やっとお開きですね
舞踏会の騒ぎもようやく落ち着きを見せ、襲撃…ということになったらしいが、とにかく襲撃の後も、皇子の堂々とした演説によって会は無事に締めくくられた。
人々はまだざわめいていたが、次第に笑い声が戻ってくる。
音楽も再び鳴り始め、舞踏会は平和に終わりを迎えようとしていた。
エマとレティシアもようやく帰る準備を整えていた。
会場の空気はまだ熱を帯びていたけれど、どこか現実に戻ったような、そんな静けさもあった。
二人は並んで歩いていたが、ふとエマの視線が横に逸れる。
「……レティシア様、申し訳ございません。トイレに行ってきてもよろしいでしょうか?」
「うん!!ここで待っとくね?」
レティシアはにこりと微笑んで、手を軽く振る。
エマはそのまま人の流れに逆らうようにして廊下を進み、トイレの方へと足を向けた。
―――入っていくのが見えた。さらりとした髪、そして白のドレス。
入ろうとしたその瞬間―――聖女が、化粧台の上に腰掛け俯いていた
何かを思い出すように動ず、下を見つめている。
エマは無意識に足を止める。
「あの白髪は―――」
そう言いかけた瞬間、聖女がゆっくりとこちらを向いた。
瞳には怒りも焦りもなく、ただ静かな光が宿っていた。
「貴方が何を言おうが、考えようが、自由にしなさい。…でも一つだけ忠告しておくわ」
エマは息を飲んだ。
「行き過ぎた考えと無責任な行動は、貴方だけじゃない。周りの人に被害を与えるってことを―――覚えておきなさい」
その言葉はまるで刃のように静かに突き刺さった。
聖女はそのまま肩を軽く押し、何事もなかったかのように出口へ向かう。
コン、と軽い肩パン。
それだけ。
けれどエマの心臓は一瞬止まったような感覚に包まれた。
息を整え、深呼吸。
侍女として、ここで取り乱すわけにはいかない。
いけない、いけない。キレるな。聖女はあれが普通。
彼女は唇を噛んで、落ち着きを取り戻した。
やがてトイレを出ると、少し離れたところに皇子が立っていた。
壁にもたれかかるようにして、腕を組んでいる。
エマが一瞬立ち止まると、彼は穏やかに微笑んだ。
「それで―――決めてくれたかい?」
「…なんのことでしょうか」
「ほら、勉強だよ。教えてくれないのかい?」
その笑みは優しげでいて、どこか探るようでもあった。
「あぁ…申し訳ございません。ここ数日は予定で埋まっておりまして。また後日、連絡させていただきます」
「はは、全く。俺のこと嫌いかい?―――まぁ、待っているよ」
軽く片手を上げて、皇子は人混みの中へと消えていった。
エマは小さく息を吐き、レティシアのもとへと戻る。
「お待たせしました」
「ううん!!ちょうど帰ろうと思ってたところよ」
二人は馬車へと乗り込む。
静かな揺れが心地よくて、さっきまでの喧騒が嘘のようだった。
座席は向かい合わせ。
エマとレティシア、ちょうど1対1で座るような形だ。
「……あれ? エマ、腕のところ怪我したんじゃないの?」
「…?」
エマは袖を見た。
さっきまで確かに血で滲んでいたはずの布が、今はもう乾いてすらいる。
そのことにレティシアが気づいた瞬間、目を丸くする。
「さっきまで血だらけだったのに…?」
「どうして―――」
そう、舞踏会会場に戻ってきた時。
レティシアは必死にエマの腕に布を巻こうとしていた。
「動かないで!!今押さえるから!!」
「大丈夫です、これくらい直ぐに止まりますから―――」
「いいえ!!駄目よ、直ぐに処置しなきゃ!!」
「怪我していたはずなのですが…」
「分かったわ!! エマは怪我の治りが異常に早いのよ!! 私、本で読んだことあるわ!! なんとか体質…」
「流石本の虫なだけありますね…治宿体質です。」
「そう!!それ!! 魔力を使用して怪我を素早く治すやつよね!?」
「はい、あってますとも。」
レティシアは「やっぱりね!!」と誇らしげに頷く。
けれどエマはその視線を外して、窓の外に目を向けた。
馬車の窓に映る自分の顔には、もう血の跡はない。
……これまで何度も怪我はしてきた。
でも、こんなに早く治ったことはなかった。
一体、何が―――。
エマは小さく息を呑み、目を閉じた。
馬車の揺れが、妙に心地よく感じる。
レティシアは窓の外を見ながら、穏やかに笑っていた。
―――夜の王都は、まるで何事もなかったかのように、静かに光っていた。




