舞踏会に行きますよ
煌びやかなシャンデリアが、ホールをまるで昼間のように照らしていた。
絹のドレスが波のように揺れ、香水と笑い声が空気に溶けている。
「お嬢様、本当に私はこれを着なければならないのでしょうか」
「当然よ、エマ!今日は特別なんだから」
「……どう見ても主役級の服ですけど」
「主役でいいの。私の隣に立つんだから」
「いや、私はメイド――」
「聞こえなーい」
結局この言葉で押し切られるの、もう何回目だろう。
黒のイブニングドレス。胸元には銀糸の刺繍が散りばめられ、首元には淡い赤色のチョーカー。
普段動きやすいメイド服しか着ていない私には、重すぎる華やかさだった。
なんてったって…む、胸元が…
「お嬢様、やはりお美しいですね」
「ふふっ、あなたもね。……あ、皇子殿下がいらしたわ」
人々のざわめきがひときわ高くなる。
入口に現れたのは、月光を背にした青年。
整った金の髪、蒼い瞳、気品と威厳。まるで絵画から抜け出したような王子。
「すごい……」
思わず漏れた声が自分のものだと気づいて、慌てて口を押さえた。
大広間いっぱいに灯るシャンデリアの光が、まるで星屑のように揺れている。
その中を、一人の青年がゆっくりと歩いていた。
白金の髪に淡い蒼の瞳。端正な顔立ちに、ほんの少しの威圧感。
この国の第一皇子――アラン殿下。
ざわめく会場。
令嬢たちは次々と扇を広げ、夢見るような瞳でその姿を追う。
だけど、殿下の視線は――なぜか、こちらへ。
「あら、殿下」
隣でレティシア様が静かに姿勢を正した。
淡い青のドレスの裾をつまみ、にこやかに微笑む。
そうだった。殿下とレティシア様は婚約関係にある。
誰もが羨む、絵のように美しい二人――のはず、なのに。
「今宵もお美しいです。レティシア嬢」
殿下が優雅に一礼すると、会場の空気がわずかに緩む。
けれど次の瞬間、彼の視線が私に移った。
「……そして、そちらは?」
まっすぐに見つめられて、息を飲んだ。
人を見透かすような蒼の瞳が、わずかに柔らかく細められる。
「わ、私は、レティシア様付きの侍女で――」
「ほう、侍女?」
殿下の唇がゆるく笑みに変わる。
「侍女と呼ぶには、ずいぶん気品がある。名は?」
「え、えっと……エマ、です」
その名を繰り返すように、殿下は低く呟いた。
そして、差し出された私の手をそっと取る。
次の瞬間―――唇が、手の甲に触れた。
「……!?」
思わず体が跳ねる。
殿下は優しく微笑んだまま、囁くように言った。
「アラン・ヴィルヘルム。この国の第一皇子にして、あなたの魅力の虜です」
――な、なにを言ってるんですかこの人!?
「ぶふっ…」
会場の空気が一瞬止まり、すぐに小さなざわめきが広がる。
令嬢たちの扇の向こうから、鋭い視線が無数に突き刺さるのを感じた。
一方のレティシア嬢は扇子で口元を抑え必死に笑いをこらえようとしている。
「殿下」
レティシア様の声が、柔らかくも凛と響く。
「その方は、ただの侍女ではございませんよ?あくまでも私の侍者です。お気を悪くなさらぬよう」
「……私のもとに置くことは出来ない…か」
殿下はそう言って、もう一度私に視線を戻した。
その瞳の奥に、どこか確信めいた光が宿っていた。
レティシア様は微笑んでいた。
あからさまに誇らしげだ。鼻が伸びてる。
「……やっぱり、私のメイドは誇らしいですわ」
レティシア様がそっと私の背に手を添えた。
「殿下、エマは少し人見知りなのです。どうかお許しくださいませ」
その言葉に、殿下は軽く笑って一歩退いた。
「なるほど。ならば、また次に。――必ず、お話を」
そう言い残し、殿下は人混みの中へと消えていった。
残された私は、ただ呆然と立ち尽くしていた。
手の甲に残る微かな温もりが、拭いても消えることはなかった。




