第16話 危うい境界線
異変は、夜明け前に起きた。
村の外れに張っていた簡易結界が、
静かに、だが確実に歪んだ。
「……来たな」
ユージは、寝床から起き上がる。
騒ぎはない。
悲鳴もない。
――それが、逆に嫌だった。
⸻
見張り台。
朝靄の向こうに、影があった。
数は、五。
全員、人型。
だが、立ち姿が微妙に違う。
「……魔族、だな」
昨日の老人の言葉が、脳裏をよぎる。
――“魔族側も、あなたを注目している”
早すぎる。
⸻
影の一つが、一歩前に出た。
「人の村に、結界とは珍しい」
低い声。
だが、敵意は薄い。
「交渉に来た」
「……誰と?」
ユージが答えると、影は迷わず言った。
「お前だ。勇者」
「だから俺は勇者じゃないって」
影は、肩をすくめた。
「呼び方の問題はどうでもいい」
⸻
五人は、村の外で止まった。
一線を越えない。
それ自体が、意思表示だった。
「安心しろ」
影の一人――角のある女が言った。
「この村を焼きに来たわけではない」
「じゃあ何しに来た」
「確認だ」
「何を?」
「お前が、
王国の犬かどうか」
空気が、冷えた。
⸻
ユージは、少し考えてから言った。
「違う」
即答だった。
「王国の管理外にいる」
「ほう」
「だからって、魔族の味方でもない」
「……なるほど」
角の女は、目を細めた。
「つまり、中立か」
「そうなるな」
一瞬。
五人の間に、ざわめきが走った。
⸻
「忠告しておく」
別の影が、低く言う。
「中立は、最も嫌われる立場だ」
「知ってる」
ユージは、肩をすくめた。
「でも、他に選択肢がない」
「なぜだ」
「俺がどっちかについた瞬間、
この村は“前線”になる」
沈黙。
魔族たちは、村を見た。
小さい。
弱い。
守るには、あまりに脆い。
⸻
「……面白い男だな」
角の女が、笑った。
「王国は、お前を囲わなかった」
「いや、囲えなかった、の方が正解に近いか」
「魔族も、お前を利用できない」
「まあ、そうだな」
「だが――」
彼女は、一歩引いた。
「放置もできない」
ユージは、苦笑した。
「だよね」
⸻
「条件を出す」
角の女は言った。
「この村には、手を出さない」
「ほう」
「代わりに」
彼女の視線が、鋭くなる。
「お前が、王国側の動きを知らせろ」
「スパイ?」
「監視だ」
ユージは、即座に首を振った。
「それは無理だな」
「理由は?」
「当たり前だ。
それやった瞬間、俺は“魔族側”になる」
「……」
「中立でいるためには、
どちらの情報も渡せない」
魔族たちは、互いに視線を交わした。
⸻
「頑固だな」
「よく言われる」
「損をするのは承知の上ということか」
「まあな
でも、これが性分だ」
「では――」
角の女は、微笑んだ。
「お前の言っていることが本当かどうか、
見極めさせてもらおう」
「どうやって?」
「次に王国兵が来た時」
空気が、張り詰める。
「お前が、
どう動くかを見させてもらおう」
⸻
魔族たちは、霧の中へ消えた。
結界の歪みが、元に戻る。
ユージは、深く息を吐いた。
「……なんでこうなるかなぁ」
⸻
朝。
村は、いつも通りだった。
子どもが走り、
畑で人が働く。
何も知らない。
「守るって、こういうことか」
敵と戦うより、
立場を選ぶ方が、よほど難しい。
⸻
そのとき。
見張り役が、叫んだ。
「ユージさん!
街道に、人影が!」
ユージは、目を細める。
鎧。
旗。
――王国兵だ。
数は、昨日より多い。
「……もう来たか」
魔族の言葉が、胸に響く。
――“見極めさせてもらう”
ユージは、拳を握った。
「さて」
深呼吸。
「どっちにもつかない、ってのが」
一歩、前に出る。
「一番難しいんだよな」
彼は十分に理解していた。
この後の流れ次第で、
この村の命運が決まってしまうということを。




