき、通りの角で作業服の男が大きな鍋を抱えてよろけた。

湯気が上がる。匂いで分かる。煮沸消毒用のお湯。


「危ない!」


誰かが叫ぶ。

人が集まる。集まると押す。押すと転ぶ。転ぶと事故が増える。

事故が増えると、中央もギルドも動く。動く前に止めたい。


私の体が勝手に前へ出た。


「押さない! 下がって!」


声が出た。短く。

それだけで、前に出かけた足が止まる。止まると通路ができる。

通路ができると、お湯がこぼれない。


よろけた男の腕が震える。


「す、すみません……!」


「謝らない。置いて。ゆっくり」


言いながら視線を走らせる。

鍋の横に薬草の袋。粉が舞ってる。目に入ったら痛い。

事故が二種類同時に来るやつ。やめて。


「こすらない! 目、触らない! 水、ある?」


露店の店主が桶を持ってくる。


「これ!」


「流す。呼吸」


短い言葉が、場を動かす。

動くと事故が小さくなる。小さくなると、噂が大きくなる。困る。


私はよろけた男の手元を見て、さらに短く言う。


「鍋、置く。布、ここ。手、冷ます」


店主が布を差し出し、男が鍋を置き、手を当てる。

湯気が落ち着く。人の声も落ち着く。


「す、すげえ……」


誰かが言った。

言うな。噂を育てるな。


横でカイルが目を細める。


「……なるほど」


なるほどって言うな。確認が始まる。


さらに粉塵で、若い子が目を押さえてしゃがみ込む。


「目が……!」


私は反射で言う。


「こすらない。流す。呼吸。顔上げて」


若い子が頷き、桶の水で目を流す。呼吸が戻る。

戻ると涙が止まる。止まると笑える。


「……助かった」


場が少し笑う。

笑うのはいい。でも、その笑いが「すごい」に変わると終わる。


終わる、と思った瞬間。


石畳の目に、白い気配が走りかけた。

線というより、案内の矢印みたいな“白”。


(やめて)


喉が固まる。

固まると、次の言葉が遅れる。遅れると、見られる。見られると詰む。


スーリが、そっと私の髪に触れた。


冷たい。

その冷たさで、白い気配がふわっと散った。ほどけるみたいに消えた。


スーリが囁く。


「余韻封じ」


「いま何したの」


「見えにくくした」


「なんでそんなことできるの」


「見守り!」


見守り、万能すぎる。

万能は目立つ。目立つのは危険。


私はとにかく平気な顔を作る。薄い顔。

髪は整ってる。だから大丈夫。意味はない。


カイルが、消えた石畳を見て、軽い口調のまま言った。


「今の、見間違いかな」


私は即答する。


「決めつけないでください」


カイルは笑って頷いた。


「うん。決めつけない。だから“任意”で、話をしたい」


そこに任意を置くの、ずるい。


横からメモ帳を抱えた少年が飛び出した。


「す、すごい……! いまの指示、短いのに全部通った……!」


カイルが少年の頭を軽く小突く。


「マル、声がでかい」


「あっ、すみません!」


薬師見習いらしい。すぐメモして、すぐ尊敬するタイプ。危険だ。


私は少年に言う。


「すごくない。たまたま。呼吸ができたから」


マルの目が輝く。


「呼吸、強い……!」


やめて。合言葉を増やすな。


◇◇◇


騒ぎが落ち着くと、人の流れが戻る。

戻ると、私の心臓の音が目立つ。目立つと、逃げたくなる。


「それでは、私は……」


逃げの文を組み立てる前に、カイルがカードを差し出した。


「名刺カード。任意で受け取って」


任意で受け取らないと、面倒が増える顔をしている。

現場の人の顔だ。分かる。分かりたくない。


私は受け取った。カードが増えた。


「それと、これ」


もう一枚、紙が置かれる。

紙が増えた。今日、何枚増えるの。


【医療ギルド 救護講習 現場監修の打診】

【任意】


任意の文字が、見事に刺さる。


「……任意って便利ですね」


私が言うと、カイルは肩をすくめた。


「便利。現場は便利が勝つ」


「私は胃が負けます」


「胃薬、持ってる?」


「ない」


「買いな。任意で」


そこも任意にするな。


カイルは少しだけ声を落とした。


「教会の“確認”より、現場の“確かめ方”は静かだよ」


静か、が一番怖い。

静かな手は、知らないうちに首に巻きつく。


私は笑えない顔のまま、短く返した。


「決めつけないでください」


カイルは楽しそうに目を細めた。


「うん。決めつけない。……だから面白い」


面白がらないで。


カイルとマルが人波に消える。

残ったのは名刺カードと打診書、それと私の胃の不機嫌。


スーリが耳元で囁いた。


「ミオ。追われる匂い、増えた」


「増やしてない」


「でも、増えた」


レティアが淡々と歩き出す。


「帰る。止まると説明が増える」


それは真理だ。

私は頷いて、髪を整えるふりをした。髪は整う。

心は調律したいのに、勝手に揺れる。


逃げないつもりだったのに、“別ルート”まで増えた。

やけに手際よく。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ