そうだ休暇、取ろう
ランニング翌日。
レティシアは――死んでいた。
「……動けない……もう、足が……脚そのものが悲鳴を……あぁ無理……」
ベッドに仰向けでぴくりとも動かず、息をするたびに「痛っ……」と漏らす始末だった。
そこへメイド長と母カレンが入ってきた。
「レティシア、本日は休みなさい。三日間、体を動かすことは禁止です」
カレンが淡々と宣告する。
「全く…レティシアは全く運動しないからこうなるのよ」
カレンはそう言ってため息を付くと、寝ている娘の額を――ペシンッ!
「ママぁぁ!? なんで叩くのよ!! っていうかエマがスパルタすぎるのよ!!」
「何を言ってるの、エマは貧弱なあなたを鍛えてるだけでしょうが!!」
「鍛えてるんじゃないの!! 拷問なのよ!! 私の脚、弾け飛びかけてるんだから!!」
「まだ弾けてないじゃない!!弾けるまでちゃんとやりなさいよ!!」
カレンは呆れつつ、レティシアを布団に押し戻す。
メイド長が部屋の扉を閉め、廊下へ出たタイミングでカレンがふとエマを見る。
「エマ。どうせなら、あなたも休んだらどう? いつもレティシアに振り回されているんだから、心と身体を休める意味でも。レティシアの世話は別の者に任せるわ」
「休暇……を頂いてもよろしいのでしょうか?」
カレンはメイド長に視線を送った。
無表情のままメイド長が頷く。
「三日間、あなたは完全休暇とします」
エマは僅かに目を見開いた。
「……かしこまりました」
彼女は深く礼をした。
その表情には、ほのかな喜びと、やや張り詰めていた糸が解けたような柔らかさがあった。
そして――エマは考えた。
そうだ山、行こう
エマ・ローゼンタール。
その前世は“山岳サークルの伝説”と呼ばれるほどの猛者だった。
大学生でエベレスト登頂。
日本の3000m峰・完全制覇。
冬季単独登攀で谷川岳の鬼スラブを登破。
他にも、冬山単独登攀の記録は枚挙にいとまがない。
登山は、彼女のもう一つの人生だった。
休暇をもらったエマは、その日のうちにメイド長へ外出申請書を提出した。
「目的地は……低山よね?」
メイド長が眉をひそめる。
「……はい。登山をしたいと思いまして」
そう言って目線を逸らす
「 ……高い山は禁物よ? 魔物も出るし」
エマは静かに笑った。
魔物かぁ……狩りながら登れば…はっ
その考えが脳裏をよぎり、
そうだ冒険者登録、しよう
と結論する。
こうしてエマは、聖女とレティシアが初めて出会った街、トレントへ向かった。
別に……あの時のことを思い出す必要はないけど、なんか…むしゃくしゃする
エマは一度深呼吸して心を落ち着ける。
そして冒険者ギルドの扉を押し開けた瞬間――
「うおぉぉぉぉッ!! どっちが強ぇか勝負だぁ!!」
「昨日の酒代返せやぁ!!」
「受付はどこだ!!今日こそEランクは脱出するんだぁ!!」
酒、叫び声、殴り合い、剣戟。
想像していた以上に騒がしい。
……大方予想通りというか、なんというか…
だが、ふと目に留まる存在がいた。
「……あれは」
白髪の男。
舞踏会でエマと対峙した“あの男”だった。
声をかけようとした瞬間、彼がこちらに気づいた。
その瞳が驚愕に震え――
次の瞬間、荷物を抱えてエマの前へと歩み寄ってきた。
「あなた―――」
「―――」
男は短く耳打ちした。
その内容はあまりに唐突で、あまりに意味深で――
エマはその場で固まった。
白髪の男はすぐに踵を返し、ギルドの出口へと消えていった。
エマは手にしていたボストンバッグをポトンと落とす。
……どういう、意味……?な、んで……私に、警告を…?
深い戸惑いが胸を覆う。
そこへ―――
「どうされましたか?」
明るい声が背後からかかった。
振り向くと、若いギルド職員の女性がにこにこと立っている。
「初めて来られましたか? 大きさに驚いちゃいました?」
「あ、いえ……その……」
「大丈夫ですよ! 受付も登録もこちらでできますから!」
エマは、少しだけためらった後で口を開いた。
「ところで……先ほどの白髪の男性、あの方の素性は……」
その瞬間、職員の顔が曇った。
「………その…申し訳ありません。ギルドでは、他の冒険者に関する情報提供は禁止されています。
話した側も、聞いた側も処罰対象になりますので……」
「そうですか……失礼しました」
すぐに職員は表情をぱっと明るく戻す。
「ではでは! 冒険者登録ですね!?」
「はい……」
「こちらで手続きしますので! さ、どうぞどうぞ!」
その勢いのままエマは受付台へと引っ張られ―――
流されるように冒険者登録をすることになるのだった。




