ボルドール家
「アリーゼ、久しぶりね!」
「レティシアも!まさかこんなところで会うなんて!」
レティシアが勢いよく抱きつくと、アリーゼは驚きながらも笑顔で応じた。風に揺れる金の髪が、秋の光を受けてきらりと輝く。
「お元気そうで何よりですわ」
「うん!エマがね、毎日勉強つきあってくれるの!」
「まぁ、素敵な侍女さんだこと」
そう言ってアリーゼがこちらを見る。目が合った瞬間、エマは小さく会釈した。
「レティシア、こちらの方は?」
「えっとね、私の専属侍女のエマ!すっごく頼りになるんだよ!」
「そう。よろしくね、エマさん」
その言葉は丁寧だったが、どこか探るような響きがあった。エマはにこやかに微笑みを返す。
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
エマが困惑を隠せない顔をしていると、気付いたレティシアがエマに耳打ちをする。
「エマは知らなかったっけ。こちらはアリーゼ=ディ=ボルドール、ボルドール家の嫡女なの」
その名に、エマの指先がぴくりと動く。
―――ボルドール。
聞き覚えのある名だった。
「……ボルドール家は男児が生まれなかったと、聞いた覚えがございますが」
「うん。正妻の人が産んだのは二人とも女の子。でも妹のほうは早産で亡くなっちゃって」
「では……側室の方は?」
「一人だけ。その子も女の子なの。だからアリーゼが正式な跡継ぎ。でもね、庶子の方も大切にされてて、アリーゼが成人して後を継ぐ時には秘書とか相談役になるらしいよ」
「―――ふふ、妹みたいなものよ」
耳打ちのつもりが、アリーゼの耳には届いていた。彼女はほんの一瞬だけ目を細め、微笑を作る。
だがその微笑にはわずかな影があった。
エマの脳裏に、記憶――いや、“前世でプレイしたゲーム”の断片がよぎる。
アリーゼ=ディ=ボルドール。クローネ家の忠実なる協力者であり傘下の子爵……だったはず。
この世界の貴族は
上位に王族を置き、その下に公爵、侯爵と辺境伯、伯爵、子爵、男爵、準男爵、騎士爵という序列になる。
だから、物語の前半ではクローネ家の味方として描かれていた。
だが、終盤でレティシアが処刑されたあと、彼女の家――ボルドール家はその隙を突いて侯爵家の領地を接収し、レティシアの両親を捕縛。
そして、王家との癒着を進め、街を支配する新たな権力者となる。
そう、あのとき……ボルドール家がすべてを奪ったんだ。
心の奥がひやりと冷える。
……でも、今はまだ“その時”じゃない。
アリーゼの瞳を観察する。
澄んだ翠色――敵意も野心も感じられない。ただ、品の良い笑みを浮かべている。
もしかしたら、ゲームとは違う…?
「それで今日は何しにこちらへ?」とアリーゼが尋ねた。
「散歩〜!最近ずっと勉強ばっかりだったから!」
「まぁ、レティシアが勉強を?奇跡ね」
「失礼な〜!」
二人は笑い合う。その無邪気さがかえって眩しい。
エマは静かに思考を巡らせる。ボルドール家は貴族の中でも有力な派閥を持ち、王家との距離も近い。対して、レティシア家は侯爵としての威光こそ強いが、近年は家臣の数が減っており、政治的な地盤がやや不安定だ。
本来なら、ここで手を取り合えば――レティシア家の没落を防げるかもしれない。
アリーゼの横で風が吹く。スカートの裾がふわりと揺れ、金糸の髪が陽光を反射する。
その姿は美しく、同時に危うかった。
この子は……危険だ。善人にも悪人にもなれる。でも、利用価値がある。
レティシアがアリーゼの腕を取り、笑顔で言う。
「ね、今度また遊びに行っていい?アリーゼの家の庭、すごくきれいなんでしょ?」
「ええ、もちろん。父もきっと喜ぶわ。あなたが来るなら、花壇を整えておかなくちゃ」
「やった!」
レティシアの明るい声に、エマは思わず苦笑した。
……本当に、何も知らないんだ。
しかし、心の奥底で別の感情が芽生える。
もし、アリーゼを味方にできれば……この物語の“未来”は変えられるかもしれない。
ボルドール家は確かに危険な存在。けれど、その政治的な力を逆に利用できるなら―――
バッドエンド、断罪エンドを覆せる。
エマはそっと息を吐き、視線を上げた。
金と銀、二つの髪色が風の中で揺れる。
この瞬間、彼女の胸に小さな決意が宿った。
利用できるものは、すべて利用する。それが――わたしの役目。
冬の風が三人の間を吹き抜ける。
やがて、落ち葉が一枚、エマの足元に舞い降りた。
その葉を踏みしめる音だけが、静かに響いた。




