第1話 転生初日、包帯が奇跡になった
死ぬ瞬間、人は人生のハイライトを思い出すらしい。
……らしい、というか。私の場合は思い出した。
でも、それは「初めて剣を握った日」とか、「誰かに好きって言われた日」とか、そういう甘いのじゃなかった。
思い出したのは、白い天井。白い衣。白い言葉。
「聖女だから」
その四文字が、優しさの顔をして、私の首をゆっくり絞めた。
助けた数だけ、逃げ道がなくなった。
守ったはずの人たちほど、最後に私を見捨てた。
……いや、やめよう。いまさら数えたって戻らない。
痛みが、息の奥に残っている。目を閉じても、そこだけ熱い。
「……次は、静かに生きる」
そう言った。確かに言った。
だからこそ、お願いがある。
世界、ちゃんと聞いて。
◇◇◇
目を開けたら、木の匂いがした。
古い板の床。窓から差す朝の光。布団はちょっと硬い。天井の梁が太い。
……え、ここどこ。
私はゆっくり上半身を起こして、まず最初に確認する。
「……生きてる」
口に出してから、遅れて気づく。
生きてるって何。私、さっき死んでなかった?
胸の奥がきゅっと縮む。息が詰まる。あの感覚が戻ってくる。
やばい。いま思い出したら、心臓が止まる。
いや、止まったら二回目だ。二回目はさすがに……やめて。
私は反射的に、自分の胸に手を当てた。
……すると。
すうっと息が入った。
痛みが、波みたいに引いていく。
喉の奥の熱さも、胸の重さも、嘘みたいにほどけていく。
「……え?」
なにこれ。深呼吸が上手くなっただけ? 転生特典が「肺活量アップ」とか?
私は自分の手のひらを見た。普通の手。少し小さめ。指は細い。爪も短い。
……でも、さっきの感覚。
あれは知ってる。知っているから、胃がきゅっとなる。
「まさか」
口の中が乾いた。
まさか、あの力までセットで付いてきた?
冗談でしょ。私は「次は静かに」って言った。言ったよね?
世界、お願いを踏み台にしないで。
そのとき、扉の向こうから声がした。
「ミオ、起きてる?」
女の声。はきはきしていて、迷いがない。
「訓練行くなら先に朝ごはん。冷める」
訓練。朝ごはん。生活感が強い。強すぎる。
私は布団を蹴って立ち上がり、部屋の隅の鏡をのぞきこんだ。
そこにいたのは、金髪でも碧眼でもない、黒に近い茶色の髪の女の子だった。
目は灰色。肌は健康的。鼻も口も普通。
……私、こんな顔だったっけ。
いや、当たり前だ。私はいま、別の誰かだ。
「ミオ・アルフェン」
そう、名前が頭に落ちてくる。紙にインクが染みるみたいに、自然に。
騎士家の末子。十五歳。剣の才能は……たぶん、ない。
これは妙に自信がある。悲しい。
顔を洗って髪を結び、扉を開けた。
廊下にいたのは、背が高くて肩がしっかりした女性だった。焦げ茶の髪をひとつに束ね、訓練着の上に簡単な上着。腰には木剣。
「レティア姉さん」
口に出したら、なんか安心した。
レティアは私を見るなり、眉を少しだけ下げる。
「……目、赤い。寝不足?」
「寝不足じゃない。たぶん」
「“たぶん”がつく時点で怪しい」
姉は姉だ。こういうところ容赦がない。
私は反論しようとして噛んだ。
「だ、だいじょうぶでふ」
「噛んだね」
「噛んでないです」
「噛んだ」
朝から確定させないでほしい。
食堂には簡単な朝食が並んでいた。パンとスープと干し肉。野菜の酢漬け。
騎士家の食卓は、だいたいこういう感じらしい。体を動かすためのごはん。
私はスープを飲む。温かい。胃が落ち着く。
レティアは、ほんの一瞬だけ言葉を選んでから淡々と言った。
「無理はしないで。焦っても剣は急に上手くならない」
「焦ってない」
「焦ってる顔」
「焦ってない」
私はスプーンを握りしめた。
騎士になりたい。それは本当だ。
でも、私が欲しいのは“剣の一番”じゃない。
騎士という肩書き。自由に動ける立場。
誰かに「ここにいろ」と言われても、「任務です」で抜けられる立場。
そして何より。
あの白い天井に戻らないための、逃げ道。
「……大丈夫。私は、騎士になる」
言ってからレティアを見る。姉は何も言わずに頷いた。
その頷きが、優しくて、ちょっと怖い。
優しいと、人は守ろうとする。
守られると、囲われる。
……いや、まだ。今はまだ、普通の末っ子。そういうことにしておく。
◇◇◇
訓練場は朝からうるさい。
木剣の乾いた音。鎧の擦れる音。掛け声。笑い声。靴底が砂を踏む音。
それに、汗と土と金属の匂い。
私はその真ん中に混ざって、木剣を握った。
相手は同い年くらいの見習い。体格は私より少し大きい。腕も太い。
「いくぞ、ミオ」
「うん」
一歩踏み込む。打つ。受けられる。弾かれる。手がしびれる。
「っ……」
また弾かれた。剣が手から逃げ、砂の上に転がる。
「……ごめん」
「謝るなって。やり直し」
相手は優しい。優しい人が増えると、私は困る。
勝てないのに、優しさだけ集まっていく。
私は剣を拾って息を整えた。
(勝てなくてもいい。続ければ“やってる人”には見える。見えるって大事)
言い訳っぽいけど言い訳じゃない。これは生存戦略だ。
たぶん。きっと。……たぶん。
そのとき、訓練場の端、厩の方から青年がやってきた。馬具の袋を抱えている。服は作業着で、手はもう汚れている。
「おーい見習い。馬具、ここ置いとくぞ」
「ありがとう、トゥリオ!」
誰かが返す。トゥリオは厩番らしい。馬の世話をして、装備を運び、ついでに皆の愚痴を聞いている。そういうポジション。
トゥリオは私にも軽く手を振った。
「ミオ、おはよう。今日もやられてる?」
「……やられてない。経験を積んでる」
「言い方が上手いな」
褒めないで。いま褒めないで。
私は褒められると気が緩む。気が緩むと、ろくなことが起きない。
……その予感は、当たった。
後ろの組がもつれて、木剣が変な角度で跳ねた。
「うわっ!」
誰かの声。次の瞬間、トゥリオがとっさに飛び込んだ。
止めようとしたんだろう。止めないと顔に当たると思ったんだろう。
木剣の先が、トゥリオの前腕をかすめた。
布が裂ける音がして、遅れて赤がにじんだ。
「……っ」
トゥリオが息を飲む。血が、すぐに垂れてくる。
「やば、血!」
「医者! 医者呼べ!」
「薬草師! 誰か走れ!」
訓練場の空気が、瞬間でざわついた。さっきまでの掛け声が消えて、焦りの音が立つ。
私の視界が、妙に狭くなった。
前世の記憶が、喉の奥からせり上がる。
血。痛み。呼吸。焦り。
やめて。今は今。ここはここ。
私は聖女じゃない。私は……私は……
でも、目の前で血が落ちている。
トゥリオは片手で腕を押さえている。指の隙間から赤がにじむ。顔色が少し白い。
私の足が、勝手に前に出た。
「……布、ある?」
声が出た。自分の声なのに、他人みたいだった。
見習いが目を丸くする。
「ミオ? お前、何する気だ」
「止血。……するだけ」
「できるのか?」
(できるのか、じゃない。やるしかないんだよ)
私は腰の布を引きちぎって、トゥリオの腕に押し当てた。
血が布に吸われる。温かい。嫌な温かさ。
「痛い?」
「いや、まぁ……」
トゥリオは強がった。強がる人ほど、後で倒れる。
前世で学んだ。学びたくなかったけど。
「動かないで。押さえる」
私は布を押さえたまま、息を吸う。
(大丈夫。血だけ止める。血だけ。……血だけ)
そう思った。そう思っただけだった。
手のひらの下で、何かが脈打った。
あったかい。
血の温かさとは違う。もっと深い。もっと、体の奥に触れる温かさ。
「……え」
布越しに、トゥリオの筋肉がびくっと動いた。
「っ……なんか、今……」
声が震える。痛みで? 違う。驚きで。
私の背中に汗が流れた。
(やめて。やめて。止まれ。ここまで。ここだけ)
心の中で叫んだのに、手のひらは勝手に仕事を続ける。
布が、じわりと乾いた。
血が止まったから乾く、というより。最初から血なんてなかったみたいに。
「……あれ?」
見習いが言う。
「血、止まってね?」
「いや、止まってるどころか……」
「え、傷、どうなってんの?」
私は布を外したくなかった。外したら終わる気がした。
世界が私に目を向ける気がした。
でも、トゥリオが腕を動かした。
「もう痛くない。……え?」
布がずれて、切り傷が見えた。
見えた瞬間、私は頭の中で膝をついた。
傷が塞がっていた。
縫ったみたいに、きれいに。皮膚が滑らかで、赤い線だけが薄く残っている。
「……うそだろ」
誰かが呟いた。
「今の見た!? ミオ、手当てしただけだろ!?」
「薬草も塗ってないのに!」
「傷、消えたぞ……!」
声が重なる。視線が集まる。空気が私の方へ寄ってくる。
(終わった)
私は口を開いた。言い訳をするために。言い訳で世界をずらすために。
「こ、これは、その……布が……」
噛んだ。噛んだ上に内容が弱い。布が何をしたっていうの。布が神なの?
見習いが叫ぶ。
「布がよくても皮は戻らんだろ!」
「ミオ、今何した!?」
「何もしてない!」
私は叫んだ。自分でもびっくりするくらい大きい声が出た。
「何も! 本当に何も! 止血しただけ! ……だけ!」
「だけ、でこれ!?」
トゥリオが自分の腕を握ったり開いたりして、呆然とした顔で笑った。
「……助かった。ありがとう、ミオ」
その「ありがとう」が、まっすぐで、あったかくて。
私の胸の奥をぐっと掴んだ。
やめて。いい人でいないで。私はいま逃げたい。
そのとき、耳の奥で鈴が鳴った気がした。
ほんの一瞬、空気が軽くなる。髪がふわっと揺れる。
誰かが小さく言った。
「……今、風……?」
私は聞こえないふりをした。
「用事思い出した!」
私は布を丸めて握りしめたまま、訓練場を走って出た。
背中に声が飛んでくる。
「ミオ! 待てよ!」
「おい、どこ行くんだ!」
待つな。追うな。見ないで。忘れて。
私は走った。
走りながら思った。
(次は静かに生きるって言ったのに! 初日でこれ!?)
世界、私の予定を踏み台にするのやめて。
◇◇◇
家の裏手。物置。埃っぽい匂い。人の気配が薄い。
私は戸を閉め、壁に背中を預けた。
息が荒い。心臓がうるさい。手が冷たい。
「……なんで」
声がかすれる。
なんで治った。なんで私が。なんで今。
答えは知っている。知っているから怖い。
私は棚を探って紙と羽ペンを見つけた。角が少し擦れている。
床に座り込み、紙を広げる。
書かないと頭が割れる。書けば少しだけ落ち着く。私はそういうタイプだ。知ってる。
炭筆で、紙の上に大きく書いた。
【だめなこと】
……タイトルが雑。いまの私の脳内そのまま。
その下に箇条書き。
・人を治しすぎない
・見られない
・触らない
・助けるなら小さく
・「だけ」を言う
・終わりを決める(絶対)
書いた瞬間、紙がふわっとめくれた。
風?
物置の中だよ? 窓も閉まってるよ?
私は紙を押さえた。すると今度は反対側の端が、くいっと動いた。
まるで、誰かがそこを持っているみたいに。
「……誰」
声が小さくなる。怖さが声を細くする。
返事はない。
でも空気が少しだけ、あったかい。
さっきの手のひらの温かさに似ている。
鈴の音が、もう一回だけ鳴った気がした。
「……今は仲良くしてる場合じゃないんだけど」
私はそう言いながら、紙をきゅっと握った。
(助けるのはいい。……いや、よくない。助けたい。でも、助けたら終わる。終わるのは嫌。嫌だけど、目の前で血が出たら)
堂々巡り。
私は額を壁に軽く打ち付けた。
「……あーもう。予定が」
言いかけて、飲み込む。
予定が崩れたことが怖いんじゃない。
崩れた先が、前世と同じ道に繋がっているのが怖い。
私は目を閉じて息を整えた。
(大丈夫。今はまだ、誰も“確信”してない。私は手当が上手かっただけ。布が……布が)
布に責任を押し付けるの、そろそろやめたい。
◇◇◇
夕方。
私はようやく物置から出て家の方へ戻った。
戻る途中で気づく。
門の外が、うるさい。
訓練場の見習いの声が混ざっている。
「見たんだって! 手を当てたら……」
「傷が塞がった、って……」
「薬草師の婆さんが首を振ったって」
やめて。育てないで。噂を。いま。
私はなるべく足音を小さくして玄関へ回ろうとした。
けど遅かった。
玄関に、レティアが立っていた。
腕を組んでいる。表情は静か。静かな時の姉は、だいたい判断中。
「ミオ」
名前を呼ばれただけで背筋が伸びた。
「今日は何があった」
「……なにも」
言った瞬間に自分で分かった。
この返事は最悪だ。
レティアは短く息を吐いた。
「“なにも”の顔じゃない」
私は口を開く。今日二回目の言い訳タイム。
「訓練場で、ちょっと怪我が出て。布で押さえただけ。止血しただけ」
「それで」
「……たまたま、うまくいった」
「“たまたま”が増えると、いつか足を取られる」
責めてない。むしろ守ろうとしている。
でも私は、その守りが怖い。
「姉さん、言わないで。誰にも」
レティアの目が一瞬だけ揺れた。
「……言わない。ただ、もし危ないことなら」
「危なくない。危なくないから」
私は早口になる。噛みそうなのに、噛む前に押し切る早口。
「今日は疲れた。寝る。おやすみ」
逃げるように家の中へ入ろうとしたとき、背後から、しわがれた声が飛んだ。
「お前さん」
薬草師のエンナ婆だった。杖をついてるのに足が速い。謎。
「お前さん、布で傷が塞がるわけないよ」
「……布が、良かった」
自分で言って自分で苦しくなる。布への信頼が過剰。
エンナ婆は鼻で笑う。
「じゃあその布、国宝だね」
刺さる。的確すぎる。やめて。
レティアが一歩前に出て、婆に頭を下げた。
「エンナさん、今日はもう。ミオも動揺してる」
「動揺してるのは分かるさ」
婆は私を見る。薬草師の目は、傷と嘘に強い。
「でもね。お前さんが何者でもいい。問題は“嗅ぎつける連中”がいるってことだよ」
私の指先が冷えた。
「……連中」
婆は声を落とす。
「さっき門の外で聞いた。教会の人間が『白い痕跡』って言葉を使ってた」
世界が、足元からひやりとした。
教会。
その単語だけで、前世の白い天井が戻ってくる。
私は喉の奥で息を詰まらせた。
レティアがすぐに私の前に立つ。
「エンナさん、その話は私が聞きます。今は……」
「今は休ませる、って顔だね」
婆は頷く。
「いいさ。でも明日からは気をつけな。噂は足が速い。風より速いこともある」
……風。
私は思わず、物置での紙のめくれ方を思い出した。
その夜。
私は布団に潜り込んだ。疲れているはずなのに、目が冴えている。
天井の梁を見つめながら、心の中で繰り返す。
(バレない。バレない。バレない)
言い聞かせるほど、「バレる」未来が鮮明になる。やめてほしい。脳。
窓の外で、ふっと風が鳴った。
家の中まで届くような、柔らかい音。
次の瞬間、ほんの小さな光の粒が、窓辺に浮かんだ気がした。
私は目を凝らす。……でも、何もない。
「気のせい」
小さく言って、布団を引き上げる。
それでも胸の奥だけは、なぜか少しだけ落ち着いていた。
助ける力があるのは怖い。
でも。
今夜のこの静けさが、誰かの手なら。
私の予定が崩れた日を、少しだけ支えてくれる“何か”がいるなら。
私はため息をついて目を閉じた。
「バレない予定だった。初日で崩れた。……でも」
布団の中で、指先を握る。
「まだ。まだ取り返せる」
そう思った。
その瞬間、窓の外で、鈴みたいな音がひとつだけ鳴った気がした。




