お楽しみですかレティシア様
舞踏会の喧噪はまだ続いていた。
煌めくシャンデリアの下、貴族たちが笑い合い、ワインの香りが花のように漂う。
その真ん中で、レティシア様はくるくると舞っていた。
彼女の金の髪がふわりと舞い、微笑みが光に溶ける。
「エマ!見て!私、踏まなかったのよ!」
「それは大変素晴らしいことですが、普通ですよお嬢様」
「ひどい!褒めてよ!」
「えらいです」
「棒読みよ!」
周囲から見れば完璧なご令嬢。
けれど、彼女の笑い声だけが少し無邪気で、そこがまた愛しい。
私は少し離れて、静かに息を整えた。
きらびやかな世界に身を置くのは、やっぱりまだ慣れない。
誰もが完璧に笑い、完璧に嘘をつく。
だから、私はそっと会場を抜けた。
廊下を抜け、二階のベランダに出る。
夜風が頬をなで、星の光が城下を淡く照らしていた。
手にしたグラスを軽く傾けると、琥珀色の液体が月明かりを映す。
「……静かだぁ…」
「あ、エマ!!こんなところに居たのね」
その声に振り返ると、ドレスの裾を揺らしてレティシア様が立っていた。
「レティシア様、社交界の場を抜けてこられたのですか?」
「あら、そういうあなたもでしょう?」
「……否定できません」
「ふふっ、同罪ね」
くすくすと笑う声が、夜気に溶けていく。
グラスを手に、彼女が隣に並ぶ。
「こうして外に出ると、不思議ね。さっきまであんなに眩しかったのに、今はただ静か」
「お嬢様の方が、月より眩しいですよ」
「……なにそれ、ずるい褒め方」
頬を染めながらも、どこか嬉しそうに目を伏せる。
そんな穏やかな空気を―――裂くような声がした。
「あらあら……侍女が仕える者に馴れ馴れしく接しているなんて、珍しいこと」
振り返ると、そこに立っていたのは聖女。
純白のドレスが月光を反射して、まるで光そのもののように見える。
だけど、その笑みの奥にあったのは―――氷。
「ごきげんよう、聖女殿」
レティシア様は崩れない微笑を浮かべた。
…二人の間に静寂が流れるが、先に静寂を切り裂いたのはレティシアだった
「今宵はお楽しみでしょうか?」
「ええ。殿下がとてもご機嫌でいらしたわ。あなたの“侍女”のおかげかしら?」
「それは何よりですわ。殿下のご機嫌が国の平和に繋がるのなら」
「まぁ、ご立派ね。でも……貴族としての“距離”は大事にしないと」
「心得ております」
二人の間に、見えない火花が散った。
静かな戦場。
私は息を呑んで、その間に立つ。
「お二方。どうか、夜風でお身体を冷やされませんように。
舞踏会の音楽が、もうすぐ再び始まるようです」
レティシア様がこちらを見て、安心したように微笑む。
「そうね。戻りましょうか、エマ」
「はい、お嬢様」
裾を翻し、二人でベランダを後にする。
振り返れば、聖女はまだそこに立っていた。
月が彼女の横顔を照らす。
そして―――その唇がわずかに動いた。
「……チッ。あいつ、誰に向かって口を利いてるのよ」
ワイングラスを握る指が、わずかに震える。
「絶対に……取り返してみせる」
一拍置いて、笑みが戻る。
「……それにしても。あの侍女、可愛かったわね」
風が吹き抜け、ベランダに残るのは、ただ甘い香水の残り香だけだった。




