満足ですか?レティシア様
「今日は外に出るわよ!」
レティシア様が、朝からやけに元気に宣言した。
「……え?」
「街に行くの。たまには気分転換しないとね!」
「ですが、お嬢様。警備や許可が――」
「ぜんぶ手配済み!」
その笑顔は、もはや王命よりも強かった。
馬車が揺れ、窓の外にひらける景色。
石畳の街路、香ばしいパンの匂い、遠くで鐘の音。
こっちの世界に来て一週間が経ったが、これまで屋敷にでたことはなかった。
屋敷とは違う“生きた音”が溢れていて、胸の奥が少しくすぐったい。
「ねぇエマ、あそこ見て!あのドレス可愛い!」
「お嬢様の好みは今日も全力ですね」
「当然よ!お洒落は貴族の義務だもの!」
「……使いすぎにはお気をつけください」
「うるさい!今日は“買う日”なの!」
彼女に引っ張られるまま、私はドレスショップの中へ。
店内には色とりどりの布が並び、香水とリボンの匂いが混ざり合っていた。
「このワンピースどう?淡いブルーで上品よね」
「ええ、とても似合いそうです」
「じゃあ、あなたも試着して!」
「……はい?」
「だって、せっかくだもの。私ひとりだけ楽しむなんて不公平でしょ?」
「しかし、私などにこのような高価な召し物を―――」
「聞こえなーい!」
「お嬢様!」
押し切られる形で、私は更衣室に押し込まれた。
鏡の前に立つと、柔らかな布が肌に触れ、少し背筋が伸びる。
…なんだろう。鏡の中の自分が、ほんの少しだけ“この世界の住人”に見えた。
「エマ!早く見せて!」
カーテンを開けると、レティシア様が目を輝かせた。
「わぁ……すごく綺麗!」
「お嬢様、からかわないでください」
「本気よ!ねぇ、もう一着着てみて!」
「いえ、その、これ一着でも充分―――」
「聞こえなーい!」
その日、私は十回以上このセリフを聞いた気がする。
淡いピンク、深紅、雪のような白。
着替えるたびに、彼女は笑顔で拍手を送ってくれる。
それがあまりに楽しそうで、途中から断る気力がなくなっていた。
「お嬢様もとてもお似合いですよ」
「ふふん、でしょ?じゃあこれとこれと……あとこれも!」
「そ、そんなにですか!?」
「後悔はしない主義なの」
気づけば、店員が苦笑しながら包装を増やしていた。
紙袋の山。これでどれだけの家が建つのか考えたら、少し目眩がした。
店を出た瞬間、冷たい風が頬を撫でた。
街の喧騒の中に、焼き菓子の香りや子どもたちの笑い声が混ざる。
この空気の感触が、なんだか懐かしかった。
「エマ、疲れた?」
「少しだけ、ですが……楽しかったです」
「でしょ?次はアクセサリーのお店よ!」
「ま、まだ行くんですか!?」
「まだ一日あるもの!」
結局、帰る頃には夕日が街を金色に染めていた。
馬車の中、レティシア様は買った服に埋もれながら満足そうに笑っている。
「ねぇエマ」
「はい」
「今日のあなた、すごく楽しそうだった」
「……そんなに顔に出ていましたか」
「うん。可愛かったわ」
「お嬢様」
「照れた?」
「……否定はしません」
彼女がくすくすと笑い、窓の外で街の灯がまたひとつ点る。
屋敷が見えてくるころ、馬車の中には柔らかな沈黙が流れていた。
今日、初めて知った。
この世界の空気は、案外あたたかい。




