第57話 失敗しない男、リシュン
ユージが帰還できなかった日の翌日。
ユージア国の朝は、いつも通り穏やかだった。
市場では商人たちの声が飛び交い、
農地では新しい灌漑設備の試運転が始まっている。
まるで昨日の騒ぎなど、最初から無かったかのようだった。
ただ一つ。
研究棟だけが、妙な静けさに包まれていた。
巨大な円形装置――
超高出力時空間転移機構。
その周囲で、リシュンとアルノルトが無言で計測器を覗き込んでいた。
リシュンがぼそりと呟く。
「……おかしい」
アルノルトが顔を上げる。
「どの部分がですか」
「全部だ」
装置の中央に設置された演算結晶が、静かに光を放っている。
リシュンは端末を操作しながら言った。
「魔力供給は正常」
「空間歪曲も発生している」
「転移座標も合ってる」
アルノルトが眉を寄せる。
「では、なぜ数メートルしか移動しなかったのでしょう」
リシュンは黙ったまま、ログを読み進めた。
そのときだった。
指が止まる。
「……なるほどな」
アルノルトが身を乗り出す。
「何かわかりましたか」
リシュンは小さく笑った。
「やられた」
そしてモニターを指差す。
「これを見ろ」
アルノルトの目が細くなる。
「……まさか」
「誰かが魔法陣をいじって制限がかかっている」
沈黙。
二人の脳裏に、同時に同じ人物の顔が浮かんだ。
リシュンが肩をすくめる。
「まあ、そういうことだ」
アルノルトも苦笑する。
「納得です」
そして二人は同時に言った。
「ナーチャンですね」
「あいつホント、素直じゃねえな」
研究棟の外。
丘の上では、ユージがのんびりと空を眺めていた。
ホワイトタイガーが、白い軌跡を引きながら旋回している。
平和な空だった。
そこへリシュンが歩いてくる。
「リーダー」
ユージが振り向く。
「お、どうした」
リシュンは少し迷ってから言った。
「昨日の転移失敗の件なんだが」
ユージが苦笑する。
「あー、あれな」
「派手にコケたよな」
リシュンは首を振った。
「違う」
「失敗じゃない」
ユージが眉を上げる。
「どういう意味?」
リシュンは静かに言った。
「誰かが出力制御してた」
ユージは一瞬だけ黙った。
リシュンが続ける。
「つまり」
「最初から長距離転移できないように細工がされていた」
沈黙。
風が麦畑を揺らす。
しばらくして、ユージが笑った。
「だろうな」
リシュンの目が丸くなる。
「……気付いてたのか?」
ユージは肩をすくめる。
「まあな」
「装置に乗った時、魔力の流れが変だった」
「完全に抑え込まれてた」
リシュンが呆れた顔になる。
「じゃあなんで黙ってた」
ユージは空を見上げた。
ホワイトタイガーが遠くへ飛んでいく。
しばらくしてから言った。
「まあ」
「いいかなって」
「いい?」
ユージは笑う。
「よく考えたらさ」
「元の世界に戻っても」
少し間を置く。
「また産廃屋の仕事だろ」
リシュンが吹き出した。
「まあ、そうだな」
ユージは続ける。
「それに」
街を見る。
市場。
畑。
工房。
人々が忙しく動いている。
「こっちは」
「結構刺激的だしな」
リシュンは少し黙った。
それからニヤリと笑う。
「リーダー」
「なんだ」
「帰る気、最初からあんまり無かっただろ」
ユージは頭をかいた。
「あはは、まさか……」
二人はしばらく笑った。
そのとき。
丘の下から声が聞こえた。
「ユージさまー!」
ナーチャンだった。
書類を抱えてこちらへ歩いてくる。
ユージは小声で言う。
「この話」
リシュンが頷く。
「わかってる」
二人は何事もなかったような顔をした。
ナーチャンが近づく。
「研究棟の確認は終わりましたか?」
リシュンが答える。
「ああ、問題なしだ」
ナーチャンはほっとしたように笑った。
ユージはその様子を見ながら、ぽつりと呟いた。
「まあ」
「もう少しこの世界にいてもいいかな」
風が吹く。
遠くで旋回するホワイトタイガーの飛行機雲が弧を描く。
そして世界は――
静かに、新しい時代へ進み続けていた。




