第42話 抑止の炎
ロクローマルの一件から数日。
特区は、何事もなかったかのように動き続けていた。
水は滔々と流れ、
畑は順調に拡大し、
交易路には荷馬車が行き交う。
だが。
目に見えぬ緊張が、空気の底に沈んでいる。
ナーチャンは机にかじりつき、全体構成の再点検を続けている。
リシュンは監視塔を巡回し、防衛網の再構築に余念がない。
イコタンは会計帳簿を睨みつけ、備蓄計画を再計算している。
発展の裏にあるのは、警戒だ。
その様子を見て、ユージがぽつりと言った。
「……今日は休みにしないか?」
全員が顔を上げる。
「たまには、皆を労おうぜ」
最初に反応したのはタケシトだった。
「いいな、その案、乗った!」
こうして急遽――
特区バーベキュー大会が開催されることになった。
広場に並ぶ無数のコンロ。
炭火がはぜ、肉の匂いが夜気に溶ける。
子どもたちの笑い声。
種族も立場も関係なく、肩を並べて焼き網を囲む。
タケシトは即席の舞台を設営。
歌合戦が始まり、いつの間にか隠し芸大会へと発展する。
リシュンは夜空に巨大な魔導花火を咲かせ、
アルノルトは炎の色を自在に変えて観客を驚かせる。
神楽耶は和歌を詠み、なぜか全員が妙に感動する。
ナーチャンは微笑みながら料理を配っていた。
「なんか、平和だなぁ」
ユージの呟きに、ナーチャンが静かに頷く。
「ええ。こんな日が続けばいいですね」
夜が更ける。
宴は落ち着き、
焚き火の前にユージと神楽耶が並んだ。
ぱちぱち、と薪が爆ぜる。
ユージがぽつりと言う。
「これで終わりじゃないよな」
神楽耶は顎を上げた。
「あの山を見てみよ」
遠い稜線。
月光の中、一瞬だけ光が反射する。
「……ああ」
ユージも気づいていた。
別の丘でも、同じ反射。
神楽耶が低く言う。
「どちらが王国で、どちらが魔王国かは分からぬ」
「だが、間違いなく偵察じゃ」
焚き火の炎が揺れる。
静かな現実。
ユージが振り向く。
「なあ、リシュン」
「希望のイージスはすごい」
「でも、あれだけでここを守り切れるか?」
リシュンは炎を見つめたまま答えた。
「無理だろうな」
即答だった。
「ヤマットも幻影だってバレた」
ユージが呟く。
「……幻影じゃなきゃいいのか?」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、リシュンの目が見開かれた。
「リーダー、それだ!」
立ち上がる。
「強力な兵器は“戦力”であって“戦力じゃない”」
「何だそりゃ」
「禁断のメギドの火を思い出せ!」
「やめろ黒歴史!」
「撃てば全てが終わる兵器」
「だから撃てない」
焚き火の炎が彼の瞳に映る。
「使ったらお互い引き返せない力」
「だが、それがあるからこそ、誰も手を出せない」
「抑止力だ」
「戦わないための力」
ユージは首を傾げる。
「そうなの?」
リシュンは笑った。
「あはは、全部わかっててとぼけるなよ」
イコタンへ振り向く。
「予算、確保しといてくれ」
「もちろん。上限は無しですね?」
「できるだけ節約はする」
アルノルトも立ち上がる。
「実は、構想は前からあった」
二人は足早に去っていった。
神楽耶がくすりと笑う。
「また始まったの」
「俺、何もしてないんだけど?」
焚き火が揺れる。
遠くの反射光は、まだ消えない。
一ヶ月後。
特区中央滑走場。
朝日が差し込む。
巨大な影が地面を覆う。
鋼鉄の船体。
幾重にも重なる装甲。
魔導推進炉の低い唸り。
そして、主砲。
リシュンが誇らしげに言う。
「幻影じゃない」
アルノルトが続ける。
「本物です」
重低音。
大地が震える。
ゆっくりと――浮上。
巨大飛行戦艦。
その名は、ヤマット。
今度は幻ではない。
その影が特区全体を覆う。
だが。
誰も恐れない。
それは侵略の影ではない。
守る影だ。
神楽耶が静かに言う。
「守られる国ではない」
「自ら守る国になったのじゃ」
ユージは空を見上げる。
巨大な戦艦が朝日に輝く。
ぽつりと呟いた。
「撃つためじゃない」
「撃たせないためだ」
遠くの丘。
偵察兵の望遠鏡が震える。
「特区に巨大飛行戦艦確認」
「幻影ではありません」
王国も。
魔王国も。
報告を受け、息を呑む。
魔王国。
サムは静かに報告書を閉じた。
「……なるほど」
「均衡を作るつもりか」
祝宴の炎は消えた。
だが。
別の炎が灯った。
抑止の炎。
この日、特区はただの実験区ではなくなった。
国家となる資格を得た。
そして世界は知る。
ここに――
戦わずに守る力が生まれたことを。




