登頂
二人はそれから、ほとんど言葉を交わすことなく山を登り続けた。
風の音。
アイゼンが雪を噛む音。
一定のリズムで刻まれる呼吸。
休憩らしい休憩も挟まず、ただ黙々と―――
気づけば、再び登り始めてから七時間が経っていた。
「よーし、着いたね」
視界が開け、そこに立っていたのは
リトルカグアの副峰・チェンボルン3700m
山頂と呼ぶには少し控えめだが、それでも十分すぎる高さ。
周囲の峰々が一段低く見え、空が近い。
「取り敢えず……達成、ですね」
エマはそう言って、膝に手をついた。
疲労は確かにあるが、息は乱れていない。
「いやぁ、いいペースだったね。休まずにここまで来れるとは思わなかった」
オマハは景色を一望しながら、少し笑った。
「なんというか……どうだった?楽しかった?」
エマは少し考えてから答える。
「えぇ、まぁ……物足りなかった、というのも少しありますが」
「はは」
「確かに、楽しかったです」
「そりゃ良かった」
オマハは肩を回しながら続ける。
「魔物にもそこまで出くわさなかったしね。危険も少なめで、良い登りだった」
「……ですね」
二人は短い休憩を取り、身体が冷え切る前に下山を始めた。
その時だった。
―――ゴゴゴゴゴゴ……!!
地面の奥から、低く重い音が響く。
「……雪崩ですね」
二人が顔を上げるのと同時に、斜面の上方から雪が崩れ始めた。
そこまで大規模なものではない。
十数秒ほどで収まり、
押し付けられ固くなり岩のようになった雪が、土砂崩れのように崩れていった。
―――雪と一緒に、何かが滑り落ちてきた。
「……?」
ぴょい、と身軽に雪の上へ着地する影。
「……チークラグドール?」
見覚えのある、あの猫みたいな魔物だった。
「え……?」
エマは一瞬、理解が追いつかなかった。
「……今の、もしかして……」
「うん、多分」
オマハも苦笑する。
「この子が、雪崩の原因だろうね」
雪まみれになりながらも、ラグドールは至って平然としている。
しかも―――
ちょいちょい、と前足で空を引っかくような仕草。
「……手招き、してません?」
「してるね」
「……何かを欲しがってる……?」
エマは一瞬、嫌な予感がしてベルトポーチに手を伸ばした。
「……まさか」
干し肉を取り出した瞬間。
―――手招きのスピードが、明らかに速くなった。
「……やっぱり」
エマは干し肉を二枚、放る。
ラグドールは空中でそれをキャッチすると、そのまま咥えて方向転換し、
来た道を軽やかに駆け上がっていった。
「……何だったんだ、今の」
「さぁ……」
エマは少しだけ、背筋に嫌なものを感じていた。
まるで…ストーカー…
「……行きましょうか」
「そうだね」
二人は気を取り直して下山を再開する。
―――その直後。
背後で、再び。
ゴゴゴゴゴ……!!
「……っ、また!?」
今度の雪崩は、先ほどよりも―――
ほんの少しだけ、音が重かった。
「……次は、何が起こるっていうんですか……!?またラグドールですか!?」
エマは剣に手をかけながら、振り返る。
白い斜面の向こう側は、まだ見えない。
―――不穏な気配だけが、確かにそこにあった。




