溶け込むように
月の光が庭の芝を銀色に染めていた。
風が揺らす薔薇の葉の音と、遠くの舞踏会の音楽。
あの白髪の男は、まるでそこに溶け込むように立っていた。
「…やっぱり、あんたが仕向けてるわけね」
太ももの裏、レッグホルスターの留め具を外す。
そこには薄く光る数本の短剣。
舞踏会に似つかわしくない冷たい光が、夜の闇を裂いた。
「…ここで終わりにします」
白髪の男は薄く笑う。
「メイドらしくないな。」
「―――レンデルム流短剣術 緋龍葬送」
空気が裂けた。エマの姿が低く沈み、地を蹴った瞬間―――消える。
次に見えたのは、相手の足元。
爆発的な加速と共に、その刃が真上へと切り上がる。
金属音。
「ちっ…!!」
男の大剣が火花を散らし、エマの双剣を受け止めた。
衝撃が腕に伝わり、わずかに身体が浮く、が―――
次の瞬間、攻めのカウンター。
斜め下からのすくい上げるような一閃。
「チッ…」
左腕を押さえる。浅いが確実に切られた。
エマはすぐに距離を取って呼吸を整える。
このままじゃ、人が来る
舞踏会、音楽の音で騒がしいとはいえ―――
次の瞬間、悲鳴。
「きゃあああ!!」
近くの令嬢が戦いに気づき、その場にへたり込んだ。
…最悪……衛兵が来るまでに、ケリをつけなきゃ
一方その頃、レティシアは―――。
「きゃっ!?」
つまずいて、持っていたグラスを手放し、飲み物を隣の男性貴族の胸元にこぼしてしまう。
「あ、申し訳ありません…!!」
「いえ、お気になさらず。貴女のお顔に比べれば、この服が汚れるくらいなんてことありませんよ」
「……ありがとうございます」
男性の微笑みに救われたようにレティシアは胸をなで下ろした。
庭ではなおも激闘。
エマは血の滲む左腕を押さえながら、深く息を吸った。
「―――レンデルム流短剣術 燕尾の轍」
跳ぶ。
燕のようにしなやかに、高く、高く―――
そして真っ逆さまに。
上から下へ、双剣が連撃のように閃く。
しかし、白髪の男は軽く後方にステップし、全てを躱す。
「洒落せぇ!!」
想定内っ―――!!
地面を蹴る音が重なる。
「レンデルム流短剣術 二弧 顎」
二つの剣が、弧が交差するように、エマの刃が男を挟み込む。
金属音が響く。
肉を裂く感触。
「ぐあっ…!!」
男の腕に赤い線。血が滲む。
―――悪寒が背筋を伝う。エマは即座に後退。
男が構え直す。
「バンドラス流 蝶の流麗」
その名の通り、蝶のように舞い、剣の刃が空を裂く。
上へ上へ、斜めに連撃が走る。
エマは腕で受け、しかし勢いを殺しきれず髪を結んでいた紐が切れた。
黒髪が一気にほどけ、宙に散る。
その直後、額のあたりをかすめる一閃。
「……」
熱い感触。目の上を血が流れ落ちる。
けれど、エマは拭わない。
それよりも―――
技名、可愛いな…
緊張の最中、そんな場違いな思考が頭をよぎった。
「ははっ、笑ってやがる…!?」
「気のせいです」
そこへ、甲冑の音。
衛兵たちが駆けつけてくる。
「何事だ!!」
「両方捕らえろ!!」
「っ…まっずい!!」
白髪の男が後退し、すぐさま壁を蹴って跳躍。
「逃っげるな―――!!」
エマが短剣を投げ放つ。
刃が闇を裂いて、白髪の左肩に突き刺さった。
「クソッ…!!」
だが男はそのまま飛び越え、夜の闇へ消えた。
静寂。
エマは深呼吸して剣を地面に落とす。
「武装を解け!!」
衛兵が剣を構えて近づいてくる。
「……」
その時。
「貴様ら!!何をしている!!」
鋭い声が響いた。
一斉に衛兵がひれ伏す。
そこに立っていたのは、金髪の青年。
「皇太子殿下…!?」
「この者は我が客人だ。無礼は許さん」
その一言で、空気が一変した。
衛兵たちは慌てて剣を収める。
「……助かりました、殿下」
「…全く、王城で騒ぎを作らないでくれ」
そう言い残し、皇子は踵を返した。
エマは息を整えながら空を見上げる。
月は静かに照らしている。
あの白髪…何が目的でここに―――?
風が髪を揺らした。
ドレスの裾についた血の跡が、夜風に冷たく乾いていく。




