【番外編】屋敷のある朝
登山の一ヶ月前―――
まだ外は淡い朝靄が漂い、屋敷の廊下もひんやりとしていた頃。
「おはようございます、レティシア様。起きてください」
さらりとした所作でカーテンを開けるエマ。
差し込んだ朝の光がふわりとベッドを照らす。
「うーん……あ、あと一時間だけ寝かしてくれたら起きるから……」
布団の塊がもぞもぞと動き、レティシアののんびりした声が返ってくる。
「起きると言って一度でも起きられたことありますか?」
「……何回かは……起きれてる……」
「一度もありませんよ」
ぐさりと刺さる現実。
レティシアは布団の中で小さく唸った後、
布団から顔だけちょこんと出してくる。
「じゃあ……おはようのキスして……」
「私は侍女です。仕える身に対してそのようなことはできません」
きっぱり即答。
だがレティシアは負けじと抗議する。
「この前一回してくれたじゃん!!」
「……あれは“慰め”のためです。レティシア様の心が折れていたので」
「はい!!今も折れてます!!聖女に皇子奪われた件、まだ癒えてません!!」
レティシアが涙目で訴えるので、エマは思わず溜め息をつく。
「……もう。本当に今日だけですよ?」
そう言うと、エマはレティシアの頬にそっと口づけた。
「えへへ……なんか百合っぽい……」
「―――っ! レティシア様! 私はそんな関係を望んでおりません! あくまでも侍女で――」
「はーいはい」
軽く流して、レティシアは布団から上半身だけを出す。
「……まだ全体が出ていませんが」
「だって寒いの」
「起きてください」
がばっ、とエマが布団を剥がす。
「いやああああっ!! 寒いってば!!」
「朝食の準備ができています。冷めてしまいますよ?」
「……今日の朝ごはんは?」
「いつも通りですが……今日は私がデザートを作らせていただきました」
「ぐっ……抗えない……身体が……デザートを求めてる……」
「では、起きてください」
渋々ながらも、レティシアはベッドから立ち上がる。
洗面所で顔を洗い、鏡の前に立つと、
エマが用意してくれたドレスに着替え始める。
「あら、今日は青なの?」
「本当なら黒にしたかったのですが……」
エマが指さした先――
そこには昨日、レティシアが無自覚に破いてしまった黒ドレスが置かれていた。
「……あ」
「新しい物を買いに行きますので、それまでは黒はお待ちください」
「だったらさ!! 一緒に買いに行こうよ!」
「……また買い物ですか?」
「いいじゃない。買い物も貴族の嗜み~」
るんるんと機嫌よく部屋を飛び出すレティシア。
「レティシア様! あの黒ドレスのようになってしまいます!!」
「その時はその時よ!!」
そう言って笑顔で廊下を駆けていくレティシアを、
エマは苦笑しつつも丁寧な足取りで追いかけていく。
屋敷に日が差し込み、慌ただしいけれど温かい朝の時間が今日も始まる。
――こんな日常が、私にとって一番の癒しなのかもしれない。




